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episode13



 夏休みに入って、侍戦士の放送では綾瀬先輩演じる悪鬼幻月が登場した。

 弄ぶようにリュウノスケを追い詰め、圧倒的なチカラの差を見せつける。ボロボロになって、それでも立ち上がるリュウノスケだったけど、このままだと幻月を倒せない。


 そんな展開に、樹は毎週ハラハラしていた。

 初登場のときなんて、幻月のあまりの迫力にテレビの前から逃げ出してしまった。今もテレビを見ながら、柚にしがみついてる。


「樹、そんなに怖いの?」

「うん……ぼくゲンゲツやだ」

「リュウノスケくんがやっつけてくれるから怖くないよ。ね、お姉ちゃん」

「う、うん。そうだね」


 柚にはそう答えたけど、正直私も怖い。

 幻月じゃなくて、綾瀬先輩が。


『これは忠告だ』


 テレビから流れてくる幻月の声に、綾瀬先輩の言葉が重なる。

 芸能人と一般人が付き合ったっていいことない。どっちもツラくなるだけ。


「おねえちゃん?」


 いつの間にか、樹が傍に来ていた。


「おねえちゃんもリュウノスケまけちゃってかなしい?」

「えっ、リュウノスケくん負けちゃったの!?」


 いつの間にか番組は終わっていて、次回予告が流れていた。

 倒れて意識のないリュウノスケに叫ぶテンマの声。高笑いしてトドメを刺そうとする幻月。


 言葉が出ない私に代わって、柚が励ましてくれる。


「大丈夫だよ、樹。リュウノスケくんはヒーローなんだから負けないって」

「そ、そうだよ。リュウノスケくんは強いんだから絶対大丈夫」


 でも樹は俯いたままだった。

 私まで落ち込んじゃってたから、樹も余計に不安になってるんだ。朝からこんなどよんとした空気……なんとかしなきゃ。

 あ、そうだ!


 大事なものを入れておくタンスの引き出しから、咲弥くんに貰ったチケットを取り出した。


「樹、柚。今度一緒に侍戦士のイベントを見に行こう。みんなでリュウノスケくんを応援しようね」

「ほんとに!? やったやったー!」


 樹がワーワー言いながらリビングを駆け回った。よかった、元気になったみたい。

 柚は、私の顔とチケットを交互に見てる。


「これ、咲弥くんに貰ったの?」

「そう。みんなで一緒に来てね、って」

「お姉ちゃんだけじゃなくていいの? だって、咲弥くんとデートしたいでしょ?」


 ゆ、柚ってば、またそんなこと言って……!


「イベントの日は咲弥くんだって忙しいんだから、直接会ったりできないよ」

「そうなんだ。残念だね」

「わ、私のことはいいの! 今日は柚、学校のプールないでしょ。私ちょっと当番に行ってくるから、樹のことよろしくね。すぐ帰ってくるから」

「また当番? この間も行ってたのに」

「中学生は忙しいの」


 樹を柚に任せて、出掛ける準備をした。

 クラスのみんなから引き受けた当番は、7月下旬から8月上旬に固まってて、最近毎日のように学校に行ってる。

 でも、私が引き受けたことなんだもん。責任持って頑張らなくちゃ。



 そんな毎日を過ごして、今日は8月10日。当番最後の日だ。

 今日の当番は校庭にある体育小屋の掃除。結構大変らしくて、私以外にも3人の子と一緒にやる予定。


 ……のはずなんだけど、体育小屋の前に行くと誰もいない。

 遅れてるのかな。それとも、忘れちゃってる?

