翌日の朝は早かった。シェルは姫としての身支度があったからだ。前日の夜、なかなか寝付けなかったが、緊張から朝早くとも全く眠気がなかった。侍女は心配そうに今日という日を迎えていたが、もう泣くことはしなかった。
「姫様に何かあったら、私、絶対に守りますから!」
侍女はそう言いながら準備を手伝ってくれる。身支度が調ったとき、シェルの離れをノックする音が響いた。侍女が出るとそこには、同じように正装に身を包んだゼールの姿があった。
「行けるか?」
「はい」
シェルはゼールの問いかけに
午前中に王宮は開放されており、国民たちが王宮に詰めかけているのがここまで伝わってきていた。ある者は罵声を上げ、ある者はシェルたちの登場を今か今かと待ちわびている。
そんな熱気を感じながら、シェルは差し出されたゼールの手を取って、王宮のバルコニーへと向かうのだった。
「まだかーっ!」
「早く始めろーっ!」
バルコニーに続く部屋に到着した時、シェルたちの耳にはこんな怒声が届いていた。集まっている国民たちが憤っていることは、耳からだけではなくその空気を感じる肌からも伝わってきた。シェルは思わず恐怖から身震いしてしまう。それをゼールは見逃さず、
「大丈夫か?」
「は、はい!」
「無理ならシェルは残っていてもいいんだぞ? 俺だけでも行ってくるから」
「それはダメです」
シェルはゼールの申し出を即刻断った。それから自分に気合いを入れると、
「行きましょう」
そう言ってバルコニーに向かった。
バルコニーに二人の姿が映った瞬間、今まで散々わめいていた国民たちが黙った。しかしその視線はナイフのように鋭い。シェルとゼールが少しでもおかしな素振りをしたら、すぐにそのナイフは振り下ろせるのだろう。
シェルはそんな国民たちの視線に恐怖を覚えたが、それでも気丈に声を上げた。
「このたびは、私のせいで皆様の心情を乱してしまい、申し訳ございませんでした」
シェルはそれだけ言うと深々と頭を下げた。それは集まっていた国民の誰もに衝撃を与える光景だった。隣に立っていたゼールもシェルのそんな姿を見て、すぐに自らの頭を下げた。
二人の王族が、庶民に向けて
その衝撃に今まで攻撃的だった国民たちの視線は先程のナイフのような鋭さを失っていた。シェルは無言のまま、数十秒間、頭を下げたままだった。
それからゆっくりと頭を上げたとき、バルコニーの下に集まった国民たちは水を打ったように静まりかえっていた。シェルは今なら声が届くと判断し、ことの経緯を説明し始めた。それは事前に用意された言葉ではなく、シェルが今、この場で感じ、そして伝えたいと思った気持ちだった。
「私が、自ら志願して『極上の
その言葉を聞いた国民たちがざわつく。しかし間髪入れずにシェルの言葉の後をゼールが引き継いだ。
「ひとえに、私の不徳の致すところでございます。本来ならば、通常の生贄で済んでいたものを、私の意地で、シェル姫様を所望してしまったのは、本当に申し訳ございませんでした」
ゼールはそこで、再び頭を下げた。普段、プライドの高いゼールが他国民を前にこんなにも頭を下げるのはきっと屈辱的だったに違いない。シェルはそう思うと心が痛むのだが、せめて一緒に頭を下げることでしか、ゼールに寄り添うことができなかった。
ゼールは一言も、自分が『極上の生贄』さえも拒絶していたことを話さなかった。自分一人が悪者になっても良いと言う気持ちがあったのだろう。
それはシェルにも伝わってきた。だからシェルは、
「ゼール王子は真剣に私のことを考えてくださいました。私がこうして、皆様の前に帰って来られたのも、ゼール王子の心遣いなのです」
そう訴えた。それは必死の訴えだった。
そして、ゼールがいたから自分は今、国民のことを考えられるようになったのだと、その本心も訴える。
「どうか、ゼール様を悪者にしないでください……!」
それは訴え、と言うよりも願いだった。
シェルの隣で初めてシェルの気持ちを聞いたゼールは目を丸くした。シェルがここまで自分のことを思ってくれているとは考えていなかったのだ。不謹慎だと思いながらも、この場で
「私は、シェル姫様の
ゼールはシェルの気持ちに応えるかのようにそう宣言した。
いずれ『生贄政策』は廃止するつもりだったのだ。その時期が少しばかり早まったと思うだけだ。
二人がこうして、互いに互いをかばい合い、思い合う姿を見ていた国民たちの気持ちは少しずつ和らいでいった。二人が本当の意味で惹かれあっているのだと痛感したのだ。
シェルは最後に、
「皆様、重ね重ね、申し訳ございませんでした」
そう言って頭を下げた。
最初の衝撃ほどではなかったがやはり何度見ても、王家の人間が庶民に