「ただいま〜」
桜は、今日も吹奏楽部の活動でクラリネットの練習をしてきた。 午後8時を過ぎて、1人で帰るのは嫌だったが、何だかご機嫌で鼻歌を歌いながら、帰ってきていた。
「桜、おかえり。何か、あったの?」
母の律子が、台所から声をかける。高音で挨拶するのと、鼻歌が聞こえた。
「んー?」
洗面所で手を洗いながら返事する。
「随分、ご機嫌ね良いことあったの?」
律子は、フライパンに切ったばかりの野菜を入れた。ジュージュー音が大きくなった。
「そうかなあ? 今日は何のご飯?」
「豚肉の味噌キャベツ炒めだよ。あと、あさりの味噌汁かな」
「いいね、いいね。好きだよ。それ」
「さっきから質問の答えになってないよ?」
桜は、律子の話をスルーして、ソファに座った。新聞の中に挟まった土日のファッションチラシを見始めた。 鼻歌がまた聞こえる。
「ただいまぁ〜」
またご機嫌の人が帰ってきた。テンション高めに入ってくる。瑞希だった。
「おかえり。何、瑞希も?」
玄関のドア付近で何やら話し声が聞こえる。気になった桜は、様子を見に玄関に向かった。
「どうかした?」
ドアを半開きに玄関を見ると何やら、入るか入らないかでもめている瑞希と雪がいた。
「俺、いいから。もう、帰るよ」
「えー、いいから、中、入りなよ」
「……なんで、2人一緒なの?」
桜が言った。
「え〜?」
瑞希は見せつけるようにテンション高めに雪を強引に部屋の中に入れようとする。
「いや、マジで、俺は帰るから」
「そんなこと言わないで。挨拶していきなよー」
「だから、何の挨拶だよ」
雪は迷惑そうな顔をして、外に出ようとするが、 瑞希は腕を引っ張って中に連れ込もうとする。そこへエプロンで手を拭きながら、母の律子は玄関に出てきた。
「何、何の騒ぎ? あら、瑞希、おかえり。ん?そちらは?」
瑞希はそらきたというような顔をして、ニコニコとアピールする。
「この人、私の彼氏〜。お母さんに見せたくて、
連れてきた」
「え? 瑞希の? 嘘、そうなの? 大丈夫? 瑞希、
わがまま言ってないかしら」
雪は、そんなまさかというような顔をしてその場は、丸くおさまるように適当に返事をした。その発言を聞いた桜は、いたたまれなくなって自室の方へ駆けて行った。
「そんな勢いよくドア閉めたら、壊れるのに…桜どうしちゃったのかしら」
瑞希は、雪の腕を掴みながら、小さく嘲笑った。妬みが強い。 雪は、桜に声を掛けたがったが、瑞希に無理だと言葉を発したら、気まずい思いをするだろうと発言を避けた。
「お母さん! 雪に、お夕飯一緒に食べてもらおうよ」
「いや、それは申し訳ないんで、お暇します。」
雪は、後退りして、玄関を急いで、出て行った。
「瑞希、強引に中入れるのはよくないんじゃない?」
律子に叱られる瑞希は、外に出て、雪を追いかけて行った。雪は、庭にある門の前でふと立ち止まる。
「俺、聞いてないけど?」
「え?何の話?」
後ろ向きで答える。
「彼氏になるって話。俺は、瑞希が見てほしい漫画があるから
一緒に家まで送ってって言ったよな」
「……ああー、それ。ごめんね、何か、その場のノリで、
言っちゃった。ダメだったかな」
「うん、俺、瑞希とは付き合うつもりはなかったよ。今もこれからも友達として付き合っていこうと思ってた。でも、なんで、お母さんに説明するんだ?彼氏って、何のために」
「……言っちゃったものは仕方ないでしょう。過去は取り戻せないから」
「俺は、絶対付き合わないかな」
怒り心頭のようで、雪は、足脇に握り拳を作って、
立ち去って行った。その頃、自室のベッドでうつ伏せになり
顔を隠していた桜は、自問自答を繰り返していた。
「どうして、瑞希と同じ人を好きになったんだ。どうして、どうして!!」
過去に何度も同じ境遇にあう。全く趣味も容姿も同じ。
悔しくて涙が止まらない。桜の枕はびしょ濡れになっていた。カーテンも閉めずに外の景色が広がっている。
夜空には満月が浮かんでいた。