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第3話 はじめての冒険道具

 オリヴィニスの商店には、きちんとした店舗を構えたものと、路上に出ている屋台の二種類がある。


 屋台市場には、今日も様々なものを商う屋台がずらりと並んでいた。

 雑貨を売る店、衣服を売る店、食べ物を売る店。ちょっとした食事を提供するために火を使っている屋台もある。


 メルは人混みをするする抜けながら、いつも買い物をする雑貨屋の軒先にたどりついた。

 店主は若い女性だ。

 褐色の肌と黒い瞳が南方を思わせる。


「あらあ、メル。また来てくれたの? 贔屓ひいきにしてくれてありがとね」


 メルはたくさんの商品からロープを一巻き手に取ると、代金と一緒に差し出した。

 クルクルと輪の形に巻いて縛ったロープを抱えて、メルは宿に戻ろうとした。


「こら! 泥棒!」


 野太い怒鳴り声が聞こえ、メルはびくりと肩を震わせて街路を振り返った。

 すると、人混みが波のように割れて行き、こちらに向かって走ってくる屋台の店主と思しき男がいた。男はなたを振り上げて小さな子どもを追いかけまわしている。

 男の子の頭はぼさぼさで身なりは汚れていた。


「あらら、またやってるわ……」

「知ってるの?」


 メルが訊ねる。


「最近、ここいらに住み着いた浮浪児よ、食べものを盗んではよくああして追いかけまわされてるの」


 ただ現在、その腕には食べものではなく……革のさやに入った剣が抱えられていた。

 二人がメルの前を通り過ぎたとき、店主は突然、足を絡ませて地面に前のめりに倒れていった。


「うぐッ」


 その両足にはロープがグルグルに絡まっている。


 店主がなんとか起き上がってあたりを見回した。


 持っていたはずの巨大な鉈は自分の手を離れ、雑貨店の前に立つ少年が手にしていた。


 身なりは冒険者らしいが、小柄で子供のような顔つきだ。


 少年は鉈の重さを確かめるみたいに左右で取り回し、片手で投げ上げて、ひゅるひゅると回転させて同じ手でキャッチしてみせた。

 メルは鉈を地面に刺し、へたりこんでいる男の子の手を取って走りだした。


「おいこら、待ちやがれ!」


 男は追いかけようとするが、立ち上がれない。

 なり行きを見守っていた通行人たちが、あきれた様子で声をかけて行く。


「おっさん、子供相手に情けないぞ」

「武器はやりすぎだ。腕でも切り落とすつもりだったのかよ」

「うるせえ!」


 一声吠えて、店主は足に絡みついた縄に取りかかった。



 *



 市場の外れ。


「どうして剣なんか盗もうと思ったの?」


 メルの問いかけに、浮浪児はむっつりと黙ったままうつむいた。

 しかし、その手には渡したサンドイッチがしっかりとにぎりこまれている。

 サンドイッチといっても、パンにチーズとハムを挟んだだけのもので――ついでに言うと、これはメルの昼食だった。


 ぐうう、と男の子の腹の音が鳴る。


 食べていいよとうながすと、勢いよくかぶりついた。

 喉につまらせそうな勢いだ。

 水筒を渡すと、入っていた水をすっかり飲み干してしまった。

 メルが差し出した二つ目も腹におさめ、さらに三つ目に取りかかろうとしたとき。


「……金が、無くて」とぽつりと呟いた。


 男の子の目じりには涙が浮かんでいた。

 ぽつりぽつりと語ったところによると、彼の両親は訳あって旅をしていたが、病にかかりオリヴィニスの安宿で亡くなったようだった。遺体は宿の主の手で焼かれ、孤児となった子どもは往来おうらいに放り出され、それきりだ。


「食べ物を盗んでは捕まって、なぐられて。でもまた腹がすいてのくりかえし……ここは冒険者の街なんだろ? 俺も冒険者になれば、自分で稼いでいける。俺は冒険者になりたいんだ」


