私立
普通だったら、そろそろ学校に慣れてきてもいい頃なんだけど……
「げ~、今日掃除当番だった!」
「繭子、これから雑誌の撮影じゃなかった?」
「どうしよう……表紙の撮影だから絶対遅れるなって言われてるのに」
「代わってあげたいけど、私もこの後レコーディングなんだよね。彩佳は?」
「あたしも今日はドラマの撮影」
雑誌、レコーディング、ドラマ。
教室では、非日常の華やかな会話が飛びかってる。
でもこれはこの学園の日常。月城学園は、芸能人が通う中高一貫の学園だから。
みんな忙しくて、当番をするのも大変そう。こういうときは、ヒマな一般人の出番だね。
「私、当番代わろうか?」
「えっ、藤崎さん。いいの?」
「うん、私ヒマだから」
「ありがとう~! 仕事ないときは絶対代わるからね」
「良かったね、繭子」
「藤崎さん、優しい~」
ワイワイと賑やかに、3人は教室を出て行った。
私、藤崎
学園中どこを見まわしても、キラキラした芸能人ばかり。かわいい子と美人の子とイケメンしかいない。
みんな大人っぽくて、この前まで小学生だったなんて信じられない。
そんな中で、一般人で子供っぽいブスな私が馴染めるわけない。浮いてる自覚はある。
だから、率先して先生の手伝いをしたり当番をやったりしてるんだよね。そうでもしないと、この学園に私の居場所なんてない気がして……
そんなこと、入学前からわかってた。でも、私は友達や恋人を作るためにこの学校に来たわけじゃない。
頑張って勉強して良い会社に就職して、家族を助けるんだから。
掃除道具入れからホウキを取り出す。
そういえば、掃除当番が繭子ちゃんだけってことはないよね? 他の子も帰っちゃったのかな。みんな忙しいもんね。
まあいいや。掃除は慣れてるから。
「手伝うよ」
突然声がして、振り返るとそこに立っていたのは――
「綾瀬、くん」
「藤崎さん1人で当番やってんの? 大変だろ。俺も手伝うよ」
真っ直ぐな黒髪に、目鼻立ちが整った優しい笑顔。クラスメイトの綾瀬
ちゃんと話したことはないけど、毎朝私に「おはよう」と声を掛けてくれる。放課後には「じゃあな」と手まで振ってくれる。
私のことをちゃんと認識してくれてるだけじゃなくて、名前まで覚えてくれてるなんてビックリ。
「大丈夫だよ。私ヒマだし、掃除嫌いじゃないから。綾瀬くんは忙しいでしょ」
「仕事は夜からだし、時間あるんだ。2人でやった方が早いだろ」
綾瀬くんはさっさとホウキを取って掃除をし始めた。
綾瀬くん優しいから、私が1人でノロノロやってるの見てられなくなったのかも。なんだか悪いことしちゃった。夜からお仕事なら、それまで遊んだり休んだりしたかったはずなのに。
何を話していいのかもわからなくて、黙ったままゴミを集めてゴミ箱に捨てる。もうゴミ箱は溢れそうになっていた。
「ゴミ置き場に持って行かないとだな」
「そうだね。私が持って行っておくよ」
「こういう力仕事こそ俺がやるべきだろ」
「でも……」
綾瀬くん1人に押し付けるのは悪いなぁ。私が引き受けた当番なのに。
「じゃあさ、ゴミ袋は俺が持つから、藤崎さんはあっちの資源ゴミ持ってよ。あれも持ってくんだろ?」
「わ、わかった。それじゃ、お願いするね」
先生の机の横には、授業で使ったプリントの余りがまとめてある。資源ゴミとして回収して、リサイクルに使うらしい。
綾瀬くんがゴミ袋を、私がプリントの入った箱を抱えて教室を出た。
男の子と並んで歩くのって緊張する。しかもあの綾瀬くんと。
「綾瀬くん、大丈夫? 重くない?」
「これくらい平気だって。俺、最近鍛えてるから」
「あ、そっか。侍戦士だもんね」
「藤崎さん、知ってんの?」
綾瀬くんが目を丸くした。
『侍戦士リュウノスケ』土曜日の朝にやっている特撮ヒーロー番組だ。
綾瀬くんは主役のリュウノスケを演じてる。シリーズものとして長年放送されてきた特撮番組だけど、綾瀬くんは最年少ヒーローとして話題になっていた。
「弟が好きだから一緒に見てたんだけど、今は私も妹も大好きなんだ」
「マジで? 嬉しい。あんま学校で見てるやついないから」
綾瀬くんが顔をくしゃっとさせて笑った。
「撮影大変でしょ。アクションもいっぱいあって」
「大変だけど楽しいよ。俺、ヒーローに憧れてこの業界入ったから」
「すごい! 夢を叶えたんだね」
夢って大人になってからの話だと思ってたけど、同い年の綾瀬くんがもう夢を叶えてるなんて尊敬しちゃう。
でもこの学校ではみんなそうなんだよね。アイドルになって、歌手になって夢を叶えて、それでも努力してる人がいっぱいいる。
「特撮の撮影って朝早くてさ。夜までぶっ通しなこともあるし、雑誌の取材とかイベントもあるから忙しくって」
「そういえば、最近遅刻や早退多いもんね」
「そうそう、勉強してるヒマもなかなかないんだよ。俺、仕事してるからって成績落としたくないのに……」
理事長先生は文武両道を掲げてるみたいだけど、芸能人をしてるみんなにとって、それは大変なことなんだと思う。
「藤崎さん」
綾瀬くんが足を止めて、私に向き直った。
「俺に勉強教えてくれない?」
「え、私が?」
「もうすぐ中間テストだろ。でも俺授業あんま出れてないから、勉強できてないんだよ」
「じゃあ、教室戻ったらノート貸すね。あ、でも私の字ヘタだし、見にくいかも……」
「ノートじゃなくて、一緒にテスト勉強してほしいんだけど」
え!? 私と綾瀬くんが一緒に!?
