4時限目の体育の授業も終わり、昼休みになった。
「土神ー、昼はどうするか決めてるのか?」
着替えを終えた彰彦が修也にそう問いかけてくる。
「そういや決めてなかったな。購買とか学食とかあるのか?」
「もちろん。どっちもちゃんとあるぞ。どっちが良い?」
「うーん……」
「学食行こうぜ学食! 俺もう腹減りすぎて倒れそうだよ!」
どっちにするか修也が考えていると、戎が割り込んできた。
「……まぁ良いか、別にどっちにするか決めてなかったわけだし」
「そうだな……ああ、財布はいらないぞ土神。代わりに学生証がいる」
「え、なんで?」
自分の鞄から財布を取り出そうとしたのを止める彰彦に疑問を呈する修也。
「学内の買い物はこの学生証で全て賄えるんだ。疑似的なクレジットカードみたいな感じだな」
そう言って彰彦は自分の学生証を取り出す。
「へぇ、これが……」
修也も自分の学生証を取り出した。
ちなみにこれは転入手続きの際に受け取ったものだ。
「で、月末にまとめて請求書が送られてくるってわけだ」
「何でそんなシステムに?」
「キャッシュレスの世の中に対応するためらしいわ。クレジットカードの便利さと怖さを同時に教える意味もあるらしいのよ」
そこに着替えを終えて教室に戻ってきた爽香も会話に参加してくる。
「怖さ? ……ああ、使い過ぎか」
「そういうこと。現金を扱わないとどうしても金銭感覚がマヒするからな。自制が利かず際限なく使う奴が少なからずいるらしい」
「ま、所詮は学食と購買くらいしか使い道無いし、そこまでとんでもない額にはならないわ」
「取り返しのつかないことになる前にここで身をもって覚えさせるという訳か……」
確かに普通の学校ではこのようなことは教えない。
ここでそう言った知識を身に付けておけば、将来本物のクレジットカードを持つようになったときに無茶な買い物をしにくくなるだろう。
今なら使いすぎてもたかが知れている。せいぜい親に軽く注意される程度だ。
そもそも爽香の言う通り使い道がかなり限られる以上、使い過ぎにもなりにくい。
なかなか良いシステムだと修也は思った。
「なぁ、早く行こうぜ? もう限界だよ」
戎が腹を押さえながら空腹を訴える。
「そういやこんなのんびりしてて良いのか? 席無くなるんじゃないのか?」
「その時は購買でパンでも買って中庭で食おう」
「中庭や屋上にもベンチがあってそこで食べることもできるのよ」
「へぇ、屋上が一般開放されてるのか。珍しいな」
「前の学校は入れなかったのか?」
「ああ、立ち入り禁止だったよ」
「学校によってまちまちなのねぇ」
「な、なぁ……は、早く……行こう……」
段々戎がヤバいことになってきたので、修也たちは雑談もそこそこに学食へ向かって歩き出した。
●
「米崎さーん、お昼一緒に食べよー」
4時限目の授業が終わり、机の上を片付けていた詩歌に声をかけてくる人がいた。
「えっ? ま、舞原、さん……?」
蒼芽だった。
今まで誰かから声をかけられるという経験があまりなかった詩歌は、慣れない事態に戸惑う。
「あ、あのっ、どうして、私と……?」
「せっかく同じクラスになったんだもん。これも何かの縁だよ」
「え、えっと、でも……私、お弁当、持ってきてて……」
そう言って詩歌は自分の鞄から弁当箱を取り出した。
「あ、そうなの?」
「う、うん、だから……」
「じゃあ急いで購買で何か買ってくるから、屋上ででも食べよっか」
「え……?」
「それじゃあ先に屋上行って席取ってて。すぐ行くから!」
そう言って蒼芽は足早に教室を出て行った。
「えっと……ど、どうしよう……」
詩歌は少し悩んだが、降って湧いた蒼芽と話ができるチャンスだ。
しかも屋上ならそこまで人がいないだろう。
「ねぇねぇ、今舞原さんと米崎さん、仲良さそうに話してなかった?」
「そう言えば朝もちょっと何か話してたような……」
「と言うことはもしかして米崎さんも土神先輩について何か知ってるかも!?」
「ひっ!?」
それと、視線と話題の中心が自分の方に向いてきたので、詩歌は小さく悲鳴を上げて慌てて屋上に逃げ出した。
●
「……あっいたいた! ごめんね米崎さん。待った?」
詩歌が屋上に設置されてるベンチに腰かけてから数分後、蒼芽が屋上にやってきた。
手には購買で買ったであろうサンドイッチとペットボトルのお茶がある。
「う、うぅん、大丈夫だよ……」
