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第7話

「……よかった……ちゃんと、お礼……言えた……」


修也の授業初日の晩、詩歌は自分の部屋で安堵の息を吐いていた。

元々極度のあがり症で、さらに男に対して強い恐怖心を抱いている詩歌。

不思議と修也に対しては恐怖心は湧かなかったものの、それでもあがり症まではどうにもならない。

修也を目の前にして何を言うのだったのかを忘れてしまい、軽くパニックに陥ってしまった。

しかしそこを一緒に来ていた蒼芽がうまくアシストしてくれて、何とか当初の目標である『お礼を言う』を達成できた。


(……友達がいるって……こんなに素敵なことなんだ……)


こんな自分と友達になってくれた蒼芽には感謝しかない。

今まではただ機械的に学校へ行き、授業を受けて、自分で作った弁当を一人で食べ、一人で帰る。

そんなつまらないモノクロの毎日だったのが、友達がいるというだけで一気に華やいで見えた。


「……明日からは、楽しい気持ちで、学校に行けそう……」


誰に言うでもなくぽつりと呟いた詩歌。

その表情は穏やかで、明日からの学校生活への希望が垣間見えた。


「……み~~た~~わ~~よ~~~~?」


そんな詩歌の背中にまとわりつくような声がかけられた。


「!? ひぅっ!!」


詩歌は驚いて変な声を上げてしまう。

恐る恐る振り返ると、部屋のドアが少し開けられており、その隙間から姉の爽香が顔を覗かせていた。

その表情は無駄に輝いていた。

たとえるなら、『とても面白そうな新しいおもちゃを見つけた子供の顔』である。


「お、お姉ちゃん……み、見たって……何を……?」

「あの内気で奥手でお父さんと彰彦以外の男とはまともに話すらできない詩歌が、今日うちのクラスに転校してきた土神君と話してた所よ」

「え、えっと……その……」

「今までできる限り男と話す機会を徹底的に避けてきたのに、わざわざ2年の教室がある階にまで来て土神君と話してたってことは……」

「あ、あの……土神先輩、とは、そんなのじゃあ……」

「あら~? 私はまだ何も言ってないわよ? そんなのってどんなのかしらね?」

「え……? あぅ……」


爽香のペースに巻き込まれ、詩歌は顔を真っ赤にさせて俯いてしまう。


「まっ、詳しい話はリビングで聞きましょうか」

「え? な、何で……?」


話をするだけならここでも良さそうなものなのに、爽香はリビングに行こうと言う。

詩歌としては、たとえどこだろうとも気乗りは全くしないのではあるが……


「さっきお母さんと軽く話したら、メッチャ詳しく聞きたがってたから」

「え……えぇっ!!?」


爽香の言葉に、詩歌はらしくない大声をあげてしまった。


「ほら行くわよ。面白い話を期待してるわよ」


そう言って詩歌の腕を掴んで引っ張る爽香。


「そ、そんな……面白い話なんて、何も……」

「大丈夫! 私の予想では十中八九面白いことになるから!!」

「えぇ……」


無駄に生き生きとした表情をした爽香に部屋から引っ張り出される詩歌。

その表情は爽香とは対照的に、半ば諦めの表情であった。



「いらっしゃーい! 待ってたわよしいちゃん」


リビングに入ると、詩歌と爽香の母がソファーに座って待ち構えていた。

その目は物凄くキラキラしている。


「な……なんでそんなに、目を輝かせてるの……お母さん……」

「だって~、さやちゃんに聞いたわよ? あのしいちゃんに男の子のお友達ができたって言うんだもの」

「と、友達だなんて……そんな、私は……」

「あぁー、友達じゃなくて気になる人か~」

「っ!!?」


母親に指摘され、詩歌は耳まで真っ赤になった。

そうじゃない、と言えば噓になる。

自分の窮地を華麗に救ってくれた人だ。気にならないわけがない。

しかしそれを言うと絶対ややこしいことになる。なので詩歌は黙っていることにした。

まぁ元々何を言っても聞いてくれないという諦めもあるのだが。


「で、どんな子なの? イケメン? クール系? ワイルド系? 背は高い方? 右利き?」

「……利き腕、関係ある……?」


次々とまくし立ててくる母親に対し、詩歌はそう言うのがやっとだった。


「関係ないとは言い切れないでしょ~? しいちゃんがもしかしたら『私は左利きの人とお付き合いはしたくない!』って人かもしれないし」

「……私、そんな事言った覚え、全く無いんだけど……」

「さやちゃん、で、その彼……」

「土神君よ」

「そうそう土神君! ……の利き腕はどっち?」

「あくまでもこだわるんだね、お母さん……」

「さぁ……特に意識してなかったけど、彰彦と一緒にお昼食べた時は別に違和感無かったし、右利きじゃない?」

「そっかー! 良かったわね、しいちゃん!」

「……何が良かったのか、さっぱり分からないんだけど……」


何故か嬉しそうに笑う母親に対して呆れた顔をする詩歌。


「じゃあ次! 背は高いの?」


詩歌を見ながら尋ねる母親。


「……え? わ、私に聞いてるの……?」

「もちろんっ! しいちゃんから見た土神君の印象を知りたいのよ」


えらくウキウキした顔で言われて戸惑う詩歌。

ただまぁ、背の高さくらいなら特に話しても変な勘繰りはされないだろう。

そう思い、詩歌は話し出した。


「えっと……私よりは、高い……かな……?」

「そりゃそうでしょ。高2で詩歌より背が低い男とか、むしろ少数派よ。下手したらいないわよ」

「あぅ……」


爽香に突っ込まれて俯く詩歌。

詩歌の身長は平均よりやや低めだ。

身長だけでなく全体的に平均より少しだけ小さい。


(体重が軽くておなか回りも細めなのは良いんだけど、それ以外はもうちょっと大きくなりたいんだけどなぁ……)


それが今の詩歌の目下の悩みである。


(舞原さんくらいなら、短めのスカートとか、可愛い服とかも似合うのかな……舞原さん、制服も可愛く着こなしてるし……)


背丈はあまり変わらないのにこの差は何なのだろう。

人知れず詩歌は凹んでいた。


「それじゃあ、彰彦君と比べたらどうなの?」

「彰彦よりは高いわねぇ」


そんな詩歌をよそに、話は勝手に進んでいく。


「あらっ、じゃあかなり背高いのね? 何かスポーツやってたのかしら?」

「特に何もやってないそうよ? ……の割には身体能力高かったけど」


爽香は今日の体育の授業を思い出しながら言う。


「凄いわしいちゃん! 背が高くてスポーツマンとか、イケメン要素てんこ盛りじゃないっ!」

「な……何で私に言うの……?」


まるで自分の事のように喜ぶ母親に、顔を真っ赤にさせる詩歌。


(……私的にはそれだと霧生君のイメージが強いわね……)


