――魔法少女が学園のアイドルと化してから、さらに半月が経った。
あれから毎日のように続いていた犬人間の来襲は一気に減り、一週間に一度くらいになっていた。
しかも、この付近の偵察をしているだけのようで、あまり動きに積極性は見えない。
不信感を抱きつつ、しかし僕の方はそれどころじゃなかった。
「ねぇ、魔法少女って誰だと思う?」
「ぶふっ」
隣の席から聞こえた一言、僕は口に含んだカフェオレを吹き出しそうになる。
どうにか飲み込んでしかしむせてしまった。
げほげほと咳き込む僕。まあ、よくあることだ。
軽く深呼吸して、ちょっと興味本位で会話の続きを聞いてみると。
「個人的にはあやめが一番それっぽいと思ってたんだけどなぁ」
「うそ、ミソノちゃん。わたしそんなにかっこいい?」
「そういうんじゃなくてさ、あやめって人助けとか好きじゃん」
「魔法少女は困ってる人を助けるから?」
「そ。巷じゃあやめが最有力候補らしいぜ?」
「うそー……え、まじ?」
「マジ」
まじかーと言って笑う氷見さん。よく一緒に話している口の悪い女――浦和 ミソノさんというらしい――はそんな氷見さんを呆れたような眼で見つめる。
それにしても、氷見さんが魔法少女の最有力候補、ねぇ。
本物がいままさにここで次の授業の準備をしているなど露ほども思っていないであろう二人の会話に、僕はまたため息を吐く。
ため息を吐いた僕に「ん、どうした?」と浦和さんが話しかけてくる。
「な、なんでもないです」
身をすくめる僕に、浦和さんはキョトンとして。
「そっか。なんかあんなら言えよ」
なんて安い言葉を投げかけてくる。それで聞いてくれたためしなんてあったか?
まあ、いま抱いてるのはとても人には言えないような悩みなんだけど。
教科書を取り出してペラペラとめくって見ながら、僕は思考した。
もし僕が魔法少女ってバレたら、どうなるんだろう。
「魔法少女の正体」の話は結構学校のいたるところで噂に聞く。「彼女」はもうそれほどまでに注目される存在になってしまっていた。が、その中に僕の話は一切出てくることはない。
注目の的以前に認知すらされていない僕と、学園のアイドルたる「彼女」がイコールで結ばれてしまったとき、何が起こってしまうのだろう。
僕という存在が知られてしまったとき、果たして何が起こるのだろう。
考えたくはない。けど考えてしまう。具体的にはしたくないけど、夢には見てしまう。悪夢として脳内に出力されては意識的に忘れようとして。
……最近、遅めに寝ても早朝ともいえないくらいの夜中に起きてしまうので、とても授業に集中できない。宿題は捗るけど、コーヒーを飲んでも昼間に眠くなって仕方ない。
ああ、まただ。眠気がする。
ひとつあくびをして、僕は唇を噛み、しかし耐えきれず――。
「にゃっ、大丈夫にゃ?」
「うわっ」
急にうるかの声。脅かすなよ……。
ごめんにゃ、と軽々しく謝るうるかの声に、僕は呆れ。
「あやめちゃんとはどうにゃ?」
「別にどうもこうもないよ」
「昨日あんなことされといて?」
「関係ないだろう。……僕は被害者だ」
あれから僕と氷見さんの関係はあまり深まってはいない。
質問の受け答えやなんかはどうにかできるようになった。挨拶もたまにするようになった。でも、そのくらいだ。たまに帰り道一緒に帰ろうと言われるけど……断じて、そこまで深い関係じゃない。
……自分から話しかけることなんて、できるわけがない。
誰に対してもそうだ。僕は誰にとっても空気でいたい。そうでなくてはいけない。
自分なんかが、他人と話す資格なんてあるわけがない。
誰も僕を愛さない。誰も僕を必要としない。そうだ、そのはずなのだ。
「そんなはずはないにゃ! もう少し自信をもっても――」
「だめだよ。僕なんか」
目にも入ってないし、話しかけたって無駄さ。
こうして今日も自己洗脳して。
――このまま僕はこうして、一人でいるつもりなのか。
ああ、そうだよ! やけくそになりながら、もう一人の自分に答える。
僕は孤独さ! このままでいい!! このままでいるべきなんだ!!
