今日は1学期の終業式。
プリントや宿題が配られて先生の話を聞いたら終わりだから、来ない人もチラホラいる。咲弥くんも朝から撮影みたいで、昨日白井先生から先に必要なものを受け取っていた。
教壇に立った先生が、みんなを見まわす。
「当番表は行き渡ったか? 全員、忘れず来るように」
夏休み中、1日だけ学校の掃除や係の仕事などで登校する日がある。みんな仕事があるから、事前にNGの日を避けて決められていた。
同じ日に全員集合するのは無理だから、これがこの学校の登校日みたいなもの。
私はいつでも大丈夫なんだけど。
「夏休み中の方が忙しくなる人もいるだろうが、元気にケガなく過ごすように。また2学期、元気に会いましょう。はい、今日はここまで」
先生が教室を出て行くと、ガヤガヤとみんなも席を立ち始める。
私の当番は8月2日。夏休み中でも樹は変わらず保育園に行くし、柚は学校のプールがある。
学校がない分、私はヒマなくらいなんだよね。その分勉強をしておこうかな。みんなみたいに家庭教師の先生を頼むお金はないし、塾にも行けないんだから。自分で頑張らなきゃ。
「藤崎さん、ちょっといい?」
カバンから顔を上げると、繭子ちゃんがいた。この感じ、もしかしたら……
「夏休みの当番、撮影の日に当たっちゃったの。急にスケジュールが変更になって。藤崎さん、当番交代してもらえないかな?」
やっぱり。1学期の最中もいろんな子の当番代わったから、そうだと思った。
「うん、いいよ。私いつでもヒマだから」
「ありがとう! 私の当番、7月31日なの」
「私は8月2日なんだけど、大丈夫?」
「えっ……その日はダメだぁ。テレビの収録があるの」
繭子ちゃんがガックリと肩を落とした。繭子ちゃんは女優さんをしてる。ドラマに映画にCMと引っ張りだこ。
当番をやってる時間なんてないよね。
「交代じゃなくていいよ。繭子ちゃんの当番も、私がやるね」
「ええっ、本当? ありがとう。2学期の当番、絶対代わるからね」
「いいのいいの。私夏休みはヒマだから」
「ねえ、それなら私とも代わってくれない?」
今度は彩佳ちゃんがやってきた。
「私も当番の日、ダメになっちゃったんだぁ。お願いできる?」
彩佳ちゃんが顔の前で手を合わせた。彩佳ちゃんはアイドルだから、夏はライブとかあるのかも。
「うん、いいよ」
「やったー! 藤崎さんありがとう!」
彩佳ちゃんに両手を握られて、ぶんぶん振られる。
そんなに喜んでもらえるなら良かった。
「藤崎、当番代わってくれんの? 俺のも頼むよ」
横から顔を出したのは荒川くんだった。
「えー、じゃあ俺も俺も!」
「あたしも代わって~!」
次から次へと、みんなが私の机に集まってきた。
一般人の私が芸能人に囲まれてるなんて、おかしな状況。
長期休暇中は学校がない分、仕事が集中的に入るって花凛ちゃんが言ってた。やっぱりみんな夏休み中の方が忙しいんだな。
よし、こういうときはヒマな一般人が頑張って――
「ちょっと、みんな! いい加減にしなよ!」
声が飛んできた。みんなが振り向いた先には、花凛ちゃんが立っている。
「当番は自分の仕事でしょ。みんなに押し付けられたら結來ちゃんが困るじゃない。どうしても無理なら他の人に代わってもらいなよ」
花凛ちゃんがそう言うと、みんながシンと静まり返った。
でもすぐに「他の子はみんな忙しいし」「藤崎さん代わってくれるって言ってるのに」「なんで鶴屋さんが言うの」とみんながざわめき出す。
これじゃ花凛ちゃんが悪者になっちゃうよ。
「花凛ちゃん、私なら大丈夫。夏休み中本当にヒマだから、みんなの当番代われるよ」
「じゃあ私も一緒にやる」
「でも花凛ちゃんだって忙しいでしょ?」
花凛ちゃんが視線を落とした。
夏はフラワー×フラワーのツアーがあるって言ってた。本番はもちろん、練習やリハーサルもある。自分の当番をやるので精一杯なはず。
「本当に大丈夫だから。心配してくれてありがとう」
「結來ちゃん、無理はしないでね。先生に相談してもいいんだからね」
「うん、わかってる」
ということで、私はみんなの当番を代わることになった。
と言っても、夏休みは長いんだからそんなに忙しいスケジュールにはならない。