戒のせいで爽香にはその要素では脳筋のイメージしか湧かない。

そして爽香的には脳筋はご遠慮願いたい。

別に戒も決して悪い奴ではないのだが、爽香のタイプではない。


「で、肝心の馴れ初めをまだ聞いてなかったわね」

「な、馴れ初めって……」

「あ、それは私も聞いてないわ。詩歌、土神君と何処で知り合ったのよ? 接点無いでしょうに」


学年が違えば部活をやっている訳でもない。

クラス別イベントというものが今の学校にはあるが、まだその手のイベントはやってない。

そもそも今日転入してきた修也が参加出来るわけも無い。

詩歌と修也に接点などある訳が無いのだ。


「そ、それは……その……」

「階段を上ってきたという事は、明確に土神君に会う理由があったのよね?」


基本的に学校はひとつの階層にひとつの学年を纏めて配置する。

今の学校も例外ではなく、学年が上がる毎に階層も上がる。

高学年生が下りるならただ帰宅するとか部活に行くなども考えられるが、低学年生があえて上がることなどめったにない。

なのに詩歌が2年の教室がある階層に上がってきたということは、2年生に用事があるという事。

爽香や彰彦ではなく、修也と話していたということは、修也に用事があったと見て間違いない。


「えっと……その……お礼が、言いたかったの……」

「お礼?」

「う、うん……昨日、お買い物の為にモールに出かけたんだけど……」

「ああ、行ってたわね」

「その時に、怖い男の人たちに、囲まれちゃって……」


そう言って両腕で自分の体を抱く詩歌。

今でもまだ怖いらしい。


「えぇっ!? それでしいちゃんは大丈夫だったのっ!!?」


それを聞いて母親は顔を青ざめさせて詩歌に問い質す。


「お母さん落ち着いて。大丈夫だったから今ここにいるんでしょ?」

「それはそうだけど……やっぱり心配になるじゃない?」

「もう怖くて……何も出来なくて……ただ震えてた……その時に、たまたま通りがかった、土神先輩が助けに入ってくれたの……」

「なるほど、そこで知り合った訳なのね」


爽香の言葉にコクンと頷く詩歌。


「……先輩は凄いの。何人もの怖い男の人たち相手に、ひとりで立ち向かって、それで無傷で全員追い払っちゃったの」

「なるほど、土神君はスポーツじゃなくて何か武道をやってるわけね」

「それでしいちゃんは助けてもらったお礼を言いたかったわけね〜?」

「う、うん……その時は、まだ……怖かったことが、まだ残ってて……助けてくれたお礼を言うことも、忘れちゃってたから……」

「うんうん、ちゃんとお礼を言おうと思ったのは良いことだよ?」


笑顔で頷いて、詩歌の行動を褒める母親。


「でも詩歌、よく土神君が2年だって分かったわね?」

「それ以前によく同じ高校だって分かったわね~? 昨日は日曜だったから制服は着てなかったでしょ?」


至極当然の疑問をぶつける爽香と母親。


「えっと……土神先輩、うちのクラスでは凄い人気者だから……」

「はい? なんでよ? 土神君は今日転入してきたのよ? それがどうして人気者に? それも全く関係ない詩歌のクラスで」


爽香の疑問はもっともだ。

転入初日なのに別クラスで人気者とか、意味が分からない。


「……お姉ちゃん、先週の金曜日、すぐ下校になったの、覚えてる……?」

「そりゃもちろん。3日前の事だし。変な奴が学校に侵入してきて暴れてたんでしょ?」

「う、うん……それ、うちのクラスだったの」

「えぇっ!? それでしいちゃんは大丈夫だったのっ!!?」


さっきと同じセリフで詩歌に問い質す母親。


「だから大丈夫だったから今ここにいるんでしょ?」

「でもそういう事件って怪我人とかいっぱい出るじゃない?」

「……あ、それは大丈夫……怪我人は、ひとりも出てない、よ……?」

「あらそうなの? だったら良かったわぁ」

「でもそれと土神君が人気者なのとどう繋がるのよ?」

「えっと……それは、土神先輩が……犯人を、倒しちゃったから、かな……」

