目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第8話 選挙


 冒険者ギルドの二階に、ふだんは使われていない部屋がある。

 表通りに面した日当たりのいい部屋で、三十人ほどが入って談笑するのにちょうどいい広さだった。

 現在はテーブルが並べられて、全員、おとなしく着席して隻眼の老剣士の話を聞いていた。


「まずは事務連絡だが……。みんなも気づいているかもしれないが、セハの門に異常が起きているようだ。ギルドでは今後、迷宮洞窟の最深部へと積極的に調査団を送りこむ予定だ」


 席についたほとんど全員が、首をかしげるか、あくびをもらすか、隣の人物と視線をかわしあうといった反応をした。


「なんだ、そのにぶい反応は……」


「はーい」とのんびりした声で、緑色の髪をした若者が挙手した。「下層のほうの魔物が、上まで出てきてるんですよね、なんか」


はよけいだが、そういうことだ。さすがは《賢者》セルタス殿」


 剣士は、呆れたような表情でそろった面々を見回した。


「んなこと言われたって、なあ……」

「迷宮洞窟に最後にもぐったの、何年前?」

「五年前」

「あたし八年くらい前」


 次々にささやかな文句が噴出する。


「自分のこと以外に興味がなさすぎだって言ってるんだ! ……ウッ!」


 老剣士は怒りにまかせて立ち上がるが、ゴキッという無慈悲な音が腰から響き、へなへなと椅子に戻っていく。


「持病の腰痛がっ……!」


「じじい、無理すんな」と誰かが言った。


 そんな光景を横目に、は窓の近くで、きらきら輝く丸い玉をもてあそんでいた。

 光に当てるとキラキラと輝いて、うっとりするほどきれいだ。

 黄色、薄い緑色、紅色。

 人差し指の先ほどの大きさの、丸いものがびろうどを敷いた台に置かれていた。

 紅いものと緑のを、テーブルの上に置く。

 残った黄色を机の端から指ではじいた。

 ころころと転がったそれは、赤いのにあたり、かちんといい音を立てる。

 赤いのが弾かれて、黄色いのにぶつかる。

 転がる黄色いのを、隣席の若者が受け止めた。


 目立つ緑色の髪をしている。

 髪は長く、三つ編みに結って肩にかけても、腰のあたりまである。

 目立つのは髪だけではない。

 彼はまだ真新しい浅葱色の衣をまとい、銀の総刺繡が入った肩布をかけ、揃いの腰布を締めていた。

 帯飾りは翡翠だろう。

 そうとう、かせいでいる魔法使いの装束だった。

 それなのに、まだ二十歳そこそこといった風貌だ。

 もしかしたら、それよりも若いかもしれない。

 そしてたぶん、魔物の血がまじってるな、とメルは思った。


「どんなゲームをしてるの? 私もまぜてくれる?」と、セルタスが訊ねる。


「ゲームはしてないよ」

「ねえ、きみ。メルメル師匠だよね? 私はセルタス。ねえねえ、普段はどこにもぐってるの? このあいだ、迷宮洞窟できみを見かけたって人がいるんだけど……」

「行きたいところに行くだけだよ。僕はパーティにも入ってないしね」

「めんどくさいがないんだね。いいなあ」

「そうかな。君はそう思ってないと思う」


 メルは上半身をゆっくり起き上がらせると、懐から白墨チョークを取り出した。


「ねえそれ、いつも持ってるの?」


 質問責めには答えずに、メルは机の上にきれいな円を描く。

 そして黄色の石を真ん中に置き、緑のを彼の手に握らせる。


「真ん中の石をはじいて、円の外に出す。さらに同じことを続ける。そして自分の石が丸の中に残っていたほうが勝ち。先手をどうぞ」


 セルタスは円の外側に自分の石を置き、よくねらって指で弾いた。

 転がる緑の石はまっすぐに黄色の石に向かい、強い力でぶつかった。

 黄色の石は勢いよく転がって、テーブルから落ちていく。

 緑の石はだんだんと勢いを殺しながら、ぴったり白い線の上で止まった。

 次に、紅色の石で緑の石を狙ったとしても、相当のコントロール力がなければ、一緒に線を越えてしまうだろう絶妙な位置どりだった。


「確かにあなたの言うとおり、ある一面では、私は義務ルールが大好き。ゲームを楽しくしてくれるからね。さ、メルメル師匠の番だよ」


 メルは自分の紅色の石を指で持ったまま円の内側に置いた。

 緑の石を指先で弾き、外に出す。


「僕の勝ち」

「ずるいですよ、メルメル師匠。ルール違反だ」

「どうやって石を弾くかについては、決めてない」


 セルタスは少し黙って、考えこむ。

 メルは続けた。


「だから僕はルールが嫌い。誰かが僕の大事なことを勝手に決めてしまったり、本当に大事なことが知らされなかったり、ルールを決める人にいいようにされるのはがまんならないからね」