やることがあった方が、夏休みだからってダラけず過ごせていいもんね。
でも、花凛ちゃんは気にしてるみたい。
代わりに出ることになった日をノートにメモしてる間、みんなが帰った教室でずっと待っていてくれた。
「結來ちゃん、力になれなくてごめんね」
「花凛ちゃんは何も悪くないよ」
そう言っても、花凛ちゃんの顔は晴れない。
なにか違う話をして気分を変えよう。
「花凛ちゃんもライブで忙しいみたいだけど、侍戦士のイベントの日は大丈夫?」
「その日はバッチリ! 慎太郎くんも楽しみにしてたから、絶対みんなで行こうね!」
「うちの妹と弟もいるから、迷惑掛けちゃうと思うけどごめんね」
「全然! 賑やかになっていいよ。ヒーローショーは元気な子供たちに盛り上げてもらわないとね!」
ライブの打ち合わせに行く花凛ちゃんと別れて、校門を出る。
今日はまだ早いし、1学期お疲れさまってことで自分へのご褒美にTerra-Cottaに行こうかな。
いやでも、今から帰れば洗濯機もう1回まわせるかも。最近雨が多くて洗濯物が溜まっちゃってたから……
「俺を無視するとはなかなかだね。結來ちゃん」
振り返ると、門に寄りかかるようにしてサングラスを掛けた男の子が立ってた。
「綾瀬先輩!?」
「女の子に目の前通られてスルーされたの初めてなんだけど?」
「ご、ごめんなさい……。考え事してて」
「考え事ねぇ。咲弥のことだろ?」
綾瀬先輩がサングラスをチラリとずらした。
「いえ、洗濯物のことですけど」
「……は?」
ポカンとした綾瀬先輩は、すぐにふっと笑ってポケットに手を入れた。
「俺には言いたくないってことか。ま、聞かないでおいてやるよ」
なにか誤解されてる気がする……。
会釈して帰ろうとすると、「待てって」と呼び止められる。
「今からちょっと時間あるんだけど、俺とお茶しない?」
「綾瀬先輩は今日撮影じゃないんですか?」
「俺は主役様と違って午後から出勤だから、まだ平気」
どうしようかと思ってると、綾瀬先輩が私に顔を寄せた。
「ちょっとキミに頼みたいことがあるんだよ。聞いてくれるだろ?」
「私に……?」
綾瀬先輩が私の返事も聞かずに歩き出してしまった。頼みってなんだろう。
グズグズしてると、綾瀬先輩が振り返る。
「心配すんなよ。女の子に金出させるようなダセェことはしないって。なんでも奢ってやるよ」
「い、いえ、そんなんじゃありません!」
確かに私は一般人でみんなみたいにお金はないけど、そんな言い方されるのは心外!
ムキになってついて行くと、綾瀬先輩が向かってるのは駅とは逆方向だった。
「こっちに咲弥お気に入りの店があるんだって?」
「Terra-Cotta知ってるんですか?」
「村岡マネージャーに聞いた。そんな名前なんだ」
向かった先はTerra-Cotta。
私はほうじ茶フロート、綾瀬先輩はキャラメルフロートを頼んでた。お金を出そうとすると、先輩に止められる。
「だから奢ってやるって」
「いえ、自分で払います」
「結來ちゃん、まさか咲弥とデートするときも出してんの? こういうときは男を立てるのがイイ女なんだよ。ワリカンとかカッコ悪いだろ」
別にカッコ悪いなんて思わないけど。
と言う隙もなく、先輩はさっさとカードで支払ってしまった。
先輩が座ったのは、前に咲弥くんと慎太郎くんが座ってた奥の席。この隣で、私は2人の話を聞いちゃったんだ。
先輩がサングラスをはずした。
「この時間だから空いててラッキーだったな。秘密の話もしやすい」
「私に頼みたいことって、なんですか?」
「咲弥とは付き合って数ヶ月だっけ? 上手くいってんの?」
急になんの話!?
つい周りに聞こえないか心配になるけど、本当にお客さんはほとんどいない。
「はい、あの……楽しくやっています」
「芸能人と付き合えれば、そりゃ楽しいだろ」
そういうことじゃないんだけどな。
先輩がちょっとイラついたように足を組んだ。
「やっぱ回りくどいのは好きじゃねえわ。単刀直入に言う。咲弥と別れろ」
「な……っ!」
綾瀬先輩が私と咲弥くんのことを良く思ってないのはわかってた。けど、別れろなんて!
