エリシア・デュ・リナーシス、それがあたしの名前だ。
【リナーシス村のエリシア】と言う意味でリナーシス村の人たちは私も含めてそう名乗っている。
個別にセカンドネームを名乗れるのは貴族様か、勇者様ぐらいなもので、少なくともこの国の人はそれで通っている。
あたしは、最近同じような夢を見る。
知らない世界の知らない人の人生をのぞき見ているようですごく嫌なのだけど、夢の中ではあたしはその人なのだ。
そして、その人は男性、あたしとは性別も違う。夢を見るようになったのは、いつからだろうか。
12歳になってすぐと言うわけでも無いし、何か思い当たるきっかけも無い。
ただ、そのブツリ・カガクの知識は非常に役に立っている。
コウコウ3ネンセイまでの知識なら夢の中で勉強をしたのだから、実際に使えるのだ。
「……また、あの夢ね」
あの夢を見ると、あの夢の世界に戻りたいと強く感じてしまう。
あの世界は別にあたしが生まれた世界でも無いし、そもそも行く方法も知らないのにである。
特に、夢の中で出てくる弟や両親、お隣の女の子が出てくると、胸が締め付けられるのだ。
レズビアンでは無いはずだけどと、自分でも考えてしまう。
それはまるで、そう、まるで……。
「異世界転生……」
夢の人が夢想していた妄想である。
あの時、あの瞬間はどう考えても異世界転移だと思うのだけど、私の場合は異世界転生と考えた方がしっくりくる。
「……まだ、暗いわね」
まだ、鶏すら鳴かない時間だと言うのに、あたしはすっかり目が覚めてしまった。
リナーシス村には時間の概念と言うのは動物や魔物の鳴き声や太陽の傾きで知るのだけれども、夢の中の人は時計と言う貴族様しか身に着けないようなもので測っていたっけ。
あたしもそれに習って時間を計測するようになった。
「この暗さだと、朝の4時ごろかしら?」
この時間ではまだ両親も、他の兄弟も寝ている時間である。
どちらにせよ、農業を始める時間はだいたい5時ごろと決まっているのだ。
7人兄弟の3女として、5番目の子としても、今のうちにしっかりと学べることは学んでおきたい。
もうすぐ15歳なのだ。
教会での女神様から祝福が終わると、村には居れなくなるかもしれない。
実際、次女のエリンは女神様から祝福が終わると口減らしとして奴隷として売られてしまった。
次男のアスティンは冒険者になると自ら村を出て行った。
三男のマーティは、祝福が農業関係だったため、残って畑仕事を頑張っている。
そう、次はあたしの番である。
変な祝福だと、あたしは奴隷として売られることになるのだろう。
妹のシエラはそんなことは知らないでのんきなものである。
あたしは隣で寝ているシエラを起こさないようにベッドを出ると、机のろうそくにマッチで火をともす。
魔法も使えないことも無いが、詠唱が面倒くさいし、魔法が使えると言うのは誰にも知られてはいけない秘密なのである。
あたしは村から出たくないのだ。
「今日もカガクについて知ったことを書き溜めておかないとね」
あたしは転生前の記憶が戻るまで、読み書きはできなかった。
夢でニホン語の読み書きならば出来るようになって以来、私の世界の言葉……ダルヴレク語を勉強して理解できるようになった。
あたしはカガクのメモはニホン語で書くようにしていた。
こういう知識はどこかで漏洩すると、面倒な事になると前世の知識が教えてくれたからだ。
夢を見るようになってから、計算を含めて色々な知識が身についた。
もちろん、夢については両親にも秘密である。
頭のおかしい子と思われたら、15歳で確実に奴隷行きだからだ。
2軒隣のティティア姉さんも、不思議っ子だったので15歳の祝福後に奴隷として売り飛ばされてしまったのをあたしは見てしまったのだ。
リナーシス村は貧しい村である。
どこの国に所属してどの位置に所属するかなんていうのは、あの夢をみるまでは気にしたことすらなかったので、知らないままである。
実際小麦や野菜の生産はあまり良好ではなく、税金も重たいらしい。
だから、役に立たない女児は奴隷として売られるのだ。
役に立つ女児は長女、または農業関係の祝福を受けた女児である。
と言うのはそれとなく残っている女の子に聞き込みをした結果である。
ちなみに、魔法の祝福を受けた女児もやはりどこかに行ってしまう。
どこに行ってしまったのかは誰にも教えてもらえなかったし、へんなことを聞いて頭のおかしい子と思われたら嫌なのだ。
だから、カガクで得た知識は誰にもわからないようにあたしだけのために使っている。
まあ、たいしたものを作ったりと言うことは出来ないんだけどね。
14歳の女の子に出来ることはそんなに無い。
特に両親にばれない自信は無い。
だから、メモも両親が寝ているこの時間帯に書き記すし、見つから無いように工夫して隠すのだ。
今日勉強したカガク知識はデンチについてだった。イオンのソセイ式を見ながら、あたしは学んだことをメモに書き込む。
幸いにして、夢の人の世界の知識はあたしの世界でも通用すると言うのがわかっている。
