「獣人族の生贄がどんな辱めを受けるのか、知っててそんなこと言っているのか?」
ヴァンの言葉には棘が感じられていた。
確かにヴァンの言う通り、獣人族の生贄となった人間がどのような辱めを受けるのか、具体的にはシェルは知らない。知らないが、
「私以上に適した『極上の生贄』なんていないと思うの」
「それは、そうかもしれないけど……」
ヴァンは悔しそうに下唇を噛む。
(俺だって、シェルのこと、心配してんのに……)
幼い肩を震わせながら俯いてしまったヴァンに、シェルは優しく言った。
「大丈夫だよ、ヴァンちゃん。あの王子様なら、私のことを傷つけたりしないわ」
「どっから来る自信だよ……」
「女の勘、ってヤツかな?」
シェルはそう言うといたずらっ子のように微笑んだ。ヴァンは小さな声で、何だよ、それ……、と呟くことしか出来なかった。
「ヴァン様」
その時、ヴァンの教育係と思われる初老の人物が声をかけてきた。
「そろそろ次の授業が始まります」
「……分かった」
事務的に言い告げられたヴァンは渋々答える。それからシェルに視線を向けると、
「とにかく俺は、シェルが生贄になるなんて絶対反対だからな」
それだけを言い残して去って行くのだった。
「もう、ヴァンちゃんったら、心配性なんだから……」
シェルは去って行くヴァンの後ろ姿を見送りながらそんなことを独りごちた。そうして待っていると、
「お待たせしました、姫様。国王様との面会準備が整いました」
「ありがとう」
先程姿を消した国王の側近がやって来て、シェルを呼んだ。シェルは立ち上がると側近に続いて謁見の間へと入る。
「シェルから尋ねてきてくれるとは、嬉しい限りだ」
国王はニコニコとしながらシェルに言葉をかけた。シェルはそんな父王に真剣な面持ちで切り出した。
「獣人国への『極上の生贄』に、是非私を使って戴きたく、参りました」
「シェルっ?」
シェルの言葉に驚いたのは国王だけではなかった。その場にいた誰もが驚きの表情を隠さない。
そもそも一国の姫が生贄になるなど、前代未聞だ。そんな唖然としている周囲を尻目にシェルは言葉を続ける。
「『極上の生贄』には血筋の良い者がふさわしいとうかがいました。ならば、私以上にふさわしい生贄はいないと存じます」
「本気で言っているのか? シェル」
問いかけてきた国王は静かな、しかし真剣な声音で尋ねた。その声にシェルも真剣に返す。
「本気です」
「ならぬっ!」
シェルの返答に間髪入れず国王が語気も荒くそう断言する。
「お前には、ゼール王子の妻として獣人国へと行って貰う予定なのだ! それを、よりによって生贄と言う立場で送り出すことなど、あってはならぬ!」
国王は大声でそう言う。
ゼール王子の妻、と言う言葉に一瞬だけシェルの心が動いた。確かに生贄として行くよりも、妻という立場の方が一生、ゼールの傍にいることができるだろう。何せ、あの獣人国は人間国とは違い、一夫一妻制なのだから。
だが、その先にある父王の思惑を見透かせない程、シェルは愚かではなかった。
「お父様は、そうやって私を獣人国へと嫁がせた後、獣人国をその手中に収めるおつもりなのでしょう?」
その見え透いた手口に、シェルは目を細めながら父王に問いかける。問われた王は何の悪びれる様子も見せずに肯定した。
「そうだ。獣人国が人間国のものになれば、もう攻め入れられることも、レイガーに怯えることもなくなる。悪いことではなかろう?」
国王の意見はあくまでも『人間国国王の意見』であった。しかしシェルは、
「それでは、獣人国に生きる獣人族の皆さんはどうなるんです?」
そこを危惧していた。今まで散々、人間国から生贄を送っていたのだ。今度は逆に獣人族が人間の奴隷のように扱われはしないか、そこが心配になってしまう。
「あのような野蛮な種族、どうなっても良かろう」
国王は切り捨てるようにそう言った。その言葉を聞いたシェルは頭の中の血管が一本、プチッと音を立てて切れたような気がした。
「お父様、本当に自分のことしかお考えではないのね! 見損ないましたわ! 私、絶対にゼール王子の妻にはなりません! お父様の思い通りにはさせないわ」
シェルの真っ青な瞳は冷え冷えとし、父王に対しての侮蔑の色をたたえている。
「私、歩いてでも獣人国へと向かい、『極上の生贄』として獣人国の住人になります」
シェルにとっては、たとえ獣人国とは言え、民衆のことを考えない王のことを認めることが出来なかった。そんなシェルの固い決意に、国王は、
「ならぬ! ならぬ!」
そう言い、赤子のように泣き出しそうになっている。自分の愛娘がまさか獣人族の生贄になるなど、そのような事態は国王として、父として、何としても避けたい展開であった。しかしシェルは、
「お父様はいつもそうよ。いつも『ならぬ、ならぬ』ばかり。私はもう、お父様のいいなりにはなりませんから」
最愛の女性とよく似た娘からの言葉に、国王はたじたじになる。どうにかしてシェルの気持ちを変えたいと考えるのだが、シェルはもう、話はここまでだと
「ま、待て! シェル!」
「さようなら、お父様」
シェルはそう言い捨てると、謁見の間を出て行ってしまった。残された国王は頭を抱えて座り込んでしまうのだった。