「「……え?」」


爽香と母親が同時に聞き返した。


「え、なんでまだ転入してない土神君が学校にいたのよ?」

「それはほら、転入手続きとかがあったんじゃないかしら?」

「そこはそれで良いとしても、なんで詩歌たちの教室に現れたのよ?」

「それは……分からない、けど……それで、クラスのみんなはお祭り騒ぎになって……」

「まぁそれはそうなるわよねぇ」

「…………それで、あれは誰だったんだって……話になって……それで、今日……2年に転入してきた人だって、分かったの……」

「あー……クラスにひとりくらいいるわよね、そういう情報通的な人」


納得いったようで、爽香は頷く。


「でもそれだけで男の子が苦手なしいちゃんが会いに行こうと思うなんて、よほどその土神君が気になってたのね〜」

「……えっ!?」


予想外の母親の指摘に、詩歌は再び顔の熱が上がっていくのを感じた。


「……あ〜、なるほどね〜」


爽香は何かを察したようで、ニヤニヤしながら詩歌を見ている。


「ち、違うってば……! 私は、助けてもらった、お礼が言いたかった、だけで……!」

「どうせならもっと仲良くなればいいじゃない。1歳差くらいどうってことないわよ」

「ねぇ、今度うちに連れてらっしゃいな。土神君がどんな男の子なのか、お母さんも気になるわぁ〜」

「だったら彰彦にも協力してもらいましょ。詩歌の男への苦手意識を克服する良い機会だわ!」

「そ、そんな……土神先輩にも、アキ君にも、迷惑だよぅ……!」

「大丈夫よ、別に無茶振りするわけじゃないし。それに彰彦にはいつものことでしょ?」

「そ、それが迷惑なんだって……」

「彰彦も詩歌の為となれば手伝ってくれるわよ。じゃあ早速連絡してくるわね」


そう言って爽香は足早にリビングを後にしてしまった。


「ご、ゴメンね……アキ君……」


詩歌は、これから間もなく彰彦に面倒事を振りかけてしまうことを、彰彦のいる方向に向けて手を合わせて謝るのであった。



風呂に入り、明日の授業の準備も終えた彰彦のスマホに着信が入った。


「何だ? 誰から……って、爽香か……」


スマホの画面には、爽香からの着信を知らせる表示が出ていた。


「……このタイミングでの連絡とか、嫌な予感しかしねぇ……」


本音を言うと出たくない。

しかし出ないといつまでも着信は続くだろう。

彰彦はげんなりしながらも電話に出る。


「……もしもし、こんな時間に何の用だよ?」

『何よ、私からの電話なんだからもっと嬉しそうにしたら?』

「今までロクな連絡よこした事無いだろうが……」

『まぁ良いわ。ちょっと彰彦に手伝って欲しい事が出来たのよ』

「何だ?」

『今日転入してきた土神君なんだけどね、どうやらちょっと詩歌と縁があって話す機会かあったらしいのよ』

「え? 詩歌と? 俺とおじさん以外の男は怖がって近寄りすらしなかったのに?」

『それが、どうも詩歌、土神君なら怖くないらしいのよ』

「へぇー、珍しい事もあったもんだ」

『だからせっかくだし、土神君ともっと仲良くなって、男への苦手意識を克服させようと思うのよ!』


電話口の向こうで声高に主張する爽香。


「その為の協力を俺に?」

『そういう事。私たちで後押しするのよ!』

「いや……詩歌のペースでやらせてやれよ……こういうのは人それぞれのペースってもんが……」

『そんな事言ってたらいつまで経っても進展しないわよ! じゃ、そういう事だから頼んだわよ!』


一方的にまくし立てて、通話は切れた。

彰彦は通話終了と表示された画面をしばし見つめ、そしてため息を吐いた。


「いつもながら……大変だなぁ、詩歌……」


そう言って米崎家のある方向を見やる彰彦。

なんだか詩歌が手を合わせて謝ってる、そんな気がした。


「……気にすんな詩歌、いつもの事だ……」


そう言う彰彦の表情は、悟りと諦めで染まっていた。

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