 だから、こんなに腹が空いていても、食べ物ではなく剣を盗んだのだ。


「冒険者になるのは言うほど簡単なことじゃない。何より魔物と戦うのは恐ろしいことだよ」


 魔物、と聞いて、男の子はかすかにふるえた。

 まだ十にも満たない子供にとって、大人から伝え聞く魔物の伝承は、想像力をかき立てられて実物よりももっと恐ろしいものに変貌へんぼうする。

 守ってくれる者のいない男の子にとっては、なおさらだろう。

 しかし、彼はなけなしの勇気をふるった。


「飢え死にするより怖いものなんかあるか! こんなもの!」


 男の子は食べかけのサンドイッチを地面に叩きつけようと振り上げ……下ろすことはついにできなかった。

 彼は、怒りのあまり泣きながら、残りのサンドイッチを食べた。

 よっぽど腹が空いていたのだろう。


「おいで」


 食べ終わった頃を見はからい、メルは市場に引き返していった。


 *


 道具屋が取り出した革鞄は、中古だが上等のなめし革を使ったいいものだった。

 そこにロープや防水マッチ、たいまつ、毛布、水袋に武器やナイフの手入れ道具とメルが選んだ道具を詰めていく。次から次に物が現れて、目まぐるしいくらいだった。


「ナイフはガードのあるやつね」

「いいけど、武器としては使えないよ」

「指を切ると痛いから。見せて」


 メルは鞘を外して、グリップを握ってみる。


「これはあんまり良くないなあ」


 道具屋といっても、そこは冒険者の街の道具屋だ。

 冒険者たちが頻繁ひんぱんに買い求めるものは一通りそろっている。


 伝統的な干し肉や果物といった保存食は一週間分。

 武器屋で購入した丸い革の盾を装備し、剣を腰に下げる。


 剣を持って戦うのなら、それはほかの仲間達の最前列に立つということだ。

 敵を押し留めるための防具に金は惜しめない。

 鎧下よろいしたの上に軽装鎧をまとえば、鏡にうつるのはぴかぴかの新米冒険者の姿だった。


 あまりにも幼いので、まわりの客はくすくすと笑っていたが、そんなことには男の子は気がつきもしない。これだけ色々な物を持っていれば、どんな恐ろしいものが襲ってきても返り討ちにできる気がしていたのだ。


「代金は僕が払っておくよ。その剣のお代もね」

「高いんじゃないの?」

「冒険者ギルドに借金でもするかい? 高くつくよ」


 最後に、メルは自分のナイフを腰から外して男の子に手渡した。


「これはぼくからの贈り物だ。君が無事に戻ってこれるように」


 よく手入れされた立派なナイフの刃には、刃こぼれはおろかくもりひとつなく、そばかすの浮いた顔がうつっていた。

 柄に巻かれた革は色が深くて濃く、しっくりと手に馴染む。

 たくさんの物を見たが、こんなにいいものは他には無い気がした。


「いいの?」

「構わないよ」


 メルがうなずくと、男の子は顔をほころばせた。


「でもね、ひとつだけ忠告だ。魔物がたくさんいる迷宮の中で、自分を守ってくれるのは道具でも武器でもない。知恵と工夫、それと『ここ』だけだよ」


 メルが男の子の心臓――心を指先で示す。

 その瞬間、男の子の心の中で膨らんでいた自信は、みるみるうちにしなんでいった。


「さあ、行っておいで」


 軽く背中を押されて冒険者ギルドの建物に送り出されると、不安な気持ちはますます大きくなっていく。


 鎧を着ているのに、自分が強くなったとはとても思えない。


 一歩、歩くごとに寂しさがつのる。


 男の子は引き返すと、黙って待っていたメルに短剣を差し出した。

 メルはそれを受け取って、やせた体を抱きしめてやり、鳶色の髪の毛をわしわしと掴むようになでたのだった。



 *



「――それがね、俺とメルメル師匠の出会いってヤツなんすよ」


 みみずく亭の若い店主は、火にかけた鍋をゆする手を止めずに、客に向かって話しかける。


 週末は迷宮に潜り、迷宮洞窟なら最奥十層まで楽に行って帰ってくると噂されている店主・ルビノは確かに細身ではあるが、エプロンの下はたくましく鍛えられている。

 背はすらりと高く、話の中に登場する男の子とは何もかもが違う。


 面影おもかげは、そばかすくらいのものだろうか。


「それにしたって、意外なのは……」


 名のある冒険者だろう鎧をまとった客が怖々と背後を振り返る。


 そこにテーブルを皿でいっぱいにして料理をむさぼる、どうみても十五、六といった少年がいた。


 視線に気がついて野菜のクリームスープから顔を上げるが、きょとんとした顔はどうみても……。


「おい、みみずくの。お前今いくつだ」


 店主は首を傾げる。


「うーん、正確なトシなんざわかりませんがね。とっくの昔に成人して、22……24ってところかなあ」


 客はそれを聞いてぶるりと震えた。


「歳をとらないにもほどがあるぜ、あいつは……」


 うらやましいを通りこして、恐怖だ。


「カエル肉の炒め物、お待ちどお!」


 奇抜なメニューで不人気を博しているが、味はいいともっぱらの噂のみみずく亭に、オリヴィニスの七不思議を前にしてまったく不思議とも思っていないらしい店主の、元気な声が響いた。

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