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第20話

「…違ったか?」



固まる私にテオドール殿下は怪訝な顔つきになる。その顔を見て私は我に返った。



「い、いえ…ありがとうございます。」



怯むな、私。顔は同じだが彼があのアルベルト様である証拠はない。恐れるな。今は何事もなくこの場を乗り切るのだ。


私は自身を奮い立たせ、差し出された本を受け取った。



「…エメラルドの瞳。」



本を受け取った手がふるりと震える。



「姿かたちは違うが、瞳の色はあの時と同じなんだな。」



あの時ってどの時?


それは300年前の時。それしか考えられない。瞳の色なんて何度も変えられるものではないのだから。


彼の言うとおり私は300年前と瞳の色だけは変わっていない。


静かなサファイアの瞳と目が合った。



「…あっ…」



手元からするりと本が滑り、バサバサと音を立てて足下に落ちた。



「…っ!も、申し訳ございませんっ。」



皇太子殿下から差し出された本を落とすなんて!こんな無礼な真似許されない…!


私は顔を蒼白にし、本を拾い上げようとしゃがみ込んだ。早く、早く拾わないと、謝罪をしないと。焦れば焦るほど私の手は震え、中々本を拾い上げることが出来ない。その事が更に私を焦らせる。



「…おい、大丈夫か」

「…っ」



テオドール殿下は立ったまま私に手を伸ばしてくる。それが前世の彼と重なって見え、私は咄嗟に頭を両腕で庇う。彼の息を呑む気配が伝わってきた。


まるで身を守るような自身の行動に驚いたが、300年前のある映像が私の頭にフラッシュバックした。


暗く冷たい檻の中、私はひたすら彼からの拷問を受け続ける。


―痛い、やめて、やめてください。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い…。


何度訴えても彼は聞き入れてくれない。それどころか更に怒りを増幅し拷問は激しさを増してゆく。


―痛い、痛いよ、やめて…痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い…お許しください、アルベルト様…



「…ぁ…」


痛い。心が痛い。ココロを、心を守らなければ…。私は、壊れてしまう…。


自分の心を守るために私の本能が防衛機制を働かせた。300年前のように剥き出しの心に鎧をつける。


もう身体は震えてない。彼に対する恐怖も戸惑いも、何もかも感じない。


今の私は無だ。


本を拾いすっと立ち上がり、笑みを貼り付けた。



「尊く偉大なるノルデン帝国の皇太子殿下。大変お見苦しいところをお見せしてしまいまして、申し訳ございません。」



無機質な声で謝罪をしながら、ワインレッドのワンピースの裾を軽く持ち上げ深々と頭を垂れる。



「…頭を上げろ。別に気にしてない。」

「皇太子殿下のご寛容に心より感謝いたします。…御無礼を承知で申し上げますが、わたくしは今すぐに弟を迎えに行かなければなりません。ですので後日、必ず今日のお詫びをさせていただきます。…失礼致します。」

「…あぁ。…」



私は本を片手に魔力保持者の校舎へと向かった。この校舎に足を踏み入れたのは今日が初めてだ。


教員の研究室の場所を生徒達に聞き、そこに向かう。すれ違う生徒達の声は私の耳に届いていた。



「あれは確かシューンベルグ卿の姉君じゃないか?」

「あぁ、あの方が。」

「噂はこっちまで届いているよ。とても聡明な女性らしいね。」

「遠くからでも気品が感じられるよ。」

「ああいうのを淑女と呼ぶんだろうな。」

「まさに淑女の中の淑女、淑女のカガミだよ。」



自分で望んでいた認識であるはずなのに、何を聞いても他人事のように感じた。私は生徒達の言葉をただただ聞き流す。


目的の教員の研究室に着いた。ノックもせずにドアを開けると、中には私を見て目を丸くする教師とユリウスがいた。



―気品がある聡明な女性?淑女の中の淑女?淑女のカガミですって?ははっ



そんな人、何処にもいない。


私の中で何かがガラガラと剥がれていくような音がした。


あぁ、私は何処から勘違いをしていたのだろう。


最近平和だったから…いや、違う。この世界に生を受け何不自由なく人生を歩んできたから、勘違いをしてしまったんだ。ここまで私が生きてこられたのは父と義弟のおかげ。自分の力ではない。分かっている。


だが、前世の記憶が戻った私は無意識にこう思った。私は惨めに死んでいった出来損ないのエリザベータ=コーエンでは無い。新しく生まれ変わったエリザベータなのだ、と。前の私とは違うのだと。


そんな訳ないのに。


どんなに自分を嘘で塗り固めて人に良く見せても、中身までは偽れない。


あの人に会っただけで簡単に剥がれてしまう鎧なんて…意味が無い。


結局、私は300年前の私と何一つ変わっていないのだ。


私は迷いなく早足でユリウスの元へ足を進める。



「姉上?どうし…」



ユリウスが言い終わる前に勢いよく彼に抱き着いた。加減を気にせず、まるでユリウスに体当たりをするかのように抱き着いたのにも拘わらず、ユリウスは後ろに倒れることなくしっかりと抱き留めてくれた。


横に居る教師が目を点にして見ているが、今の私にはどうでもいいことだ。


ユリウスの肩に顔を埋める。



「…何かありましたか?まるで昔の姉上みたいな…」

「帰りたい。」



ユリウスの言葉を遮り、私の意思を伝える。戸惑いを見せていたユリウスも何かを察してくれたようで優しく私の頭を撫でてきた。



「えぇ、帰りましょう。…コニー先生、もう必要な手続きは終わりましたよね?」



放心状態だった教師がはっと我にかえる。



「え、あ、あぁ。全ての書類に目を通してくれたし、もう大丈夫ですよ。」

「そうですか。それではこれで失礼致します。…姉上、そのまま僕に掴まっててくださいね。」



私は義弟を抱き締めている腕に力を入れる。すると、なにやら周りの空気が変わったような気がした。義弟の肩から少し顔を上げ驚いた。いつの間にか、いつも使用している馬車の中に居たのだ。



「…転移の魔法を使いました。…姉上、図書館で何かありましたか?」

「あぁ、ユーリ、ユーリ…」



どんなに頑張ってみせても所詮、1人では何も出来ない出来損ないのエリザベータなのだ。








※※※※※※




コニー先生side






アシェンブレーデル姉弟が急に私の目の前から姿を消した。まぁ、弟の転移の魔法だろう。



「軽々しく転移魔法を使われると私達、教師の立場がないんだけどなぁ…」



やや自嘲気味に笑う。


転移魔法とは、高い魔力と技術が必要とされる高度な魔法なのだ。本来、1年生が扱えるものでは無い。未熟な者が人に使えば、必ず身体の何処かを置いてきてしまうのだ。足1本、指1本、酷い例として過去に身体は転移されたが、内蔵のみ残ってしまった、という者も居たらしい。


そんな魔法を易々と使ってしまうのだ。天才としか言いようがない。だからこそこの異例中の異例の留学の件が通ったのだろう。まだ子供なのに恐ろしい。


もしかしたらあの方よりも…?…いや、それは無い。この世に“青の魔力”に勝る魔力なんて存在しない。それがこの世界の理なのだから。


私は先程ユリウス君が記入した書類に漏れがないか再確認を始めた。



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