「今、兄弟共演が話題になってんのは知ってるだろ?」
「……はい、侍戦士ですよね。クラスでもその話題で持ちきりでした」
「兄貴の俺が言うのもなんだが、あいつはあんなガキの番組なんかで収まってるようなやつじゃない。俺がこうやって話題作って引っ張り上げて、国民的スターにしてやる」
私の胸に何かが引っかかった。そんなことには気づかず、先輩が続ける。
「そのためには、あんた邪魔なんだよね」
綾瀬先輩の言葉が、胸にグサリと飛んできた。
「スキャンダルになるから、ですか?」
「別にスキャンダルが悪いわけじゃない。芸能人としてのステータスにもなるし、女の扱いが上手くなりゃ演技にも活かせる。ただし、その相手は女優やアイドルの場合だ」
ネットニュースは見られないけど、クラスの子たちがウワサしてるのは耳に入ってくる。花凛ちゃんの言ってた通り綾瀬先輩は本当に遊び人で、しょっちゅう女優さんやアイドルとの熱愛がスキャンダルされてるらしい。
そういう芸能人に、咲弥くんもなれってこと?
「あんたみたいな一般人と付き合っても、咲弥にとって何の得にもならねえってことだよ」
「それは、そうですが……」
「なんだ、わかってんじゃん。それなら身を引いてくれよ。咲弥のために」
咲弥くんのため。
私なんかと付き合ってることがスキャンダルになったら、大変なことになるのは間違いない。俳優さんとしてプラスにもならない、ただのマイナス。
私だって咲弥くんにもっと俳優さんとして活躍してほしい。それでも私と付き合っててほしいなんて思うのは、ワガママなのかな。
咲弥くんにとって私は……邪魔。
「これは忠告だ。芸能人と一般人が付き合ったっていいことねえんだよ。今は咲弥もそんな売れてないが、この先売れてくると価値観が合わなくなる。忙しすぎて会えなくなる。どっちもツラくなることが目に見えてるだろ」
綾瀬先輩の黒い瞳が私を射抜く。
咲弥くんがどんどん有名になって一流の俳優さんになっていったら、私と住む世界は遠く離れて行く。
そのとき私は、ちゃんと咲弥くんの傍にいられるのかな。
「咲弥は優しいからな。あんたと別れるなんて自分からは言わないはずだ。それどころか、一緒にいるために仕事をセーブしたり、あんたのために無茶する可能性だってある。あんたが咲弥の足引っ張ることになってもいいのかよ」
私は膝の上でぎゅっと拳を握りしめた。フロートの上に乗ったアイスが溶けていく。
綾瀬先輩の言う通り、この先私が咲弥くんの負担になっていくのかもしれない。
それは絶対に嫌だ。私は咲弥くんが好きだから、咲弥くんを応援したい。
「まあすぐにとは言わねえよ。そうだな、夏休みの間に別れ話しといて。最後の思い出くらい作らせてやるからさ」
咲弥くんの仕事が忙しくて会えないこと、先輩だって知ってるはずなのに。
本当は別れたくない。
でも私の幸せよりも、咲弥くんに幸せになってほしい。
ほうじ茶フロートをひとくちも飲まずに立ち上がった。
「わかってくれた?」
「……はい。でもひとつだけ、私からもいいですか?」
「咲弥の代わりの彼氏が欲しい? いくらでもイケメンを紹介してやるよ」
「そんなんじゃありません。侍戦士を『あんなガキの番組なんか』って言うのはやめてください」
「は?」
先輩がわけがわからないという顔で私を見上げた。
「侍戦士は確かに子供向けですけど、咲弥くんは応援してる子供たちのために一生懸命頑張っています。先輩もこれからはあの番組の一員なんですから、バカにするようなことは言わないでください」
咲弥くんが、どれだけ頑張ってリュウノスケを演じてるのか知ってる。
樹の夢を壊さないように、ずっとリュウノスケとして遊んでくれたことも。
咲弥くんが大切にしてる作品を、そんな風に言わないでほしい。
しばらくポカンとしていた先輩が、ケラケラと笑い出す。
「何言い出すかと思えば、それ? マジで結來ちゃんマジメだねぇ」
「大事なことなんです。綾瀬先輩が真剣にやってくれないと、頑張って侍戦士を作ってる人にも、見てる子たちにも失礼ですから」
「わかったわかった。俺もそこはプロだから。本気でやってやりますよ」
本当にわかってくれたのかな。
私はドロドロになったほうじ茶フロートを片手に、先輩に一礼した。
「ごちそうさまでした。失礼します」
「じゃあね、結來ちゃん。楽しい夏休みを」
お店を出ると、空がどんよりと曇ってた。傘、持ってくればよかったな。