色々と慌ただしい出来事があった一日が終わり、修也がこの町にやってきて初めての週末を迎えた。
「…………よし」
たとえ休日でも行動の習慣は変わらない修也は、今日も6時過ぎあたりに動き出す。
ベッドから降り、着替えて部屋を出る。
流石に蒼芽も休日は起こしには来ないようだ。
(……昨日の様子からだと起こしに来そうだったけど、意外だったな)
まあそんなこともあるだろうと、修也は大して気にせずリビングへ行く。
リビングには人はおらず、かわりにキッチンから物音がする。
恐らく紅音が朝食の準備をしているのだろう。
「おはようございます紅音さん」
修也はキッチンに顔を出しながら挨拶をする。
キッチンでは修也の予想通り、紅音が朝食の支度をしていた。
「おはようございます修也さん。修也さんは休みの日もいつも通りなんですね」
「ええまぁ。休日と平日で生活サイクルを変えるなんて器用なこと俺にはできませんから」
「ふふ、生活リズムがしっかりしているのは良いことだと思いますよ?」
「蒼芽ちゃんは違うんですか?」
修也の問いかけに紅音は困ったような顔をして答える。
「あの子、平日は早起きしてしっかり朝の準備を整えるんですけど、その分休日は遅くまで寝てるんですよね」
「そうなんですか。ちょっと意外ですね」
「まぁ今日は昨日のアレも関係してると思いますけど」
「あぁ…………」
昨日のアレとは、蒼芽が自分の部屋に戻ってしばらくした後、紅音バレショックが再来して一人で部屋の中で悶えのたうち回っていた事である。
結構夜遅くまでやってたのでその分今朝起きるのが遅くなっているのだろう。
「なんか……すみません」
「いえいえ、蒼芽が勝手に自爆しただけですから」
何はともあれそんな状態なら無理に起こしに行かなくても良いだろう。
そんな事情が無くても、女の子が寝ている部屋に入るというのは抵抗がある。
「……そうだ、せっかくなんでちょっと紅音さんに聞いておきたい事があるんです」
「何でしょう? 私に答えられることなら何でも答えますよ。蒼芽の好きなタイプとか最近の蒼芽のハマってる事とか蒼芽の他人にはちょっと言えない恥ずかしい秘密とか」
「蒼芽ちゃんの事ばっかですね。あと秘密については本人の名誉の為にも黙っておいてあげてください」
ナチュラルにとんでもない事を言い出した紅音に、修也はやんわりと自制を求めた。
「俺が聞きたいのは、俺を引き受けてくれた理由です」
修也は引っ越してくる前から疑問に思っていた。
いくら学生時代からの親しい友人とはいえ、その友人の息子を簡単に預かる気になったのか。
しかも自分にも同じくらいの娘がいる。
多感な時期に同世代の異性を一つ屋根の下に住まわせることに抵抗は無かったのか。
「そうですねぇ……修也さんのお母さんとは、大学を卒業して離れ離れになってからも頻繁に連絡を取ってましたからね」
「そうなんですか?」
「ええ、近況報告とか世間話とか色々と。その中には修也さんの話もあったんですよ」
「俺の?」
「なので修也さんがどんな人なのかは私なりには把握していたつもりです。だから今回の事情を聞いて修也さんを引き受けることを決めたんです」
「その事、蒼芽ちゃんには……」
「もちろん説明しましたよ。あの子も私の話を聞いて、修也さんが来るのを楽しみにしていましたから」
そう言えば一昨日駅前で会った時に『話はお母さんから聞いてます』と言っていたことを修也は思い出した。
「でも、いきなり自分の生活スペースに同世代の男が来るとか……」
「それは元々の蒼芽の性格でしょうね」
「まぁ、それは何となく分かりますけど」
出会ってすぐ名前呼びを要求するくらいだ。そういうことへの抵抗は無いに等しいのだろう。
「それと修也さんの人柄も、ですよ」
「え?」
紅音の言葉は修也には予想外だった。
修也は自分で自分の事をあまり高く評価していない。
『力』のせいで周りから遠巻きにされ続けた事で、自己評価が低いまま暮らしてきた。
当然、他人から『人柄が良い』なんて言われた事など無い。
