鼓動が早くなるのがわかる。桜は、吹奏楽部の部室に入るのに
躊躇した。佐藤佳穂にいじわるなことをされて、部活動に参加できなかった。それでも今日も部活はある。部長に連絡して体調不良で行けなかったと言っていたが、絶対本当のことを言われている気がして、気が気でなかった。本当は、会場の行き方を間違った。学校に集合して、全員バスに乗って移動するはずだった。佐藤佳穂のひと声でなぜか駅前に待ち合わせになっていた。
もし、行き方を間違っていたら、すぐにでも来なさいと言われていただろう。桜は佳穂の裏切りに心が乱されて、参加なんてとてもじゃないけど行けなかった。佳穂のことを部長に言ったら、さらにエスカレートしそうで不安だった。引き戸を開ける手足が震えた。
「桜ちゃん? 大丈夫?」
部長の袖川さゆりがトイレに行っていたようで、ハンカチをポケットにしまいながら桜の後ろにいた。
「ぶ、部長。お疲れさまです。すいません、通せんぼしちゃいました」
「どうしたの? ドア開ければいいじゃない。昨日は残念だったね。その後、体調どう?」
さゆりは、ガラッと引き戸を開けた。緊張感が増す。音楽室の中に佳穂がいたら、どう対応しようと考えた。桜は目をつぶる。
「……桜ちゃん?」
「あ、あ、あ。すいません、花粉症で目が痒くて……。」
中に入ると、佳穂の姿は無かった。内心、かなりホッとしていた。引き戸が空いて、大きな声で入ってきた。
「お疲れさまです!」
佐藤佳穂が思いっきり笑顔でいた。桜は下唇をかんだ。
「佐藤さん、遅刻ですね」
さゆりは意地悪を言った。
「え!? 嘘ですよね。部長。まだ時間になってない?」
佳穂は、時計を確認するが、部活動の始まる4時ぴったりだった。
「ほらー、ちょうど今4時になったところじゃないですか」
「ブッブー。不正解。普通は、5分前行動ですよね」
「あ……」
何も言えなくなる佳穂。吹奏楽部のルールとして、遅刻したら、外周を走らないといけない。
「い、嫌だけど、行ってきます!!」
「はーい、行ってらっしゃーい」
さゆりは手を振って、佳穂を見送った。桜はほっと一安心した。深呼吸をした。その様子を見た部長は、親指を立てて、
グットのジェスチャーをした。
「え?!」
「大丈夫、桜ちゃんの言いたいことはわかるよ」
「部長……」
感極まって涙が出そうだった。
「昨日、桜ちゃんに電話かけてたのかな。あの子。部員、
電話内容みんな聞いてたから。何言われたか、知ってるよ。
体調不良にもなるよね……」
さゆりは桜の背中を優しくさすった。
「やっかみが強い子みたいよね。そういうのしてないで、
練習ちゃんとしろって話だけど、サボるから、うまくならないのを人のせいか…。成長しないよね」
「部長……言いますね」
拍子抜けする桜。なんだか安心した。
「そりゃぁね、私も人間だよ。ああやって、しごかないとね。
走らせたら、肺活量良くなって、クラリネットを吹くのも楽になるのよ。ね、桜ちゃん。あなたは努力家だから、そのままでいいよ」
「あ、ありがとうございます」
「うん、大丈夫! さぁ、さあ。みんな、練習始めるよ」
「はーい」
吹奏楽部のみんなは桜のことを温かい目で見ていた。佐藤佳穂はとても曲者のようで、部長も手を焼いていたようだ。邪険にするわけじゃないが、集団の輪を乱さないように配慮した。桜は、とても優しい部長がいてくれて本当に良かったと心から安心した。
◇◇◇
「漆島くん」
昼休みの屋上。亮輔と一緒に購買のパンをむさぼり食べていたら、金城深月がやってきていた。ベンチの後ろに立っている。
「ふえ?」
パンかすが口の周りに付いていた。
「話の続きさせてもらえる?」
「え?」
「雪、はっきりしとけよ。俺と深月、どっちにするか」
「亮輔、そんな話してないだろ。冗談はやめろ」
「けけけけ……」
バカにする亮輔。笑ってささっとお邪魔かなと
少し遠くに離れた。隣に深月が座る。
「せっかく、遊ぼうって約束したのに待ち合わせに来てくれなかった理由ってやっぱり綾瀬 桜さんのこと?」
「……」
目がキョロキョロと動いて、持っていたパンを頬張った。
「そうなの?」
追い詰める深月。
「でも、待ってよ、金城さん。俺ら、別に付き合ってないわけだし、そんな…いいじゃん。熱くならなくても」
「えーーー。私はお付き合いを前提に誘ったつもりだったけど?」
「そ、そうだったの?」
「そうでもしなきゃ、友達なんかにならないよ。
何が好きで友達ごっこしなきゃならないの」
「でも待って、そうなら、 はっきり言ってもいい?」
「……いや、聞きたくない! わーわーわー!!!」
深月は、耳を塞いで、雪を声をかき消す声を出した。
「ちょ……。言わせてくれないのかよ」
「絶対、聞かない」
そう一言行って、屋上を後にした。何も解決しないで、話が終わった。宙ぶらりんのまま、深月との関係は続くようだ。ため息をつく。
「モテる男は辛いねぇ」
「俺がいつモテてるだよ。本命に片想いっつーのに」
「片想い?」
「……口が滑った。」
「雪ちゃん?どうしたのかな? 誰に片想いしてるのかなぁ?」
亮輔が逃げ回る雪を追いかけた。ベンチの下にチョコパンのかすがポロポロと落ちていた。小さなアリの行列が近づいてきていた。カザミドリは今日は動いていない。風が吹いていない。ちょっと不機嫌そうな表情に見えなくもない。