「……この服、なんすか?」
[似合ってるだろう?]
――魔法少女の存在が学校中に知られてから、およそ半月近くが経った。
ここは自宅のアパート。いまだに部屋に立てかけてある大きい姿見に映った姿は……言うなれば「地雷系」。
ピンクでフリフリのブラウス。ハートをかたどったベルトのバックルに、これまたフリルが多用された黒いスカート。ツーサイドアップに結ばれた髪にはご丁寧にピンクのメッシュまで入れられ、十字架の柄が入ったニーソがいろんな意味で痛い。
室内なのに、リボンのついたかわいい黒の厚底ブーツまで履かされ、顔もしっかりメイクされ……見た目は完全に、少し病み気味の可愛い女子だった。
「不本意だ……」
「でも似合ってるにゃん」
「何故だろう、褒められてるのに全然嬉しくない」
うるかからは僕がここまで病んでるように見えるのか?
呆れる僕。夕日が部屋をオレンジに照らしていた。
――こんな感じで、僕はたびたび人ならざる同居人の無機物と猫によって遊ばれていた。
特に理由はない。楽しくないかと言われたら嘘になるが。
ぐるぐる、ちりんとそれぞれ嬉しそうな音を鳴らしたそれらに、少女の姿をした僕はため息を吐く。
もしもいま宅配便かなんかで来客が来たらどうするつもりだ。このままの姿じゃ恥ずかしくて出られないぞ。
僕は軽く頭を抱え。
ぴんぽーん、と呼び鈴が鳴った。
ちょ、待って! ここで来客とか聞いてない!
なんだ、宗教勧誘かなんかか……?
そっとドアの覗き穴越しに外を見ると。
「ヘッヘッヘッヘッ……わふっ」
頭の悪そうな犬の顔面が目に飛び込んできた。犬人間だ。
……よし、僕はなにも見なかった。
僕はメイクを落とすために洗面台へ向かった。
「って! なんで出ないにゃ!?」
うるかと僕は感覚とか諸々を共有している。そもそも体が一つになっているのだから当然と言えば当然なのだが。
「せめて話でも聞いておいたほうが」
「僕にそんなコミュ力があると思うかい?」
「……」
クラスメイトともまともに話せない僕だ。見ず知らずのわけがわからないものに出るはずがなかった。
「……いつも宗教勧誘とかどうしてるにゃ?」
「無視」
「にゃあ……」
うるかはあきれて絶句したようで。
どうにかブラウスとスカートを脱いだ僕もまた、絶句していた。
「……ブラってどう脱ぐの……?」
まさか下着まで女性用のそれになっているとは思わなかった。これじゃあただの変態じゃないか。
背中のホックを外して脱いだブラは、ピンクにレースのフリルがたくさんつけられたとてもかわいいものだった。
パンツもそれと合わせられたピンクの、布面積少なめのやつ。どうりでスースーしていたわけだ。
羞恥に頬を染めながら服を脱ぐ僕を、うるかはニヤニヤと観察していた。
「やめて……」
――追い出したところでうるかは僕と一心同体なのだ。つまりどうあがいても見られているというわけで。
「めちゃくちゃ恥ずかしいよ……」
真っ赤になりながら全裸になった僕は、ふとまだ置かれたままの姿見を覗く。
……裸で、明らかに(とても小さいながらも)男の象徴がついているにもかかわらず、男らしさのかけらも見えない。小柄で貧乳な女の子にしか見えない。
鏡の中に映った少女はうつむいて、ため息を吐いた。
寝間着代わりの中学のジャージ。僕は息を吐いて、チャックを上まで上げる。
着替えついでにシャワーを浴びたので、髪がぼさぼさでまとまりはない。
息を吐いて髪をくしでとかし、カップ麺にお湯を入れる。
「いい匂いにゃ……」
うるかは僕の風呂上がりのシャンプーの匂いが好きらしい。ぐるぐると喉を鳴らす声が脳内にどこからともなく響いた。
僕は息を吐いて、スマホをいじりだした。
タイマーを起動し、三分間。無音が、静寂がその場を支配して。
ふと天井を見上げた。なにがあるわけでもないけども。
冷房も暖房もない部屋。春先の夜。肌寒い部屋。温かいコーヒーと……少しだけ、ほんの少しだけ人が恋しくなって。
タイマーが鳴った。
カップ麺を開けると、もくもくと湯気が立ち上る。
割り箸を割って――キレイに割れて、少し口角をあげる――カップ麺の中身をかき回して混ぜて、麺をすくい上げ。
すすった麺の濃い味が、味蕾を刺激する。
「……うまい!」
汁まで飲み終え。
「ごちそうさまでしたー」
体温が上がって少し熱っぽくなった僕は、あくびをひとつして。
ふすまを開けて、その上段から布団を出し。
「うるか、寝るぞ」
なんて声をかける。意味はないけど。
「一緒に寝たいのにゃ?」
「いつも一緒だろ」
幻聴の冗談に軽口で応じた。……少しだけ心強くて心の底が温かくなったのは内緒だ。うるかには筒抜けなんだろうがな。
パタンと倒れ込んだ。天井には何もなく、あるのは静寂だけ。
もうひとつあくびをして、僕は瞼を閉じる。
――夢を見た。
僕は、魔法少女は跪いていた。
息はひぅひぅと細く、僕の通う高校の生徒たちがそれを見守る。
その視線に込められているのは、侮蔑か、絶望か。
怪物が近寄る。よくは見えないが、本能的な恐怖が僕の息をさらに詰まらせる。
来ないで。
抵抗する魔法少女。怪物は容赦なく、機械的に。
首に手をかけた。
息が詰まる。首が締まる。ぶちぶちと、命が引きはがされるような感覚。呻き声。
願った。
助けて。
ひゅっと呼吸し。
僕は目を開けた。
――静寂。朝日が天井を照らす。
朝の冷たい空気が僕の意識を呼び起こす。
ああ、あれは夢、だったのか。知覚した。
「ふぁ……」
背伸びして深呼吸。澄んだ空気を吸い込んで、肺の中の空気を冷たいものに交換する。
心臓の音がバクバクと聞こえる。ひどく大きく聞こえる。
「だいじょうぶ、にゃ?」
「誰だ!」
吐いた息。振り返ると誰もいなくて。
――うるかの声だったことを三秒経ってから気付いた。
そっと視線を戻すと、そこには三毛猫がうずくまっていた。うるかだ。
「おはようにゃん」
尻尾を立ててみゃあと一つ鳴いたその子猫をそっと撫でる素振り。手が透けてるのに、彼女はぐるぐると喉を鳴らす。
猫はやっぱ心を癒してくれる。……これが本当の猫だったら手触りもあってもっとよかったのかなぁ。
ふふっと少しだけ笑った。
[笑ってる顔もかわいいぜ]
魔法の鈴のセクハラ発言にため息を吐いたのは直後のことである。
スマホを覗くと現時刻は六時半。登校するには少し早いか……。
もうひとつあくびをして、とりあえず布団をたたんだ。
ワイシャツを着て、ズボンを穿いて、ブレザーを羽織る。
洗濯したての白靴下も履き、ズボンのポケットに鈴を放り込んだ。
「行ってきます」
誰もいない部屋に意味もなく挨拶して、カバンを持った僕は玄関を出た。
――また一日が始まる。何の変哲もない一日が。