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第9話

ユリウスと別れ、私は一般生徒の校舎へと向かう。


自身の教室に入れば皆の視線が一気に私に集まった。内心狼狽えるが、それを表に出すこと無く空いている席に素早く腰を下ろす。


そんな私の耳にヒソヒソと話し合う声が入ってきた。



「あの方は?」

「ほら、噂の…。」

「昨日の社交界でチラリと見たわ。」

「でも、すぐ帰ったらしいぞ。」

「きっとダンスが踊れなくて帰ったのよ。恥をかく前にね。」

「あんなのが姉だなんて、公子はさぞかし大変だろうな。」



敢えて聞こえるように言っている陰口には慣れている。必要のないものは聞き流せばいい。それは前世で嫌という程学んだ。


下手に立ち向かっていけば、こちらが怪我をするのがオチなのだ。


それにああやって陰でしか、ものを言えない輩は所詮その程度、それ以上のことなど出来やしない、そんな度胸彼等にはない。


彼等は自分一人では何も出来ない弱い生き物なのだ。弱いからこそ、自分より弱い人間を見つけて餌食にせずにはいられない。餌食にして彼等は安心するのだ。あぁ、自分はこんな惨めなんじゃない、これよりもずっと強い生き物なんだ、と。




300年前から何も変わっていない。


弱者の生き血を吸ってしか生きていくことの出来ない、まるで寄生虫のようだ。



「エリザベータ嬢。」



突然一人の青年が声を掛けてきた。こんな状況の私に声を掛けるなんてすごい度胸だと驚く。



「貴方は…。」

「失礼、申し遅れました。僕はトミー =キッシンジャーです。昨日の社交界でお見掛けした時からずっと貴女とお話ししたくて…やっと話せました。」



トミー =キッシンジャー。キッシンジャー…。


記憶を遡り、今朝の朝食に出てきた名前だったことを思い出す。確かキッシンジャー家は元々は平民のような暮らしをしていたが、貿易の事業が成功し莫大な資金を手に入れた一族だ。分かりやすくいえば成金一族。


…だからだろうか、私に話し掛ける彼の表情には自信が満ち溢れている。



「あら、そうでしたの。」

「えぇ。エリザベータ嬢、貴女は今優秀な弟君が居なくてさぞ心細いでしょう。」



彼の言葉にあちらこちらクスリと笑い声が聞こえる。



「何か分からないことがあれば是非僕に聞いてください。勉強でも、それ以外のことでも…。」



そう言いながら下から上と私を品定めする視線にぞわりと鳥肌が立つ。


私を上手く取り込めばシューンベルグ公爵家と太いパイプを作ることが出来る、といった魂胆が見え隠れしていた。…だいぶ舐められているようだ。



「…ありがとうございます。確か、キッシンジャー様のお父様は貿易商を営んでいるのでしたっけ?」

「ご存知でしたか!えぇ、そうなんですよ。貴女に知られていたなんて光栄です。自慢では無いのですが、仕事の関係で邸には他の国の珍しいものを多く飾っておりまして…あぁ、そうだ。今度、我が邸に…。」

「私、今デューデン語を勉強してますの。貿易商のご子息であるキッシンジャー様ならデューデン語も堪能そうですね。」



デューデン語とは、このノルデン帝国の南に位置するデューデン国の言語で貴族の一般教養の1つだ。デューデン国はノルデン帝国と隣合っており、永らく友好な関係を築いている。そのため貿易も盛んに行われているのだ。



