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第13話 リゲイン・ライフ


「……驚いた。まさか、生きた人間のままこの世界に足を踏み入れてくるとは」

 声。犬将軍の声。

 視界が少しずつ回復する。

「よほど執着が強いと見える。所詮は私たちと同じ知的生命というわけだ」

 眩暈が治っていき、周りを見渡す。

 ――大広間、と言えるような畳敷きの広大な空間。その中央に僕らは放り出されていた。

 右手には西洋風の金属鎧を纏った兵士、左手には日本風の甲冑を纏った兵士。奥にはチワワコマンドーをはじめとする様々な犬人間たちが、跪いている。まるで、僕を待ち伏せていたかのように。

 そして、正面に西洋風の玉座。そこには中華風の衣装を身に纏った犬将軍が鎮座していた。

 和洋折衷をはき違えたかのようなカオスな空間。しかし犬将軍の存在感がそれらの違和感を打ち消していた。

「どうでもいいにゃ。あたしたちの命を――返せッ!」

 駆けだすうるか。しかし、哀れな子猫はすぐに押しつぶされることになる。

 ズドンと衝撃が走った。

 全身が押しつぶされる感覚。飛び掛かるうるかにも、同時にかかったようで。

「びゃあっ!?」

 空中から叩き落されていた。

「な、にを……」

「本当に、叶えられるというわけか。――重力をも自由自在とは」

 ――鈴を使って重力を操って、僕らの動きを止めたというわけだ。

「動け……うご、け……!」

 わずかに這いずることはできたが――さらに重力は強くなる。

 周りの騎士の犬人間や、その周囲の犬人間たちには効力は及んでいないらしい。僕らにしか効いていない、というより周りに効力が及ばないようにしているらしい。

 犬将軍は僕らを一瞥して。

「……なるほど、守り人の娘か」

 唾棄した。

「あの馬鹿な駄猫、どうしてこれの存在を我々に示したのだ。これの奪い合いで戦乱になる未来など、容易に見えただろうに」

「父さんのこと、悪く言うにゃ……っ!」

「いいや、流石の私でもあれは愚策だったとしか言えない。魔法の鈴の存在を、伝説の実在を公開するなど……!」

 犬将軍の怒りに満ちた口調。僕は気圧され、しかし目を見開いた。

「希望は毒だ。それを求め、誰もが蜂起する。結果として、多くの同胞たちが争い、そして消滅した」

「……」

「何を思って鈴を見せびらかしたかはもはや知る由もない。本人は自ら命を絶ってしまったからな。ただ、もしも大国がこれを手に入れたらどうなるか……想像に難くない」

 そして彼女はうつむいて、唇を噛み。

「……故に、我々もこれを狙わぬ選択肢はなかった。大国より先に手に入れ封印し、自らの身と国を守るために。故に余計な軍事力と諜報力を、国防とこれの奪取に懸けてきたのだ」

 手元に鈴を転がしながら、僕らを睨みつけ。

「若造――否、魔法少女。そして守り人よ。我々はお前らを信用しない。故に、私が引導を渡してくれようッ!」

 力強く言い放った。

「させ、る、か――ミギャっ」

 強く押しつぶされたうるか。ちいさな猫の姿になった彼女に僕は手を伸ばそうとして。

 冷えた目の犬将軍はその犬歯をむき出しながら口にする。

「ああ、守り人の娘よ。何故牙を剥いた。息を殺して、黙って、空気でいれば――あるいは、殺さずに済んだかもしれぬのにな」

「違うっ!」

 思わず僕は声を上げた。

「……ほう。どう違うというのだ」

 犬将軍の冷たい黒の瞳は僕に向けられる。

「鈴をさっさと明け渡し、どこかへ逃げ隠れる選択も出来ただろう。それをせずに抗ったから、命を狙われ、現にこうして殺されようとしている。それがどう違うというのだ」

 ――犬将軍の言うことはあってるさ。僕だったらきっと負けていた。守るものも守れずに、奪われていた。

 でも。

「動き出さなきゃ、何も始まらなかった」

 僕は、立ちあがった。

「うじうじして、悩んでばっかで何もしないほうが楽かもしれないけど……それだと、僕とも会えなかった! 独りで奪われ続けて、そんなのただ辛いだけじゃないかッ!」

 刮目する犬将軍。強まる重力。されど。

「何故。何故、何故立ちあがる! 立ち上がろうとする!!」


「動き出した勇気を、笑うな…………ッッ!!」


 血が滴った。体は崩壊を始めているらしい。

 でも関係ない。僕は怒りによって突き動かされていた。

「ああそうか……そうか……!」

 哄笑する犬将軍。叫ぶように。

「あくまでも、運命に抗おうというのか! ならば私はねじ伏せよう!! 我々の信念のために!!」

 骨が悲鳴を上げた。

 歪む体。再び地面に押さえつけられる。

 漏れる呻き声。しかし、眼光は失せない。

 板張りの床に腹を擦って、片手で体を前へ前へと押し上げる。

 ――いま横にいる猫は、目を見開いた猫は、なにを思うのだろう。

 逆転の一手を探っているのだろうか。それとも、僕の怒りに何かを感じたのだろうか。

 彼女は、涙を流していた。

 涙を流して――ひとつ、泣き声を上げた。

「にゃ……」と静寂に響いた蚊の鳴くような声。

 ――そういえば。

 ――うるかが「止まれ」って願えば鈴は機能を一時的に停止する。一度だけ、鈴はそう告げていた。

 いわば緊急停止ボタンの役割。意識すらしてこなかった一言。僕は思い出し。

「やりおったな……ッ」

 重力が、軽くなった。

 いつもより動きは鈍いが――それでも、さっきよりかはマシだ!

「うああああああああああ!!」

 叫んだ。

 突進する僕。犬将軍の驚愕。狙う一点。――犬将軍の手の中。

 どうする。考えても無駄か。

 そうして僕はただ願った。

 どうか、これからも生きられますように。ようやくできた友達のために。いままで見向きもしなかった想いに向き合うために。愛されるために。必要とされるために。弱い自分を壊すために。罪を、償うために。


「僕は、生きなきゃいけないんだぁぁぁぁぁ――!」


 指先が崩壊をはじめ、血が飛散する。

 ――タイム・イズ・オーバー。言葉が脳裏をよぎる。

 もう駄目なのか。

 犬将軍の、固く握りしめた掌の中。飛散した血液が、偶然にもその中にかかってしまったのに、僕は気付くことなく。

 薄れ始めた意識、その中で僕は確かに、声を聴いた。


[幸運だな、少年。――血がもう一度、最期の願いを運ぶとは]


 ちりんと鳴った、鈴の声。

 崩壊を始めていた指先はいつの間にか元に戻っていて。

 鈴は床に転がった。犬将軍は鈴を落としていた。――血が運んだ「生きたい」つまり「鈴を取り戻したい」という僕の願いが、そうさせた。

 ここからは、願いの強さの勝負、ということか。

 拾おうとする犬将軍と僕。

「私が、封印――」

「生きてやる……生きるんだ――」

 衝撃と、耳鳴り。視界はホワイトアウトして。


 ――次の瞬間、鈴は僕の手元にあった。


 息を切らした僕の掌の中の冷たい感触。鈴はちりんと音を立てる。

 ――深呼吸した。僕は。僕は――静かに微笑んで。

「やった。これで、後は帰るだけ――」

 だと、思ったか。

 失念しそうになっていた。僕は、彼女の存在を。


「鈴を返せッ!」



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