 まあいいや。とりあえず私だけで初めていよう。


 小屋の中は教室くらいの広さがあって、カラーコーンやライン引き、平均台やハードルなどいろんなものが詰め込まれてる。床は砂がすごくて、棚は埃だらけ。

 これは掃除し甲斐がありそう。


 まずは雑巾で埃を拭いて行く。モノが多くて、ひとつひとつ拭いていくのは時間が掛かる。

 雑巾はすぐに真っ黒になって、バケツの水で洗っても水があっという間に汚れちゃう。水道まで往復して水を汲んで、また拭き掃除。

 ちょっと面倒だけど、少しでも水に触れられるのは嬉しい。窓は開けてるけど、体育小屋の中は熱がこもって熱かった。太陽の光が直接当たらないだけマシだけど。

 汗がダラダラ出て、ポタポタ手元に垂れてくる。タオルは持ってきたけど、拭いても拭いてもキリがない。

 ええい、気合で乗り越えよう!


 目の前のことをコツコツやってれば、必ず終わりは見えてくる。最後の平均台を拭き終えて、終了!

 次は掃き掃除だけど、1回休憩してこようかな。のどカラカラだよ。お水飲んでこよう。


 外に出ると、太陽は真上を向いててまさに灼熱。今日は今年最高気温になるって天気予報で言ってたっ……


 グラッと目の前が回転した。

 あれ? と思うヒマもなく、よろけて地面に倒れ込んだ。手と顔が砂利に当たって痛い。こんな転び方するなんて恥ずかしい。誰も見てないといいけど。早く起き上がって……

 起き上がれない。手にも足にも力が入らなくて動けなかった。

 え……私、どうしちゃったの……?


 目の前が徐々に暗くなっていく。遠くから誰かの呼ぶ声が、聞こえた気がした。



 頭がひんやりする。それに、なんだか涼しい。夏なのに。

 ぼんやり目を開けると、白い天井が見えた。うちじゃない。ここ、どこ?


「結來! 大丈夫か?」


 私を覗き込んだのは、心配そうな顔をした咲弥くんだった。

 私、ベッドに寝ているみたい。


「……咲弥、くん? あれ、どうして……?」

「すっげえ驚いたよ。学校来たら結來が倒れてんだもん」


 学校?

 辺りを見回すと、隣にもベッドがあった。薬の入った白い戸棚と保健のポスターが見える。

 頭に乗ってる冷たいのは、絞ったタオルだった。


「保健室?」

「そうだよ、急いで運んできた。保健の先生が言うには、熱中症だろうって。結來、水分も塩分も取らなかっただろ」


 忘れてた。まさかあんなに熱いなんて思わなかったから。


「咲弥くんは、なんで学校に……」

「俺も当番だったんだよ。教室掃除」

「そうだったんだ……」


 まだ頭がまわらなくて、ぼんやり答えることしかできなかった。

 咲弥くんは「先生呼んでくる」と保健室を出て行った。

 ああ、まだ掃除終わってなかったのに。それに私、どのくらい寝てたんだろう。柚と樹が留守番してくれてるから、早く帰らなきゃなのに。

 咲弥くん、ずっと私についててくれたのかな。この後きっとお仕事だよね。時間大丈夫かな……。


 咲弥くんが保健の先生と白井先生を連れて戻ってきた。

 保健の先生が持ってきてくれた経口補水液を飲む。


「これ飲んで、もう少し休んでね。おうちの人に迎えに来てもらうように連絡するから」

「自分で帰れるので大丈夫です。今、家に妹と弟しかいないので」

「1人で帰るの? でも途中で倒れたりしたら……」

「俺が送ってきます」


 きっぱりと咲弥くんが言った。


「でも、咲弥くんお仕事は……?」

「今日は夜までオフ。こんな状態で歩かせられないから、タクシー呼ぶよ」


 タ、タクシー!? そんな高級なもの乗れないよ!

