待たせたな、と言って、最後のひとりがやって来た。
行きつけの酒場。
安酒とまずい食事が売りで、駆け出し冒険者だった頃、上手くいかないことがあるといつもここでくだを巻いていた、そんな思い出のある店だった。
彼はパーティの面々を見回した。
魔法使いのミーヤ、前衛戦士のハルマ、斥候のシグン、神官のテオ……いずれも三十代前半から後半。
全員、同じ故郷から出てきて、オリヴィニスで冒険者稼業を始めた仲間だった。
それ以来、苦しいときもうれしいときも、共に戦ってきた。
戦ってきた、といっても、堅実な仕事を重ねてきたから、あまり危険な目にはあっていない。
気がつくとメンバーの大部分がそれなりに年を取り、ベテランと呼ばれていた。そろそろ引退したら何をしよう、という話が出て来る頃あいだった。
注文した酒が全員の手に回った頃、男は切り出した。
「なあ、みんなちょっと聞いてくれないか……」
全員の視線が、彼に集まる。
何かを察したようだ。とくに幼馴染のハルマが心配そうな顔つきになった。
「どうした、ヴリオ。あらたまって」
「みんなも知っていると思うが……俺には、故郷に置いてきた妹がいるだろう?」
両親が亡くなり、ヴリオは歳の離れた妹を養うために冒険者になった。
そのことは、仲間たち全員が知っている。
「このあいだ、手紙が送られてきて……倒れたそうだ。もう長くはないらしい……」
酒場の
誰も酒や料理に手をつけようとしない。
よく遊び相手になってくれていたミーヤは、ショックで声も出せない様子だ。
「そんな。だったら、はやく帰ってやらないと……」
「いや……故郷には戻らない」
「何を言っているんだよ」
ハルマがとがめると、ヴリオは固く
「俺は決めた。竜を倒しにいく」
全員の表情が強張った。
竜――言わずと知れた、最強の幻想種だ。
強さもさることながら、知能が高く、その
オリヴィニスにも竜の生息域がある。
だが、ここ十年もの間、討伐報告はなかったはずだ。
「死んでいく妹を黙って見ているだけなんて、俺にはとてもできない。みんな、どうか力を貸してくれ……!」
ヴリオは手紙を握りしめた。
手紙は涙で汚れ、くしゃくしゃになっていた。
「……すまんが、力にはなれない」
一番はやく決断を下したのは、シグンだった。
ヴリオのことは
そう冷静に判断してのことだった。
「ごめんなさいね、ヴリオ……」
結婚してすでに家族のいるミーヤと、婚約者が待っているテオも酒場を去った。
残っているのは、ハルマだけだ。
「……冒険者ギルドに依頼を出して、三日だけ待とう。それでも仲間が集まらなかったら……それでも、俺はヴリオ、お前と一緒に行くぞ」
最後に残ったハルマが命知らずというわけではないのだということを、ヴリオはよく知っていた。
ハルマは故郷にいる年老いた両親に、毎月、仕送りをしているのだ。
もしも帰って来られなかったら、あの二人がどれほど悲しむか……。
ヴリオはそれでも、妹のために「来ないでくれ」とは言えなかった。
「すまん……ハルマ……すまん……」
「いいってことよ」
ハルマは答え、複雑な表情で酒をあおった。
三日後、冒険者ギルドに出された無茶な依頼は、さんざん口さがない冒険者の話のネタにされたものの、名乗りを上げる者は出ないままに終わった。
ギリギリまで待ったハルマとヴリオは口数も少なく、ギルドを出た。
二人だけでは、竜はとても倒せない。
しかし、建物の外で待っていた人物を見て、二人は驚いた。
「遅いぞ、ハルマ、ヴリオ!」
「先に行っちゃうところだったわよ」
そこには、決別したはずの仲間たちが待っていたのだ。
「みんな……どうして……ミーヤ、君には家族がいるのに」
ミーヤは申し訳なさそうな顔を浮かべる。
「いいのよ……家族を失うつらさは、きっと一番、私がわかってるわ。息子と旦那には、ちゃんとお別れを言って来たから」
「婚約者に、友達を見捨てるなんてあなたらしくないと怒られたんだ」
テオが微笑む。
シグンは、照れ臭そうに新調した武器を見せた。
「竜を倒すなら、それなりの準備ってものが必要だろ?」
「お前ら……!」
ヴリオは言葉を失い、往来の真ん中で泣きはじめた。
胸の奥から熱いものが湧きあがり、涙は止まらず、鼻水までこみあげてきたのだ。
そんなリーダーを笑いながらも、そこには一種の緊張感があった。
これから、自分たちよりもはるか上の力を持つ敵に立ちむかうのだ。
もしかしたら、もう二度とここには戻って来られないかもしれない……。
そう思うと言いようのない恐怖が襲ってくる。
けれど、彼らの友情と団結は壊れることはなかった。
「よし、行こう!」
どれほど恐ろしい戦いであろうと、隣には仲間がいるのだから。
*
五人は
オリヴィニスからは徒歩で二日と少しという手ごろな距離だが、
彼らは互いに
そこは白く枯れた岩肌があたりを覆う、不毛な土地だった。
彼らはシグンの先導で、巣穴を奥へと進んで行く。
そして、少し開けた場所に出た。
そこは先ほどまでの光景とは打って変わって、小さな花や草が茂っている。
竜の豊富な魔力に満たされた空気は清浄そのものだ。
「やっと、ここまでたどりついたな……」
岩陰にかくれながら、ヴリオはつぶやいた。
都合のいいことに目的の竜は、彼の目線の先で、体を丸めながら眠っていた。
全身が白い竜で、都合がいいことにまだ幼いらしく体つきが
ヴリオが立ち上がりかけるのを、シグンが小声で制する。
「待て、あれを見ろ……! 子供がいるぞ!」
子供……?