ブツリや数学の考え方は特にこの村で生活するには重要な知識であった。
テコの原理やお金の引き算足し算は重要な知識である。
それとなく両親に教えて上げると、喜んでくれるのがうれしい。
さて、体感時間としてはおおよそ1時間ぐらい経っただろうか、だいぶ外は明るくなってきた。
あたしはメモをいつもの隠し場所に隠してろうそくの火を吹き消すと、そのままベッドにもぐりこむ。
しばらくすると、ドアがノックされた。
「エリシア! シエラ! 起きているか?」
これは父親の声である。
「お父さん、起きてるよ。シエラはまだ寝てるけど」
「そうか。ならばシエラを起こしてくれ。そろそろ農作業をするぞ」
「はい」
シエルはあたしの可愛い妹である。
あたしと同じ髪の色、瞳の色をしている。
容姿はお母さんを幼くした感じで、まるで天使のようだ。
「さ、シエラ、起きなさい。お仕事の時間よ」
「おねーちゃん、ねむいー」
「ほら、おきて」
あたしはシエラをゆすり起こすと、早速農作業の準備をする。
お父さんは他の兄弟を起こしに行ったようで、耳を澄まさなくてもお父さんの声が聞こえてくる。
まぶたをこすりながらあくびをする妹の着替えを手伝う。
シエラは一番下の妹で、年齢は9歳なのだ。
「ほら、ばんざーいして」
「ばんざーい」
バンザイなんて習慣はあたしの世界には無いが、両手を挙げてと言うよりかは実際にバンザイをしながら「ばんざーい」って言った方が妹に伝わったので、多用している言葉である。
サクッとシエラの着替えを終わらせて、あたしはシエラの手を引いて畑に出る。
トマトを含めた野菜の収穫を行うためだ。
季節は火の季節……夢の世界の基準で言うならば8月に当たるのだが、火の季節の野菜が収穫できる季節なのだ。
蔓に実る野菜は収穫が結構楽である。
芋だと、土から掘り起こさなければならないので、腰にくるのだ。
ただ、馬鈴薯はどんな場所でも環境でも育つので重宝されている。
そんなこんなで昼過ぎには今日のノルマは完了したのだった。
お昼は形の悪いお野菜を使った野菜炒めである。
茄子や胡瓜……夢で見たものよりも若干美味しくないのだが、それらとラム肉を炒めたものと、ブレッドが昼食である。
質素な料理であるが、あたしが作っているものなので不味いはずがない。
今の我が家の料理当番はあたしなのだ。
あたしが15歳を超えたら、シエルが料理当番になるので、シエルに料理を教えながらと言うことになる。
「おねーちゃん料理じょうずー」
「ふふっ、ありがと」
火の季節はいっぱい野菜が取れるので、飢えることがなくて良い。
風の季節は穀物系統が取れるし、結構長持ちするので蓄えておく必要がある。
ここでどれだけ蓄えられるかで氷の季節が楽になるかが決まるのだ。
昼は主に家のことをする時間である。
お母さんは牧場でラムの世話があるので、この時間は家事をあたしがするのだ。
掃除、洗濯諸々をしっかりとこなしてしまい、さっさと友達と遊ぶ時間を作るのがあたしの仕事だ。
だいたい15時、太陽が傾き始める時間には終わらせることができるので、あたしは15時からだいたい2時間だけ自由になれる。
その時間で村の女の子と遊ぶのだ。
夢の中の世界では考えられない生活リズムではあるけれど、それが当たり前の環境で育っているのでどうも思わない。
都会の子ならば学校に行くのかもしれないけれど、この村には学校はないのだ。
その代わり、教会がその役目を担っていたりする。
夢の世界で言うなら、寺子屋と言ったところだろう。
教会では最低限の知識を司祭様が教えてくれる。
基礎的な算数の知識や、男の子なら読み書きも教えてくれる。
あたしは司祭様に無理を言って読み書きを教えてもらったのだ。
ちなみに、お父さんやお兄さんを含めた男連中は農業関係の祝福がない限りは狩に行っている。
乳飲み子の弟は、お母さんと一緒にいるけれども。
あとは、長男は基本的に集められて色々な知識を教えてもらったりするのだけれども、ジョエル兄様は既にそう言うのは卒業している。
ジョエル兄様は目下嫁を見つけるための修行をしていると言った方が正しいだろう。
夜のご飯はシエルの当番になっている。
もちろん、あたしは隣で失敗した時のフォローが出来るように見張っていたりはするけれどね。
夕食が終わったら、あとは自由時間だ。
と言っても夢の世界のように電気があって明かりが煌々とついているわけではないので、特に何ができると言うわけでもない。
強いてやることと言えば、本を読んだりすることぐらいである。
全てお古であったり、お父さんの書庫から借りたりして読んでいる感じと言った方が良いかもしれない。
そんなどこにでもいそうな村娘としての生活をあたしは送っていた。
15歳の女神様の祝福が村娘にふさわしいものであれば、あたしはこのままこの村で骨を埋めるだろうし、例えそうでなくても夢の世界の知識を使って活躍すれば奴隷として売られることもないのかもしれない。
あたしは15歳と言う人生の分かれ目に期待半分不安半分で待つことしか出来なかった。