「いくら蒼芽があの性格だからって、誰にでもあんな態度は取りませんよ」
「まぁ、確かに……でも、母から聞いていた話と実際の俺とは食い違いがあるかも、とは思わなかったんですか? ほら、やっぱ親目線と第三者目線では評価が変わると思いますし」
「そうですねぇ……確かに聞いていた話とは違いますね」
「でしょう?それなのによく……」
「聞いていた話以上に頼れる人ですね」
「……え?」
変に高評価を受けて逆に落ち着かない修也は評価の修正を試みたが、何故か更なる上方修正を受けて戸惑う。
「だってそうでしょう? 修也さん、ここに来て今日でまだ三日目なのに、何回蒼芽の事を守ってくれましたか?」
「えっと……ひったくり犯、トラックの小石、不法侵入者……」
「それと昨日の雨ですね」
「いやそれは何か違いません?」
「大事な娘をそれだけ身を挺して守ってくれたら、頼れる人だと思うのは当然でしょう?」
「それは……」
「だから、修也さんなら安心して蒼芽を任せることができるんですよ」
「……買い被りすぎですよ。俺はそんな持ち上げられるような人間じゃありません」
目を伏せ、自嘲気味に笑う修也。
「じゃあ修也さん、ここに引っ越してきてから修也さんの事を悪く言う人はいましたか?」
「……え?」
紅音に言われて、修也は一昨日から今までで会った人を順に思い浮かべる。
蒼芽・理事長夫人・紅音・陽菜・理事長・蒼芽のクラスメイト・不破警部・優実……
言われてみれば誰一人として修也の事を悪く言う人などいなかった。
不審者の男は口汚く罵ってきたが、あれは例外とみて良いだろう。
蒼芽のクラスメイトなんて修也を救世主として祭り上げるレベルだ。
「それが修也さんの、正しい今の評価です」
そう言って微笑む紅音。
「でもそれは結果論でしょう」
「結果論でおおいに結構じゃないですか。私としては蒼芽の良き友人になってくれたらそれで十分です」
「……ありがとうございます」
やはり紅音も蒼芽と同様今までの人たちとは違う。
ここでなら楽しく暮らせそうだ。修也はそう再認識した。
「あ、ちなみにお互い合意の上でなら蒼芽と友人以上の関係になっても何も問題無いと私は考えてますので」
「急に下世話な話になりましたね!?」
良い話っぽかったのにいきなりボケてオチをつける紅音。
……やっぱり今までの人たちとは違う。
修也は先程とは違う意味でそう再認識した。
「修也さん、朝ごはんは昨日と同じで良いですか?」
話も一区切りついた所で紅音が聞いてくる。
「あ、はい。それでお願いします」
「はい。では少し待っててくださいね」
そう言って準備を始める紅音。
修也は食卓の自分の席に座って出来上がるのを待つ。
何もしないのも退屈なので、修也は自分のスマホの画面を開いた。
「うーん…………やっぱり無いかぁ」
「何がですか?」
スクロールする画面を目で追いながら呟く修也に紅音が尋ねる。
「昨日の事件のニュースです。ネットニュースならちょっとは書かれてるかもと思ったんですけどね。まぁ昨日の話ですし、それまでも未遂みたいですしこんなもんでしょう」
地域のニュース欄辺りなら小さくても載ってるかもしれないと修也は思ったが、それすらなかった。
コンビニ強盗や万引き、ひったくりは未遂に終わったからまだ分かるが、不法侵入は被害者こそいないが拳銃の発砲があった以上、立派に事件だ。
多少の不自然さはあるがそういうものなのだろう。
修也はさして気にもせずスマホの画面を閉じた。
「自分の活躍が書かれてなくて残念ですか?」
そこに修也の朝食を持って紅音がやってきた。
修也の前にトーストと目玉焼き、バターとコーヒーを置いてくれた。
「いえ逆です。安心しました。下手に書かれて目立つのは嫌なんで。俺は平凡な学校生活を送りたいんです」
「一昨日と昨日の時点で既にかなり雲行きが怪しいようですけど?」
「それを言わないでくださいよ……」
紅音の指摘に修也はバターを塗ったトーストを齧りながら項垂れるのであった。
●
「修也さん、すみませんが蒼芽を起こしてきてくれますか?」