「テスト勉強なら、私より他の子に頼んだ方が……」
「そんなことないって。藤崎さん、特待生なんだろ」
月城学園の入学条件は「芸能活動をしていること」。
そんな私が入学できたのは、今年度から特待生制度が始まったからだ。
「これからは文武両道。学力にも力を入れていく」という理事長先生の発案で、特待生試験に合格すれば芸能活動をしていなくても入学できるようになった。
私はその特待生第一号。
「俺の友達みんな勉強苦手だから、頼れるのは藤崎さんだけなんだよ。頼む!」
綾瀬くんが両手を合わせた。
人に勉強なんて教えたことないし、自信もない。
けど、綾瀬くん本当に困ってるみたいだし、せっかく頼ってくれたんだから力になりたい。
「上手く教えられないかもしれないけど、それでもいい?」
「やった! ありがとう!」
綾瀬くんが太陽みたいな笑顔になった。
そんなに喜んでくれるなんて、よっぽどテストが心配だったんだな。芸能人って、やっぱり大変。
ゴミ置き場にゴミを置いて、私たちは教室に戻る。
まだ綾瀬くんの仕事までには時間があるから、さっそく一緒に勉強することになった。
机を向かい合わせにくっつける。
同じ教室にいても、いつもは遠い綾瀬くんがこんなに近くにいるなんて不思議な感じ。
中間テストは5教科。入学して初めてのテストだから範囲もそんなに広くなくて、教科書をしっかり読んでおけば大丈夫なはず。
とりあえず、教科書を順に追ってテスト範囲を復習していく。
「ここまでがテスト範囲だけど、何かわからないことある?」
「さすが藤崎さん、すごいわかりやすかったよ」
「ただ教科書なぞってただけだよ」
「そんなことないって。まとめ方が上手いんだよ。教科書が完璧に頭に入ってないとできないことだよな」
「この辺は特待生試験の範囲とちょっと被ってるんだ」
特待生試験だけあって、入試のレベルはかなり高かった。
芸能活動をしてる子たちの入試とはだいぶ違ったらしいから、私だけ先取りして勉強してたようなものなんだよね。
「藤崎さんって、なんでうちの学校入ろうと思ったの?」
綾瀬くんが首を傾げた。
あんまり自慢にならない理由だけど、隠すのもおかしいかな。
「特待生って、入学金も学費も免除で制服まで用意してもらえるの。うちは母子家庭で妹も弟もいるから、あんまりお金が掛からないところに入りたかったんだ」
5年前にお父さんが死んじゃってから、私は自分に何ができるか考えてた。本当は働いてお母さんを助けたかったけど、小学生じゃ働けないし、芸能界なんて私じゃ無理。
唯一できたことは、勉強をすること。
特待生になれば、入学金や学費が免除される学校がいくつかあった。それで1番条件が良かったのがこの学校って、それだけ。
私がそう言うと、綾瀬くんは黙り込んじゃった。
マズい。いきなり重い話しちゃったかな。
それとも、入学金や学費免除が目当てなんて引かれちゃったかも……。
だけど、綾瀬くんは顔を上げて、まっすぐと私を見た。
「しっかりしてるんだな、藤崎さん」
「そ、そんな! お仕事してるみんなに比べたら全然だよ。私は歌とかダンスとかお芝居なんてできないから、なんとか勉強だけでも頑張ろうと思って」
とんでもないと両手をぶんぶん振ると、綾瀬くんが机に頬杖をついた。
「俺、勉強なんて今まで宿題くらいしかまともにやってこなかったんだ。この学園に入れたのだって、ただ芸能活動してたってことと、兄貴が高等部にいるからってだけ。俺ももっと、ちゃんとしないとな」
「でも綾瀬くんだって、勉強を疎かにしたくないって思ったんでしょ? だから私とテスト勉強を……」
「それは口実だよ」
口実?
綾瀬くんがパタンとノートを閉じた。
「勉強、付き合ってくれてありがと。あともう1つ、俺のお願い聞いてもらってもいい?」
「うん、私でできることなら」
「藤崎さんじゃなきゃ、できない」
落ちていく夕陽が、綾瀬くんをオレンジ色に照らし出した。
「俺と、付き合ってくれませんか?」
「え……」
「キミが好きだ」
夕陽の中で柔らかく笑う綾瀬くん。まるで、ドラマのワンシーンみたいだった。