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第44話 夏のきざし

梅雨の中休み、空は久しぶりに青く広がっていた。白い雲はどこか遠慮がちに浮いている。額に手を当てて、眩しく光る太陽を見た。夏が近づいている。だだっ広い校庭にはトラックを走る陸上部員の姿が見えた。


ハードルを何個も並べ始めていて、三段跳びのリズムを思い出すように走り込みの練習をするものもいる。雪は、いつも適当にやり過ごしていた部活を今日は本気出してやるぞと陸上部指定のスニーカーに履き替えて靴紐を結び直した。遠征の県大会が夏休みに控えていた。100mのタイムを競うのに夢中だ。先輩後輩関係なく容赦なく攻める。



「部員数が少ないからみんな県大会出場なんだけど大丈夫かな。うちの学校、まぁ、結構足速い人多いけどさ……」


 陸上部部長の遠藤智治と副部長の杉崎知子が隣同士タイムスコアをチェックしていた。息を荒くして、ゴールに着いた雪は、タイムの確認をした。


「今の何秒ですか?」

「漆島くんはね。14、30秒だね。高校1年の平均は13、42秒だからまずまずかな。頑張って早めよう」


 杉崎副部長は手元のストップウォッチを見て報告する。



「あれ、おかしいっすね。この間の記録では14秒ジャストだったんですよ。スタートダッシュが良くなかったかな。もう1回いいですか?」

「もちろん。走ってみて」


 雪は何度も挑戦した。その日の調子でタイムは変動する。今日はいつもより調子が良いと思っていたのに全然良いタイムが出ない。


「まぁまぁまぁ、そんな時もあるよ。筋トレも忘れずに。

 そろそろ終わりにしようか。暗くなってきたみたいだしな」


 遠藤部長は、夕日が沈みかけているのを見て、雪に終わりを促した。


「最後にもう一回だけいいですか?」

「わかった。これで最後な」


 遠藤部長は目力が強い雪の顔に負けて、ストップウォッチを構えた。車のヘッドライトが眩しく感じる。雪は真剣に走り込んだ。今度こそ、速いタイムを。


「14秒50な。練習しすぎも良くないぞ。明日またやろう。あと、片付けて!」


 遠藤部長は、器具を片付けるようみんなに促した。


 階段の上、昇降口で誰かかこちらに手を振っていた。朝に約束していた。今日は桜と一緒に帰るんだと。菊地雄哉のことをずっとモヤモヤと考えていたが、本人は今の彼女に夢中で雪に関わる理由が見つからないらしい。どうにか嫌だと思っていた壁がなくなったため、安心した。雪は手を振って合図をする。桜はそれに気づいて、昇降口付近に戻っていく。部活を終えて、雪は階段をかけ上げるスピードが早まった。


「お、あの1年。部活終わりだって言うのに速いね階段登るの」

「あ、あの子は漆島くんだよ」

「ああーさっきの。良く見えてなかったわ。あいつ根性はありそうだね。さっき、終わりって言っても練習したいって言ってたもんな」

「県大会に出場できるんじゃない? 力不足ではないよね」

「今のこの部では速いほうだからな。あとで声かけててよ」

「わ、わたし? 部長でしょう。しっかりしなさいよ」

「ち、わかったよ。明日の部活で言うわ」


 部長と副部長が話していると、昇降口から雪と桜が仲睦まじそうに校門へ歩いていくのが見える。部活では見せない笑顔を見せる雪に驚いていた。


「あの子、彼女かな」

「そんなの知ったこっちゃないわ」

「……漆島くん。頑張ってるね」

「……知子は何を応援してるのよ」

「あの子の人生に」

「どんな話だ」

「まぁ、いいじゃない。噂で聞いたことあったからさ。

 いいな、初々しくて……」

「噂? てか、羨ましがってる場合かよ。俺らはどんなだって話だ」

「中学の時にかなりいじめられてたって聞いてたのよね。今は大丈夫そうだけど、何だか母親目線でウルッときちゃうわ。てか、そしてあんたなんか眼中にないわ」

「あーそういうことね。可愛い顔して肌も白いし男子も女子も嫉妬するだろうよ、あいつは。てか、そう言いながらラインは即レスするくせに……可愛いやつめ」

「何を言うか!?」


 知子は照れ隠しで、持っていたバックをバシンと智治の顔を殴った。


「いったぁー」

「学校でその話すんなって言ったでしょうが!!」


 2人は熟年夫婦のような関係性だった。3年目の知り尽くしている彼氏と彼女だ。もう初めのドキドキ感はどこへやら。恥ずかしいのはどこでも一緒らしい。そう言いながらも隣同士一緒に帰っている。


「桜、帰りにコンビニ寄っていい? 食べたいものあるんだ」

「あ、うん。いいよ。私も少し見てみたかった」

「良かった。んじゃ、行こう」


 校門の道路で、雪は、桜に左手を差し出した。桜は、その雪の手を見て、ゆっくりと自分の右手を伸ばした。指と指を絡ませて、ぎゅっと体を寄せた。堂々と安心して並んで歩けるなんてこの上ない幸せだった。雪は、すぐにでも額にキスをしたいと妄想したが、周りにはたくさんの高校生。しかも中には同級生や先輩、後輩がいる。首をブンブンと横に振って忘れ去った。


「どうかした?」

「ううん。なんでもない。あっちのコンビニ行こう」


 道路の反対側を指差す。


「う、うん。大丈夫?」


 電灯でぼんやりと光る歩道、一瞬時が止まったようだ。車道ではヘッドライトをつけたたくさんの車が行き交っていた。どさくさまぎれに雪は小鳥がそっと近づいたようなキスをして、なんともなかったようにコンビニに入っていく。



 「ちょ、今、何したの?!」


 桜は逃げる雪を追いかけた。歩道の信号機がカッコウと鳴いている。

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