「たまにはこうやって開放的な屋上でご飯食べるのも良いよね」
「……そ、そうだね……」
「それにさ、しばらく教室では落ち着いて食べられない気がするんだよね……」
「うん……私も、その……先輩の事で、質問攻めに遭いかけたし……」
「えっ? 米崎さんも?」
「……舞原さんと、仲良さそうに話してたから、何か繋がりがあると、思われたみたい……」
「えぇ……どこまでミーハーなの、うちのクラス」
そう言ってため息を吐く蒼芽。
「し、仕方ないよ……それだけ凄いことを、土神先輩はやったということだと、思うよ……?」
「だよねっ!? やっぱり修也さんは凄いんだよっ!」
「っ!?」
詩歌にそう言われ、蒼芽は興奮気味に声をあげる。
急に近くで大声をあげられたことで詩歌はちょっと体を強張らせる。
「あ、あの……舞原さん?」
「あ、ゴメン。驚かせちゃった?」
「う、うぅん、それは大丈夫、だけど……舞原さんは、土神先輩のことを、名前で呼んでるの……?」
「あ」
詩歌に言われて初めて気が付いたようで、蒼芽は口元を手で押さえる。
「えっと……クラスの皆には内緒にしててくれるかな? 別に秘密ってわけじゃないんだけど、今知られたら大騒ぎになりそうだし」
「う、うん……大丈夫。私、クラスでもお話できる人、あまりいないから……」
「それは良かった……いや、良くないよね」
「うぅん、良いの。私が、人に話しかける勇気すら、無いのが悪いんだから……」
そう力無く呟いて俯く詩歌。
「んー……別に気にしなくても良いと思うよ?」
「……え?」
その言葉が意外だったのか、俯いていた顔を上げて蒼芽の方を見る詩歌。
「そんなの人それぞれだよ。誰にだって得手不得手はあるって。米崎さんは人と話をするのがちょっと苦手ってだけ」
「そ、そうかな……?」
「うん。それに、逆に得意なことだってあるでしょ?」
「え、えっと……得意って言って良いのか、分からないけど……お料理は好き、かな……」
「え?じゃあ、そのお弁当も米崎さんが作ったの?」
詩歌の持っている弁当箱を指さしながら蒼芽が尋ねる。
「う、うん……」
「へぇー! 見せてもらっても良い?」
「い、良いけど……何も面白くは、無いよ……?」
そう言って詩歌は自分の弁当箱を開ける。
そこには色とりどりのおかずが詰められていた。
色彩だけでなく栄養バランスもしっかり考えられており、非の打ちどころの無い弁当だ。
量は控えめだが、一般的な女子高生が食べる分には何も問題ない。
「米崎さん……」
「えっ、な、何……?」
蒼芽にじっと見つめられ、狼狽える詩歌。
何か気に障ることでもしてしまったのか、と詩歌は焦る。
「これ、お店で売りに出せるレベルだよ?」
「え、えぇ……!? そ、そんなわけ無いよ……私が、片手間で作っただけのお弁当なんだし……」
「そんなわけあるよ! 私だったら千円で売られてても迷わず買う!」
「せ、千円……!? そんな、出しすぎだよ。税込み298円でも売れるかどうか……」
「妙に具体的だね……まあとにかく、これは自慢していいと思うな」
「じ、自慢だなんて、そんな……」
「プロフィールの特技欄に『料理』って書けるよ!」
「あ、うん、それくらいなら……」
そんなことを言い合いながら昼食を進めていく蒼芽と詩歌。
ほとんど蒼芽の言うことに詩歌が相槌を打つだけではあったが、詩歌はそれで満足していた。
いきなり修也の事を聞き出すというのは自分にはハードルが高すぎる。
まずは蒼芽と普通に話せるようになるのが先決だと思ったからだ。
蒼芽は無理に詩歌から言葉を引き出すようなことはせず、かといって自分ばっかりが話すだけということもしない。
詩歌のペースに合わせつつ、無理のない範囲で会話を繋いでくれる。
(凄いなぁ、舞原さん……)
人と話すのが苦手なはずの自分が、蒼芽とならいつまでも喋ってられそうな気にすらなる。
自分の特技が『料理』ならば、蒼芽の特技は『会話』だろう。
(……こんな私でも、話し相手になれるんだもんね……)
そう思い詩歌は瞳を伏せる。
そしてある事をひとつ、心に決めた。
「? どうしたの米崎さん?」
「……あ、あの……舞原さん、お願いが、あるの……」
「お願い? 私に? 何かな?」
「そ、その……わ、私と……と、友達に、なって、くれない……かな……?」
絞り出すような声で詩歌は言う。
詩歌の決めた事。それは蒼芽と友達になる事だ。