修也が朝食を食べ終えた後、紅音が申し訳なさそうにそう切り出してきた。
「え? それは色々マズイのでは……」
「良いんです。起きない蒼芽が悪いんですから」
「いや、そうは言っても流石に……」
「ふふ、寝起きドッキリを彷彿とさせますね?」
「いや同意を求められても」
「あ、でも」
悪ノリを始めた紅音だが、何かを思い出したようで、言葉を切る。
(うん、いくら何でもやっぱ同世代の女の子の寝てる部屋に入るとかダメだよな)
手を出すつもりは微塵も無いが、やはり親としては心配になるのだろう。
むしろその方が修也としても安心だ。
「襲われそうになったら大声で呼んでくださいね?」
「俺が襲われる側ですか!?」
「あ、でも修也さんには護身術と『力』がありましたね。じゃあ襲われても平気ですね」
「こんな事で使いませんよ!? しかも襲われること前提!?」
しかし紅音がしているのは全くの逆ベクトルの心配だった。
「修也さんが大声を出したら、私はそっと一時間ほど外出してきますので」
「そこは助けてくださいよ!」
訂正。心配すらしてなかった。
「ふふ、冗談ですよ。やはり修也さんがいてくれると空気が明るくなりますね」
「これを明るいと表現して良いんですかね……?」
何か釈然としないまま修也は蒼芽を起こしにいくのだった。
●
(………………うーん…………)
修也は蒼芽の部屋の前で立ち止まっていた。
修也としてはやはり女の子の部屋に入るというのは躊躇してしまうのだ。
決してさっきの紅音の冗談を真に受けた訳では無い。
無いったら無い。
(そうだ! ノックして外から呼べば良いんだ!)
修也はすっかり失念していた。
何も寝ている蒼芽の側まで行って起こす必要は無い。
部屋の外から呼べば入らなくても起こすことはできる。
「じゃあ早速……蒼芽ちゃーん、朝だぞー」
修也はちょっと大きめの声でドアをノックしながら言った。
「し、修也さん!? すみません、今ドア開けないでくださいね、着替え中ですので!」
ドアの向こうから蒼芽の慌てた声が返ってきた。
(良かったー! いきなりドア開けなくてホントに良かったー!!)
全裸もしくは下着姿の女の子の部屋に突入という、ラブコメ漫画のお約束みたいな事をやらかさずに済んでホッと安堵の息を吐く修也。
しばらくしてドアが開き、中から蒼芽が出てきた。
「お、おはようございます修也さん。すみません今日は起こしに行けなくて」
「おはよう蒼芽ちゃん。良いよ別に無理しなくて」
「でも、修也さんのお世話は私がするって昨日言ったばかりなのに……」
「だからって何から何までやってもらってたら俺がダメ人間になる。適度で良いよ適度で。それより朝食食べてきたらどうだ?」
「あれ? 修也さんは?」
「俺はもう終わったよ」
「あ……そうですか……」
修也はもう朝食を終わらせたと聞いて残念そうに表情を曇らせる蒼芽。
「ほら、今日はショッピングモールの案内をしてくれるんだろ? 昼はそこで一緒に食べよう、な?」
「……分かりました。じゃあ行ってきます」
そう言って蒼芽は階段を降りて行った。
修也は自分の部屋に戻る。
「さて、今日は雨は降らなさそうだし傘は無くても大丈夫そうだな……」
そう独り言を言いながらショルダーバッグの中身を確認していると、ドタドタと何かが廊下を走る音がして……
こんこん!こんこん!
ちょっと強めのノックの音がした。
「なんだなんだ?」
修也がドアを開けると、そこには肩で息をしている蒼芽がいた。
「し、修也さんっ!」
「は、はい?」
鬼気迫る蒼芽の表情に、流石の修也もちょっと狼狽する。
「あ、あのっ! 私、お、襲ったりなんか、しませんから!!」
「え? あ、もしかしてさっきの紅音さんの……」
「しませんからね!!!」
「わ、分かった、分かったから」
「本当ですからね!!?」
「大丈夫、蒼芽ちゃんがそんな子じゃないってのはちゃんと分かってるから」
「なら良いんですけど……もう、お母さんったら……」
修也に宥められてやっと落ち着いた蒼芽は、朝食の為に再び階下へ降りていった。