 咲弥くん、心配してくれるのは嬉しいけど大げさすぎるって。

 と言おうとしたら、咲弥くんが眉間にしわを寄せてるのに気づいた。


「体育小屋掃除、1人でやってたのか? 他のやつらは?」

「誰も来てないよ。忘れちゃってるのかもしれない」

「サボりかよ……。先生、今日の当番誰だったんですか?」


 咲弥くんが聞くと、白井先生が「ええと」と腕を組んだ。


「当番表を見ないと思い出せないが……でも体育小屋掃除は男子が担当じゃなかったか?」

「はい、荒川くんの当番を代わったんです」

「はあ?」


 咲弥くんが顔をしかめる。


「今日、結來の当番じゃなかったのか?」

「うん、私何人かの当番代わってるから」

「そういえば、藤崎は毎日のように学校に来てたな。みんな忙しいから代わってくれてたのか。偉いぞ、さすがは特待生……」

「偉い?」


 ジロリ、と咲弥くんが先生を見上げた。というより、睨み上げた。


「当番は自分でやるべきですよね。できない日は事前にNGを出してたじゃないですか。それなのに結來に全部押し付けて先生までそれを許すなんて、なんの為の当番なんですか。おかしくないですか?」

「お、おお。そうだな……」


 咲弥くんに睨まれて、先生がたじたじと身を引いた。

 どうしよう。先生にそんなこと言って、咲弥くんの内申点とかに響いたりしたら。


「咲弥くん、私はだいじょう――」

「おかしいに決まっています!」


 私の声は、保険の先生に遮られた。


「綾瀬くんの言う通りです。1人の生徒に倒れるまで無茶をさせるなんて、先生の監督不行き届きですよ。熱中症は、命に関わることもあるんですからね!」

「す、すみません……」


 保険の先生にお説教されながら、白井先生は職員室に戻って行った。



「はあ……」


 2人きりになると、咲弥くんがベッドサイドの椅子に座りこんだ。

 まさか、咲弥くんまで具合悪くなっちゃった!?


「結來って、ホントに自分1人で抱え込むよな」

「え……」

「当番も、なんでそんなに代わってやってんだよ。どうせムリヤリ頼まれたんだろうけど、嫌なら嫌だって言わないとダメだろ」

「私、本当に嫌なわけじゃないの。誰かの役に立てるなら嬉しいし、困ってる人がいたら放っておけないから」

「それで限界きて倒れたら意味ないだろ」

「そう、だよね……ごめんなさい」


 それで結局、こうやって咲弥くんにも迷惑掛けちゃったんだもん。私ってホントにダメだな。


「俺だって同じだよ」


 咲弥くんがぽつりと呟く。


「俺だって結來の役に立ちたいし、困ってたら助けたいんだよ」

「咲弥くん……」

「だからこれからは、俺に何でも言えよ。ワガママ言ってもいいし、困ったら『助けて』って言えばいい。俺は絶対に、結來を助けるから」


 咲弥くんは優しく言ってくれたけど、私は素直にうなずくことができなかった。

 だって今まで、そんなの考えたこともなかったから。

 ワガママなんて言っちゃダメ、人にあまえず自分で頑張る。

 家のことも勉強も、ずっとそう思ってやってきた。だから、どうしていいのかわからない。



 しばらく休んだ後、咲弥くんは本当にタクシーで家まで送ってくれた。

 歩いて帰れるって言ったけど、「俺もこのまま仕事行くから」って。お仕事、夜からって言ってたのに。


 家の前に着いて、タクシーを降りる。


「咲弥くん、今日は本当にごめんなさい。迷惑掛けて」

「違うだろ」


 そう言って、咲弥くんもタクシーを降りた。

 私の頭に、咲弥くんがポンと手を乗せる。


「俺は結來に謝ってほしいわけじゃないから」


 謝る以外に、咲弥くんに伝えること。

 それは……


「……助けてくれて、ありがとう」


 咲弥くんが弾けるような笑顔で笑う。


「おう! 何かあったら、いつでも俺を呼べよな! 結來のためなら、どこへだって飛んでくから!」


 咲弥くんはタクシーに乗り込んで、走り出してもずっと手を振っててくれた。私も、タクシーが見えなくなるまで手を振る。


 ごめんなさいじゃなくて、ありがとう。

 罪悪感に押し潰されそうだった心が、ふわっとあたたかくなった気がした。


 でもずっと、咲弥くんと一緒にはいられない。

 胸の奥がズキッと傷んだ。





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