……本当に、いいのか。これで。
結末のない自問自答。
そして、チャイムが鳴った。
『久しいな、若き者たちよ』
校内放送。聞こえた声に、一瞬遅れて反応する。
――犬将軍だ。
半月も前とはいえ、あの日のことはよく覚えていた。――魔法少女がアイドルと化した、あの日のことを。
犬将軍と初めて相まみえた、あの日のことを。
唇を噛む僕。放送越しに聞こえる先生たちの怯える声。教室は静寂に包まれ、犬将軍は続ける。
『単刀直入に言おう。――魔法少女を探せ。そして連れてこい』
そして、連れてこなければ。
『……犬人間の精鋭たちを連れてきた。命を奪うようなことはしばらくしないよう言い聞かせてあるが……それも時間の問題だ』
――命を奪うようなことはしないということは、それ以外ならする。
犬人間は普通の人間じゃ抗いようがないほどには身体能力が高い。オリンピックの選手ばりに強い身体能力は、魔法少女になった僕ならともかく、通常の人間には明らかな脅威だ。
命を奪わない程度とはいっても、命を奪うギリギリならしかねない。さらに、それも時間の問題ということは――。
僕は舌打ちをした。
『だから言ったろう、魔法少女。今度は万全に準備して来ると』
つまり、この全校生徒が人質というわけだ。
一番嫌いな戦法を取ってきやがった。しばらく命を奪わないってのは温情なのかもしれないが……それでも、許せない。
『では、魔法少女。そして鈴よ。――私の手元にくるのを、待っている』
慌てふためく生徒たち。すっと息を吸う僕に。
「侑くん!」
ざわつく中で聞こえた、氷見さんの声。……どうして僕を。
目を見開く僕に、何かを分かった風に目配せした氷見さん。
「早く、みんな廊下に出て!」
氷見さんが誘導しだし――やがて僕と彼女が、最後に教室に残る。
「……がんばってね」
声がした。詰まる息。
瞬間だった。
――均整のとれた身体。背中には翼。腰布だけを纏い見せつけるその天使のごとく美しい身体を、ブルドッグの不細工な顔面がぶち壊しにしているそれは、犬人間。
「ボクはブルエンジェル。ようやく……ようやく戦える!!」
歓喜する化け物。誰もいなくなった教室。逃げ遅れた僕は――ポケットの中に入っていた鈴を握りしめて、ちりんと鳴らした。
「
瞬間、現れた。
茶色基調のジャンパースカートを纏った、ロリータ女装少年。その肩まで伸びた茶髪を揺らし、その瞳で目の前の怪物を射止めた。
魔法少女。
「ふふふ……一見地味そうなメガネの少女が、こんなに美しい姿に変貌するとはね」
「僕は男だ」
「少女性を兼ね備えた少年は、それもまたすなわち少女というのではないのかね」
わけのわからないことを告げる怪生物。背筋にさぶいぼが立って。
「変態!」
叫んだと同時に、僕は跳び出した。
しかし――。
「変態はどっちかな」
――気がつくと、はじき返されていた。
なにが、起こった。
目の前を見ると、窓ガラスではない半透明の障壁。
「バリアとかズルだろ……」
半月前にせっせとガムテープで補修した窓ガラスはとうに粉々に砕け散っていて、ひしゃげたアルミサッシがガタガタと音を立てる。
「ふふ、殺さない程度なら何をしてもいいんだっけ」
ブルエンジェルは不気味に笑って。
おもむろに取り出した杖。その先に光球を形作り始める。
「……なにを」
いや、考えるよりも。
もう一度飛び掛かろうとする僕。気がつけばバリアは解けていた。……光球に、バリアに使う分のエネルギーも使ってるんだ。
だとしたら攻撃は通るはず――。
しかし。
「通じないよ」
杖で軽々と弾き飛ばされた。
……嘘だろ。
「攻撃が軽い。動揺している。いまの攻撃じゃ、チワコマも倒せないよ?」
犬人間の言葉に、僕は息を詰まらせた。
――図星だった。
もしも、「魔法少女」を信じている生徒たちに僕の正体を見られたら、どうなるだろう。
さっき見た悪夢が、現実になりかけていた。
誰も僕を愛さない。僕は必要とされない。
みんなみんな、僕のことが嫌いだ。
根拠はいままでの人生。これまで誰かに愛されたことなんてあったか。受け入れられたことなんてあったか。
答えは――。
眩暈がした。閃光が走った。
――あるわけないだろ、そんなの。
放たれる光球。背後に着弾し、爆裂。――校庭側に、押される。
教室の壁ごと押し飛ばされた僕を、大勢の生徒が見守っていた。
息が詰まる。
高さのせいではなく、僕に向けられた希望と不安の入り混じった目線に。動揺の声に。声援に。悲鳴に。
ああ、これから僕は、彼ら彼女らを裏切るのだ。
背中から落下する僕。避難してきた生徒たちが僕を見つめていた。
大勢が見守るのは魔法少女であって僕じゃない。
――せめて、もう少し魔法少女でいなきゃ。
失望されたくないから。
立ちあがろうとして――震える身体。ひぅ、ひぅとか細い息。
集まってくる犬人間と観衆。そして。
「ふ、よくやったなブルエンジェル」
「褒めてください……もっと、もっと!」
尻尾を振るブルエンジェルの傍らに、それは非常な存在感をもって降り立っていた。
「これでようやく……鈴を我が物にできる」
犬将軍だ。
その黒一色の瞳に映った僕は、果たしてどんな姿なのだろう。
さぞ醜いのだろう。跪き、立ち上がれず、ただ恐怖に息を詰まらせる少年なんて。
――魔法少女は跪いていた。
息はひぅひぅと細く、僕の通う高校の生徒たちがそれを見守る。
その視線に込められているのは、侮蔑か、絶望か。
怪物が近寄る。よくは見えないが、本能的な恐怖が僕の息をさらに詰まらせる。
「こな、い、で」
近づく犬将軍。視線は僕の首元のチョーカーに集められる。
「あ、あ」
抵抗する魔法少女。怪物は容赦なく、機械的に。
首に手をかけた。息ができなくなる。
息が詰まる。首が締まる。ぶちぶちと、命が引きはがされるような感覚。呻き声。
霞む視界。目前に犬将軍。
僕は最期に、本能から願った。
「たす、け」
[すまない――もう、離れ――]
ぱん、とはじける音がした。
ぷち、とちぎれる音がした。
「侑くんっ!」
声。ざわめき。制服に戻る僕。
――ああ、ついに魔法が解けたんだ。
痛み。苦しみ。出血。神経破損。それ以上に。
裏切ったんだ、みんなを。
汚くて醜くて、愛すべき価値のない僕が、露呈してしまったんだ。
「はは、あは、あははは、ははははは、あああ、ああああああ、ああああああああああ―――――――――」
壊れたように笑った。力なく、あきらめたように。
ぽつぽつと雨が降り出して、散っていく生徒。豪雨と化していったその雨の中で。
「うあぁぁぁぁぁ――――――――――!!」
僕は――血まみれの汚い魔法少女は、かつて魔法少女だった少年は、獣のごとく、雷鳴の中で、ただ咆哮した。