なんでこんな危険なところに、子供が?
しかし、指さした先には、確かにシグンの言う通り、男の子がいた。
十代だとは思うが、あどけない顔立ちで、丸まった竜の腹のあたりに横たわっている。
というか、竜の腹を枕にしていた。
見間違いではないかと、ヴリオは何度も目をこすって確かめたが、幻ではなさそうだ。
「おい、あっちを見てみろよ……」
シグンがまたヘンなものを見つける。
眠りこけている竜と少年のかたわらに、ボードゲームが転がっていたのだ。
遊び途中だったのか、駒が散らばっている。
その脇には、読みかけの本が出しっぱなし。
甘いおやつと、竜が好むとか言われている果物もある……。
「まるで、あの子と竜が遊んでいたみたいだな」
「ええ、友達どうしでね。わたしの息子たちも、よくああやって遊び疲れて眠ってるわ」
思い出したのかミーヤがふふふ、とほほ笑む。
緊張続きの道中で、はじめてこぼれた笑みだった。
「どうする? ヴリオ。奇襲するか?」
竜を倒すなら、眠っている今がまたとない絶好のチャンスだ。
しかし……。
「待て」とヴリオは言った。「今、竜が起きれば、あの子が危険かもしれない……」
妹を救うために竜の鱗は欲しいが、そのために子供まで犠牲にはできない。
理性がかろうじて歯止めをかける。
それに、そんなことをして竜の鱗を手に入れたと知れたら、妹は悲しむだろう。
「起きるまで、少し待ってみよう……」
ヴリオが言うと、仲間たちもうなずいた。
しかし、その時はなかなか訪れなかった。
ひとりと一匹はすやすやと規則正しい寝息を立てているだけだ。
夕方になり、陽がかたむきはじめたころ、ようやく竜はむくりと起きあがった。
つられてうとうとしかけていたヴリオは、慌てて剣の柄に手をかける。
竜は起き上がると、翼を軽く広げ、眠っている少年の頬をべろりとなめた。
「ん、んん~~~、あれ、もうこんな時間?」
男の子は思いっきり背伸びをしている。
「もうそろそろ帰らないとだね。おみやげに、本を持って行くかい? これはもう読んじゃったから、返してくれなくてもいいからね」
少年は本をまとめると、ひもを十字にかけて、竜の後ろ
きゅうきゅう、きゅうう~。
竜は
「また、ゲームの続きをやろうね!」
竜が翼を広げ、羽ばたく。
ヴリオはぼんやりとその光景を見つめていた。
「おい、ヴリオ、どうしたんだ。しっかりしろ。行っちまうぞ、やらないのか!?」
「なあ、ハルマ……」
かろうじて武器を握ってはいるが、ヴリオはすっかり戦意を失っていた。
妹のためと思ってここまで来たが、最後の一歩がふみ出せない。
「ガキのころ、俺は……あんなふうに、竜と友達になりたいって、ずっと思ってたんだ……」
大人たちは恐ろしい魔物の代表のように言うが、本当に人間と同じか、それ以上の知能があるなら、きっと友達になれると信じていた。
子ども時代のヴリオは空想の友人の姿を想像して絵に描き、夜は夢の中で実際に遊んですごしたものだ。
想像の友達だが、それは、そのときは本当の宝物だった。
いつか、自分も冒険の旅に出かけるんだ……そう思っていた子供時代は。
だがオリヴィニスに来て魔物を殺して金を得るようになると、冒険は特別なものではなくなり、味気なく過酷で危険な日々の仕事になってしまった。
「いいのか、ヴリオ」
「ああ……」
ヴリオは言いようのないむなしさと、
それは、ハルマも同じだったらしい。
ミーヤも、シグンも、テオも、風を巻き起こしながら空に舞い上がり、小さくなっていく雄大な竜の姿を見送っていた。
これで、妹を救う手段はなくなった。
うなだれているヴリオの肩をハルマが叩いた。
空から、はらりと舞うものがある。
太陽の光にきらりと輝く白い花びら……いや、鱗だ。
それはまっすぐに落ちて、下にいる男の子の手に収まった。
彼はくるり、と振り返り、正確にヴリオたちが隠れている岩場を見つけた。
「こんにちは、おじさんたち……。君たち、あれだね? まだ銅クラスなのに
男の子は荷物をひとまとめにすると、背負った。
あまりに大きな荷物なので、少年よりだいぶはみ出している。
「君は何者なんだ……?」
「僕はメル。よかったらこれ、おじさんにあげるよ」
少年はすれ違い様、ヴリオの手に固いものを押しつけた。
それは美しい竜の鱗だった。
「あいつ、毎回くれるから結構たまってるんだ。それじゃあね!」
メルは元気に手を振って、楽しげに坂道を下っていく。
ヴリオと仲間たちは、呆然としてその後ろ姿を見送っていた。
その後、ヴリオたちは鱗を手に故郷に戻った。
病の妹が助かったかどうかは……あえて語るまい。