「デューデン語でしたら他の人より出来る自信があります。何でも聞いてください。」



そう言うと思った。だから、この話題を振ったのだ。


好物の餌を撒けばこうも簡単に食いつく。その餌には毒が仕込んであるかもしれないのに…。



「まぁ、頼もしいですわ。早速なのですが…」



鞄から1冊の本を取り出し彼に見えるよう机の上に置く。休み時間にでも読もうとしていた本だ。


「どれどれ。」と得意げな顔で本の表紙を覗き込んだ彼の顔が強ばった。その様子に内心ほくそ笑む。



「最近、デューデン国の神話にハマっておりまして、これはデューデン国から取り寄せた原書なんです。」



目的のページまでパラパラと捲り、訳して欲しい部分を指さした。



「どうしてもこの部分の訳が上手く出来ずにいまして…教えてくださいます?」



そう言って彼を上目遣いで見ると、彼はどんどん顔色を悪くしていった。


それもそうだろう。


この本は、最近流通している近代化されたデューデン語では無く、古代の文字そのものの書物なのだから。普通、こういった書物は専用の辞書がないと訳をするのは難しい。まぁ、辞書があった所で彼に訳せるとは当然思えないが。


大勢の前で得意分野だと豪語したのだ。プライドの高い彼は今更引き下がれないだろう。



「…あぁ、これはですね…“神の前では皆平等だ”と書かれていますね。」

『違います。』

「え。」



まるで鳩が豆鉄砲をくらったような、なんとも間抜けな顔をしている彼に構わずデューデン語のまま話を続ける。



『これは貴方でも分かるように訳すと“自分を良く見せたいが為に嘘をつき続けた青年が最後、全てを見ていた神によって天罰が下った”という意味です。…まるで貴方みたいですね?』

『なっ…!?知っていたくせに聞いてきたのか…!馬鹿にしやがって!!!』



顔を真っ赤にし逆上する彼は何故か私と同じくデューデン語で怒りをあらわにしてくる。その姿に、思っていたよりもデューデン語の教養はあるんだな、と思った。



『最初に馬鹿にしてきたのはそちらでしょう。どうせ嘘を言っても分からないだろう、とでも思いましたか?』

『ぐっ…』

『帝国を代表する公爵家の娘である私にこんな無礼な真似、非常識にも程がありますわ。』



屈辱に顔を歪める彼を見て追い打ちをかける。彼はまだ分かっていない。自分が何をしたのか。



『…貴方のお父様も可哀想ですね…。』

『何故今父が出てくる。』

『何故って…貴方の軽はずみな行動のせいで一代で築き上げた資産を全て失うことになるのですから…。』

『はっ、何を馬鹿なことを言っているんだ。そんな訳…。』

『私が父から溺愛されている話は勿論ご存知でしょう?そんな私が父にこのことを伝えたらどうなるでしょうね?』

『…っ。』



彼の顔がみるみる青くなっていく。今更気付いても遅い。貴方はそれほどのことをしたのだから。



『何の後ろ盾のない成金一族が没落するなんて話、よく聞きますよね?』

『や、やめてくれ…。俺が悪かった…。何でもするから…。』



先程の威勢は何処へやら。所詮、彼もこの程度だったのだ。



『何でも?そういったことは軽々しく言わない方が身のためですよ。…でも、そうですね…。今後、私に必要以上に関わらないって約束出来ます?』

『それ、だけでいいのか…?』



あからさまに安堵する彼に釘を刺す。



『えぇ、私だって鬼じゃないですもの。…但し、次は無いですからね?』

『…っ。』

『最後に1つだけ教えて差し上げます。貴族は親しい間柄でしか名前を呼んだりしません。…貴方に、私の名を呼ぶ権利を与えた覚えはございませんわ。』



不敵な笑みで彼を見れば彼の顔色は青を通り越して土色になっていた。



「あら、キッシンジャー様…顔色がすぐれないようですが…大丈夫ですか?」



勝敗はついた。もうデューデン語で話す必要は無い。いつも通りノルデン語で話す。



「あ…。あぁ、そうですね。シューンベルグ公爵令嬢の言う通りどうやら調子が悪いみたいです。…失礼致します。」

「えぇ、お大事に。」



逃げるように教室から去って行った彼の後ろ姿を見送る。


同じ空間にいる生徒たちは何が起こったのか分からず戸惑っているようだ。きっとデューデン語が分からないのが大半なのだろう。だが、今はそれでいい。時間はたっぷりある。



―あなた達が一体誰に向かって喧嘩を売ってるのか、ゆっくり分からせてあげる。



そう思いながら私は本を読み始めた。




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