「そんな獣人族のこと、もっともっと、傍で知りたいって思ったの」
「だったら、妃になってもいいじゃないか」
「それは、なんか違うのよ」
ヴァンの主張にシェルは頭をひねる。確かに傍にいたいのなら、父王の用意したゼールの妻という座を手に入れたらいいかもしれない。それがいちばん近道であり、安全な策であるのも分かる。分かるのだが、
「かりそめの夫婦では、本当の部分は見えないと思うの」
シェルはゼールの本心を知りたいと思っていた。うわべだけの付き合いではなく、本当のゼールを見たいと、そう思っていたのだ。
「だからね、うわべだけの妻はイヤなのよ」
上手く言葉にならないことがもどかしいと思うものの、どうか自分の思いがヴァンにも通じるよう、シェルは祈るように言葉を紡いでいく。ヴァンはそのシェルの言葉を飲み込む。飲み込んだ上で、こうシェルに問いかけた。
「その『極上の生贄』にシェルがなることが、獣人国の罠だとしたら?」
「罠?」
シェルの質問にヴァンは言う。
人間国がシェルを妻として獣人国へと送り、獣人国を我が物にしようとしているのと同じように、獣人国側はシェルを生贄として手に入れることで人間国を自分のものにしようとしているとしたら、シェルはどうするのか、と。
「そんなこと……」
「ない、とは言い切れないだろう? そのフォイってヤツはわざわざシェルに『極上の生贄』の話をしてきたんだ」
もし、獣人国側が人間国を我が物にしようとしているのだとしたら、そこに利用されることにシェルは何も思わないのか。
ヴァンはそう問いかけているのだ。
あまりにも衝撃的な言葉にシェルは言葉を失う。どちらに転んだところで、自分は政治的に利用されるだけの存在なのだろうか。
「人間国の未来のためにも、シェルにはよく考えて欲しいんだ」
今まで難しい政治のことは周りに任せ、自分はのほほんと生きていた。しかし今回ばかりは自分の行動が両国の未来を左右するかもしれない。そんな現実を突きつけられてシェルはもう、強く獣人国へ行くと言えなくなってしまった。
「姫様……」
そんな二人の様子を黙って見守っていた侍女が思わず声をかける。肩を落とし落胆しているシェルを放ってはおけなかったのだ。
「自分の感情だけではどうにもならない。それが王族ってものだから。シェル、本当に良く考えて欲しい」
ヴァンはそう言うと高台から下り、王宮へと戻っていくのだった。残されたシェルの肩には侍女が手を乗せる。
「姫様、私たちも帰りましょう?」
夕日が差し込み、そろそろ気温も下がってくる。侍女に促される形で、シェルも離れへと戻っていくのだった。
離れに帰ったその日の夜。
シェルは自分に出来ることは何かを必死に考えていた。
自分の欲望である、ゼールの傍にいたい、と言うこととは別のことを考える。それはもちろん、自分が政治的に利用価値のある存在だということだ。
自分の欲に忠実に動いた場合、つまり『極上の生贄』として獣人国へ入った場合、獣人国は自分を盾にし人間国を支配しようとするかもしれない。
そして自分がゼールの妃として政略結婚に応じた場合、父王はそこを足がかりにし獣人国を支配すると明言している。
(どっちに転んでも、明るい未来は感じられないわ……)
シェルはベッドで寝返りを打ちながら盛大なため息を漏らす。窓からは星明かりが入り込み、シェルの部屋をささやかに照らしてくれている。
シェルはベッドの上でゴロゴロとしながらグルグルと同じことをループする考えに頭を抱える。そこでシェルはもう一度、自分に問いかけてみた。
自分の生きたい、生き方とは?
それはもちろん、人間国、獣人国、双方が平和で幸せに暮らせる生き方だ。自分も含め、種族の壁がどうだとか、過去がどうだとか、そう言うことではなく、このティエリーク大陸にたった二つしかいない種族なのだ。いがみ合う必要はないと、シェルは考えている。
では、そんな種族のためにシェルが出来ることは何だろうか?
政治的に利用価値があると言うのなら、自分で自分を利用することも可能なのではないだろうか。
そこまで考えてシェルは、はっとした。
(そうよ、他でもない、私が私の身分を利用するのよ)
そのためにまずは、獣人族のことをもっとよく知る必要があるとシェルは考えた。そして疑問はもう一つ。
(今まで生贄として送った人たちが、誰一人こちらに戻ってきていないのは何故?)
生贄として酷い仕打ちをされ、こちらに戻ってこられなくなっていると、今までなんの疑問も持たずに思っていた。しかしそれでは、
(誰一人帰って来ない理由にはならない?)
そう感じてしまう。
そもそも獣人族王家のレイガーに対して、ゼールは自身で押さえ込んでいると言うではないか。つまり、レイガーを発症しているのは獣人国国王のみ、と言うことになる。この前のパーティーでは国王不在だったため、獣人国国王がどのような人物なのか全く予想ができない。できないが、
(もし、生贄に酷い扱いをしているのだとしたら、それは見過ごせないし、別に理由があるのならそれを知ることで、両国の関係を改善することが出来るかもしれない)
そこまで考えたとき、シェルの中で亡き王妃が語っていた言葉がよみがえった。
『シェル、国民のことを考えられる姫になってちょうだいね』
そうだ。母親はそう言っていた。
(なんで今まで忘れていたのかしら……)
シェルは枕に顔を埋める。それは母の大事な言葉を忘れていた羞恥から来る行動だった。誰もいない部屋の中でシェルは一人、羞恥にもだえる。