「なるほど、メルメル師匠はそれが言いたかったわけ……。ねえ、回りくどくないですか?」


 セルタスが勢いよく顔を覗きこんでくる。

 その表情はあまりにも純粋で、メルは苦笑を浮かべるしかなかった。


「こらそこ! 投票用の宝石で遊ぶんじゃない!!」


 ビー玉遊びをしていることに気がついた剣士が勢いよく、自分の手元から球形にカットされたほんもののエメラルドを投げつける。


 メルは反射的に、飛来する高級品をキャッチした。


「いいか、セハの門にはお前も潜るんだぞ、メル!」

「ええ~~?」

「返事は?」


 ジロリ、と隻眼がにらみつけてくる。

 メルは隣のセルタスに恨みがましい視線を向ける。

 その情けない表情に、セルタスは思いっきり笑い声を立てていた。


「待たせてすまんな……」


 重々しい声をかけて、部屋の扉が開いた。

 深い藍のローブをまとい、木でできた長杖を突いたこちらも老人だ。

 長い白いひげを生やしていた。


「遅かったな、トゥジャン……で、どうする?」


 隻眼の剣士が訊ねる。

 トゥジャンと呼ばれた老人は、眉をしかめた。


「わしはいま研究でいそがしい。次もお前でいいだろう……」

「貴様まで自己中心的な発言をしおって……!」


 老剣士のなげきは、その後一時間ほど続いた。



 *



 往来でも、食事処しょくじどころでも、宿でも。


「なっ、頼む! ナターレ様に脅迫されてるんだ。票を入れてくれよ。銅貨一枚だ、この通り!」


 こんな台詞が聞こえてくる季節が、三年に一度、訪れる。


 そうなると街の人々は、そろそろ冒険者ギルドの、ギルド長を決める選挙が開かれる時期だったなあ、と大切なことを思い出すのである。


 オリヴィニスのギルドは大別すると二つに分かれる。


 ひとつは魔術、剣術、弓術などなど冒険者たちに必要な技能を提供する職能ギルド。

 もうひとつは民間からも広く依頼を受け入れ、依頼を斡旋あっせんする冒険者ギルドだ。


 冒険者たちは通常、冒険に必要な技能を職能ギルドで学びつつ、冒険者ギルドに所属して依頼をこなす……といった生活をしている。

 職能ギルドの長は、それぞれの分野に優れた冒険者から、前任者の指名によって選ばれる。

 だが、ほとんどの冒険者が所属しているうえ、生活の根っこを掴んでいる冒険者ギルドの権力や影響力は、オリヴィニスではとくに大きい。

 だから、冒険者ギルドのギルド長は、公平を期して選挙によって決定されるのだ。

 選挙権は所属する冒険者、その全員に与えられている。


「おい店主、頼む! 十票まとめてくれたら、銀貨一枚だ!」

「おっ、お客さん、気前がいいっすねえ~」

「冗談で言ってるんじゃないぞ!」

「もちろん、俺も酔っぱらいのたわごとは信じたりしやしませんよ」


 みみずく亭でも、客と店主の間でこんな会話が延々とくり広げられていた。

 金銭の授受は重大なだが、冒険者たちがそれを止めたことはない。


 同席していたメルは、苦々しい気持ちで、盛り上がる客のようすを眺めていた。


 確かに、ギルド長は選挙で決まる。

 だが、最終的な決定を下すのは冒険者たちの中でも《|師匠連《ししょうれん》》と呼ばれるグループだ。

 師匠連というのは、ギルドでも指折りの実力者のあつまりだ。

 昔は連に所属する者だけが弟子をとることを許されていたらしく、名前はそのときの名残なごりだろう。


 そして、師匠連の連中は、特別な票を持っている。


 おおやけにはされていないが、彼らの票は一票で百と数える。

 全員で二千五百票。

 おまけにその票すべてが、誰に入るかは事前の話し合いで決定済みなのだ。


「トゥジャン師だ! 現魔術師ギルド長のトゥジャン師に一票、頼む!」


 地面に手足を突いて、額を地面にこすりつけているナターレ師の弟子に、肩を叩いてその事実を告げてやりたい気もする。


 だが、あぶく銭でギルドの長を決められてしまうというのも、たまらない。


 メルはその日、久しぶりに酒を飲んだ。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?