詩歌は元々内気で、自分から人に話しかけると言うことが極端に少ない。
自然とグループからも外れ、入学して1ヶ月は経っているのに、友達もほとんどできていない。
こんな性格だからと半ば諦めていたが、修也に危ない所を助けてもらってからは少し心境が変わった。
(……せめて先輩にお礼くらいは言えるようにならないと……! それに……)
修也のことを抜きにしても蒼芽とは友達になりたい。
この場で動かないとこんなチャンス二度と訪れない。
そう思い詩歌は行動に出た。
他の人からすればなんてこと無い行動ではあるが、詩歌にとっては持てる勇気を全て振り絞っての行動だった。
それに対し、蒼芽は……
「え? 何言ってるの?」
目をぱちくりとさせて詩歌に問い返した。
(……や、やっぱり……私となんて、友達になんてなりたくないよね……)
その返答を拒否と取り、振り絞った勇気が空振りに終わったと思い、詩歌は項垂れる。
(うぅ……穴があったら入りたい……)
詩歌は、もうこの場から消えてしまいたいという悲壮感に包まれていた。
だが……
「私たち、もう友達でしょ?」
「え…………?」
思いもよらない蒼芽の言葉に、詩歌は顔を上げる。
「もう友達なのに『友達になって』って、変わったこと言うねぇ、米崎さんは」
「え……い、いつから……?」
「友達ってのは、いつから〜とか、何をしたら〜とか、そういうものじゃないと思うんだよね。自分が友達だと思ったら友達。それで良いんじゃない?」
「ま、舞原さん……」
「私は、私が米崎さんとは友達だと思ったからお昼ご飯に誘ったし、こうやって屋上でお喋りしながらご飯を食べてるんだよ。友達じゃない人とはこんな事しないよ」
「……そ、そういうもの、なの……?」
「少なくとも私はそうだよ。米崎さんは難しく考えすぎだよ」
「う、うん……お姉ちゃんにも、同じ事言われたことある……」
「へぇー、米崎さん、お姉さんいるんだ? この学校の人?」
「う、うん、2年生……」
「そっかー、私一人っ子だから、兄弟姉妹がいるってちょっと羨ましいんだよね」
「……大変なことも、多いよ……?」
「まぁその辺は当事者じゃないと実感わかないよね」
「……本当、大変なことも、多いんだよ……」
「……ん? あの、米崎さん? なんかやたら言葉に念が籠ってるけど……どうしたの?」
急に言葉が重くなった詩歌に対してちょっと狼狽え気味に尋ねる蒼芽。
「お姉さんと仲悪い、とか?」
「うぅん、仲は良い方だと思うよ……? でも、ね……」
「……あっ! よ、米崎さん、そろそろお昼食べるペース上げよっ!? お昼休み終わっちゃうよ!」
何か悟りの境地に至ったような表情になってきた詩歌。
これは話題を変えた方が良いと判断した蒼芽は、お互い昼食をまだほとんど手を付けていないことを思い出した。
このままでは昼を食べ損ねてしまうので、話を一旦打ち切る。
「……あっ、そ、そうだね……」
「そうだ! 何かおかずひとつ頂戴? 代わりに私のサンドイッチ一口あげるから」
そう言ってサンドイッチを一口大にちぎって詩歌に渡す蒼芽。
「あ、うん、良いよ。好きなの取って?」
「じゃあ、ちょっとお行儀悪いけど……」
詩歌の許可を得た蒼芽は、詩歌の弁当箱の中からブロッコリーをつまんだ。
「このブロッコリーにかかってるドレッシングも米崎さんお手製?」
「う、うん……一応、私の手作り……」
「へぇー、凄いね! ドレッシングも自分で作れるんだ!」
「そ、そんなに難しい事じゃないよ……? レシピ教えるから、舞原さんも作ってみたら……?」
「えっ良いの!? ありがとう米崎さん!」
笑顔で詩歌に礼を言い、蒼芽はつまんだブロッコリーを食べる。
「…………」
「ど、どうかな……?」
「…………」
「ま、舞原、さん……?」
ブロッコリーを口に入れたまま動かない蒼芽に困惑する詩歌。
しばらくして、蒼芽はブロッコリーを咀嚼して飲み込み、そしてゆっくりと詩歌の方を向いた。
「……米崎さん、さっきお弁当に千円出すって言ったけど、訂正する」
「え……? や、やっぱり、税込み298円でも売れな……」
「1500円でも迷わず買うよ!!」
「え……えぇ!? ね、値上がりしちゃうの……!?」
「だって、凄い美味しいよこれ! ただのブロッコリーがここまで美味しくなるとか、もうビックリだよっ!!」
「お、大げさだよぅ……」
口では否定するものの、満更でも無さげな表情をする詩歌であった。