「お父様の分からず屋!」
シェルは離れへの帰り道でそう毒づいていた。
確かにシェルが『極上の生贄』へと志願した動機は不純であった。ゼールの傍にいたい、そう言う理由からだ。だが、
「政略結婚の末に、相手の国民はどうでもいいだなんて、そんな考えが通用する訳ないじゃない」
シェルの怒りはここにあった。国王の『あのような野蛮な種族、どうなっても良かろう』と言う言葉が、どうしてもシェルには許せなかったのだ。
「彼らには彼らの生活があるのよ? それを、どうなってもいいだなんて……」
そのような考えは、いずれ民衆から足元をすくわれるのではないかと、シェルは考えていたのだった。
「姫様ぁ~!」
その時、後ろからシェルのことを呼びながら駆けてくる人物がいた。シェルが足を止め振り返ると、そこには先日のパーティーでも世話になった、侍女の姿があった。
「姫様! 獣人国へ行かれるって本当でしょうか?」
「どうしてそれを?」
「王宮中の噂になっておりますよ」
どうやら先程の親子喧嘩を見ていた側近たちの口から噂が広がったようだ。シェルは侍女に目をやると、
「民衆たちはどうやって獣人国へ行っているか、知っている?」
そう尋ねた。
父王があの様子だったのだ、きっと王宮からの送りは期待できない。そうなると自力で獣人国へ向かうために、民衆たちに紛れて向かうしかないのだ。しかしその手段をシェルは知らなかった。
「姫様、本気なのですか?」
侍女は驚いたように目を丸くしている。そんな侍女へシェルは大きく頷いた。
「お父様のお考えにはやはり、同意しかねるもの。私は私の人生を思うように生きます」
それに、とシェルは続けた。
「お膳立てされた好きな人の妻になる人生は、絶対に楽しくないわ。私は私から、王子様を迎えにいきます」
その言葉からは強い意志を感じる。女としては同意できるシェルの意見だったが、王宮仕えの身としては全面的に応援できない。そのため侍女は困ったような表情を浮かべている。それを見たシェルは慌てた。
「ごめんなさい! あなたを困らせるつもりはなかったのよ? そうよね、あなたにも立場がありますからね、おいそれと獣人国への行き方を教えるわけにはいかないわよね」
シェルの言葉に侍女がどうしたものかと表情を曇らせていると、
「獣人国への行き方、教えてやるよ、シェル」
「ヴァン様っ?」
驚いた声を上げたのは傍にいた侍女だった。いつの間にか傍までやって来ていたヴァンがシェルへと声をかけてきたのだ。シェルはかがんでヴァンと目線を合わせると、
「ヴァンちゃん、行き方を知っているの?」
「一応、な」
ヴァンは付いてこい、と言うと背を見せる。シェルはヴァンの後ろを追っていく。そんな二人の様子を侍女はオロオロと見るしかなかったが、二人をこのままにしていくわけにもいかないと判断したのか、
「お二人とも、お待ちください~!」
そう言って二人の後を追いかけるのだった。
ヴァンがシェルたちを連れてきたのは王宮の高台だった。そこからは城下町の様子が良く見える。ヴァンはそこから街の外れを指さして言った。
「あそこに小屋が見えるだろう? あそこから、獣人国行きの馬車が出てる」
「あんな端っこの方にあるのね」
生まれてこのかた、王宮から外へと出たことがなかったシェルは王宮から馬車が出る駅までそれなりに距離があることに驚いた。ヴァンはそれから、と言葉を続ける。
「当然知っていると思うけど、馬車に乗るにはお金が必要になるからな」
「あ……」
シェルはお金のことをすっかり失念していた。この王宮内で生活する上で、お金は必要なかった。欲しいものは侍女に言えば持ってきて貰えたし、ドレスや食べ物も基本的には国民から献上されたものを選んでいる。
「そうよね、街に行くならお金は必要よね……」
どうやってお金を手に入れるべきか、シェルは悩む。そんなシェルにヴァンは言った。
「これで分かっただろ? 俺たち王族が民衆たちと一緒に外に出るのは容易じゃないんだ。だからシェルも、『極上の生贄』になることはおとなしく諦めて……」
「イヤよ! お父様の言いなりの人生なんて!」
シェルはヴァンの言葉を遮って声を上げた。
「こうなったら、歩いて行くわ!」
「歩きっ?」
今度はヴァンが声を上げる番だった。人間国から獣人国まで歩いて行くとなると何日かかるか分からない。その上、道中には山賊も出る。シェルのような上等な身なりをしている娘が一人、歩いて旅をするなどならず者の餌食になるのは目に見えているのだ。
「それだけは、止めてくれ!」
ヴァンはそう言ってシェルに懇願する。
「でも、歩くしかないでしょう? 私、お金は持っていないもの」
「うぅ……」
ヴァンは言葉を失う。シェルの決意がここまで固いとは予想外だった。
「シェルは、どうしてそこまであの無愛想な王子のことを気にかけるんだ?」
「ゼール王子は無愛想ではないと思うわ」
ただ少し、人より感情表現が苦手なだけではないかとシェルは言う。そんなゼールを気にかける理由を改めて自分でも考えてみる。
始めは好奇心だった。獣人族への興味で、その次にやって来たのはゼールの美しさだった。顔かたちのみならず、その身体から生えている尻尾を始め、人間とは違う頭の上の尖った耳や、話していると見え隠れする牙なんかは、獣人族の美しさだと思った。