ティエリーク大陸。この大陸には二種類の種族が共存していた。一つは人間国と呼ばれている。その名の通り、人間が住んでいる国だ。
この国の王侯貴族には一夫多妻制が認められており、人間国の国王には正妻となった王妃の他にもたくさんの妃が後宮で生活をしていた。しかし国王の正妻は身体が弱く、後宮での生活は負担が大きかった。そんな王妃のため、国王は城内に離れを作り、王妃をそこに住まわせることにしたのだった。国王がいちばんに愛していたのは、この王妃だけであった。
そしてもう一つの種族は、獣人族だ。獣人族が住んでいる国はその名の通り獣人国である。この国は一夫一妻制だ。それは獣人国の王族でも通じるルールであった。しかし王族には『レイガー』と呼ばれる時期が一年に一度やって来ていた。このレイガーは、発情期のようなものなのだが、発情期と違う部分は酷く気が立っており、イライラしやすい点にある。そのため判断を誤りやすく、ティエリーク大陸の歴史上で何度も人間国に攻め入っては戦争に発展したことがある。
そんな歴史的背景から、人間国との共存を希望した獣人国の国王は、人間国の国王へと一つの提案をした。
『年に一度、レイガーの時期に人間の生贄をこちらへ渡してはくれないか』
人間国の国王はこの条件を飲んだ。
人間国から生贄が渡されると、獣人国の王はその人間に発情し、人間国への敵対心を和らげることが出来たのだった。
そんな二種類の種族が生きているティエリーク大陸の、人間国の方に、一人の姫がいた。名を『シェル』と言う。シェルは人間国の国王と正妻である王妃の間に生まれたたった一人の子供だった。
王妃はシェルの誕生を機に後宮を離れ、城内の離れに越したため、シェルは後宮の空気を直に感じたことはなかった。離れは急ごしらえで建てられていたため、中はとても狭かったものの、親子二人で生活する分には申し分なかった。王妃もシェルも、家事を積極的に行い、出来ないところだけ女中に助けて貰う、と言う生活だった。
そうして育ってきたシェルは少し脳天気な、良く言えば前向きな性格になっていた。少しのことではくじけない、強い心も持っていた。
こうして親子二人の二人三脚の生活だったが、それもシェルが十六歳の頃に終わりを迎える。身体の弱かった王妃が病に倒れ、そのまま亡き人になってしまったのだ。
今日はそれから三年が経った、王妃の命日である。
シェルは母親の墓標の前に、喪服に身を包み立っていた。そんなシェルの傍には小さな男の子が立っている。
彼の名は『ヴァン』である。ヴァンは腹違いのシェルの弟にあたる。ヴァンは幼いながらも現在の王位継承権、第一位の王子であった。つまり、将来シェルとヴァンの父親である現国王の跡取り、となるわけだ。
ヴァンは常々、自分とは違う生活をしていると言う姉の存在が気になっていた。そのためこっそり後宮内を抜け出し、城内にある離れへとやって来た。シェルは始め驚いたものの、
『ここまで良く来たわ。狭いところだけれど、どうぞ上がって?』
そう言って、ヴァン王子をもてなしたのだった。この頃はまだ母である王妃も生きており、三人で小さなテーブルを囲んでお茶を飲んで談笑した。
普段から国王になるための教育を受けさせられていたヴァンにとって、この離れでの時間はかけがえのないものへと変わっていくのだった。
「王妃様が亡くなられて、もう三年なんだな……」
ヴァンは幼いながらもしっかりとした声音でそう言う。十歳になったばかりのヴァンにとって、王妃が亡くなった日の衝撃は忘れられなかった。今でもひょっこり顔を出し、あの少し苦いお茶を出してくれるのではないかと、錯覚してしまう。
どうしてもしんみりしてしまうヴァンに、墓標で手を合わせていたシェルは笑顔を向けた。
「ほら、ヴァンちゃんも、手を合わせて」
「うん」
シェルに促されたヴァンも墓標に手を合わせる。二人はそうしてしばらくしていたが、
「じゃあ、行きましょうか。お茶、飲んでいくでしょう?」
シェルはにっこりとヴァンに微笑みかけると小さなヴァンの手を取って離れに向けて歩き始めた。
それは花が咲きほころびる、美しい季節だった。やわらかな緑が辺りを包み、その緑を埋めるように色とりどりの花々が咲き乱れる。
二人はよく手入れされた城内の庭を、手を繋いで歩いていた。
「なぁ、シェル。獣人族のゼール王子が正式に、王位継承が決まったって話、知ってるか?」
「ゼール王子? どなた?」
「シェルは獣人族のこと、何も知らないの?」
「そうね~。獣人族の方とは、お会いしたことがなくって……」
暖かな道を歩いているとヴァンが獣人国の話を切り出してきた。
シェルは獣人国はおろか、この人間国から出たことがなかったため、獣人族を直接その目で見たことがなかった。しかし、
「あ! 獣人族は一人の旦那様に一人の奥様って決まっているのでしょう? それは気になるわ」
シェルでも獣人国が一夫一妻制であることは知っていたようだ。一夫多妻制で育っているシェルは、そろそろどこかに嫁ぐ年頃でもある。しかしやはり、女としては一人の女性として、一人の男性から愛されたいと言う気持ちはある。そうは言っても人間国でそれはあり得ないことだった。
「ヴァンちゃんは、獣人族を見たことがあるの?」
「あー……、獣人国へ行ったことはある」
「どんなとこっ?」
ヴァンの言葉にシェルは歩いていた足を止めて、ばっとしゃがむとヴァンと視線を合わせて尋ねた。そのシェルの勢いにヴァンは思わず身体を後ろへとのけぞらせる。