翌日のこと。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
――突然だが、僕は追われている。魔法少女――茶色基調のロリータ風のジャンパースカートを纏った美少女のごとき女装少年という姿で。
「オルァ待てぃ! 鈴をよこせァ!」
追う方は、首が長めでモフモフしたトイプードルの犬人間。だが、問題は首から下。
一人はスカジャンに「夜露死苦」と書かれたやつ。一人は同じ字が書かれた丈の長い学ランのようなもの。そしてもう一人は夜露死苦と背中に刻まれた特攻服らしきもの。
モフモフのトイプーヘアはそろってリーゼントに刈り上げられ、ド派手なバイクに乗っている。
いわば暴走族とかヤンキーとかそういう類のものだった。
「絶対ヤバいってこれ!」
「アレにひかれると絶対痛いにゃ……ぶるぶるにゃん……」
「そうだけど! それだけじゃなくて!!」
全体的にかかわったらいけなそうな雰囲気を感じる。
正直、高速並みの速度でぶっちぎるバイクから逃げられてるのも、鈴に願ってそのバイクと同じくらいの走力を手に入れたからで。
……正直、スタミナは限界に近づいていた。
[そういえば、うるかが「止まれ」って願えば私の機能は一時的に停止するぞ]
「だからどうしたですか!?」
[……バラバラになってやり過ごすとかどうだ?]
冗談じゃない!
……もう無理だ。スタミナが限界に達し始めた。振り向くと少しずつ迫ってくるバイクたち。ヒャッハーと笑うヤンキー。
もうやけくそ。なんとかなれと願いながら、僕は道を少し逸れて立ち止まって――。
しかし、プードルの犬人間たちは止まれなかった。
車やバイクは、すぐには止まれない。まして、高速並み、時速百キロは余裕で出してたレベルなのだから、すぐに止まれるはずがない。
そして、目の前には都合よく行き止まりが。
本当は丁字路なのだが、高速で走るバイクが急に曲がれるはずもない。
ドリフトで急ブレーキをかけようとするプードル犬人間たち。しかし、止まれずに――ガシャーンと、とんでもない音がして。
ぴくんぴくんと痙攣する三匹の犬人間。なんか、ごめんね……と手を合わせつつ、僕はさっさと逃げおおせたのだった。
*
――というのが、今朝、それも早朝の出来事である。
ふーっと息を吐き、寝そべる机の上。どうしたの、と聞かれることはない。
僕は肩くらいまで伸びた髪に男子制服、メガネと要するにいつもの服装に戻っていた。
[これでいいのかい?]
「うん、上々。また着せ替え人形にはされたくないからね」
あのあと、瞬時にあの姿に「変身」したり、戻れと念じると変身前の姿に戻るようにしてもらったりした。
……そうじゃないと、昨日みたいに変な服を着せられかねない。
「女の子のカッコ、絶対似会うのに……残念にゃん」
僕の傍らで唇を尖らせるうるか。その頭に手を乗せると――実際には透けてしまうのでふりだけだが――、ぐるぐると喉を鳴らし始める。やっぱり猫じゃないか。
「おい、あいつ空気を撫でてるぞ」
「幻覚でも見えてんのかな……」
「おもしれー女」
「いや男だぞ」
……なんかクラスメイトに面白がられてるような気がするが、多分気のせいだろう。僕を気に留めてるような人なんているものか。
――時間は過ぎて、昼休み。
食事場、もとい便器の水を流し。
隣の個室からも水を流す音がした。ちょっと気まずいが、まあいいか。外は誰もいないみたいだし。
そう思って個室の扉を開けてみると。
「んっ……あ……ども」
「……」
頭を下げてきた、ちょうど隣の個室から出てきた相手。男の中では結構小柄な僕よりもさらに小さく、制服のチェックのスカートが揺れていた。
なおここは男子トイレ。
女装かな? 女装だろう。いや、声が明らかに女の子だった。
その矛盾が示すところ、それはすなわち。
「えーっと、ここ、男子トイレだよ? 私も女の子だけど」
その女の子は朗らかに告げた。
なんで? なんで女の子が男子トイレの個室にいたの?
「知ってる……そして僕は男です……」
僕が赤面しながら告げると、相手の子は顔を真っ赤にして。
「声、聞こえなかった……?」
恐る恐る聞いた。
……正直、声なんて聞こえてたかな。
「大丈夫、だと思うです……」
その言葉に、女の子はほうっと息を吐いて「よかったぁ~」と声を上げた。
何か聞かれたらまずいことでもあったのだろう。それならそもそもトイレでやらなければいいじゃないか……とも思ったが、このトイレは多くの教室から離れているためにあまり使われることが少ない所だったのでちょうどよかったのだろう。
……ならなんで男子トイレなんだろう。なにかとても深い事情がある気がして、むしろ聞く気にはなれなかったが。
「あたしは
青みがかった白のショートカットの髪を揺らし、彼女は微笑んだ。
「よ、吉水です……よろしく……」
なんでわざわざ自己紹介なんてしたんだろう。僕にはあまり理解できなかった。
恥ずかしくなって僕は、トイレを逃げるように出ていく。カバンも忘れずに持って。
――彼女の趣味が、男子トイレでエロゲーをしながらオナニーをすることだと知るのは、またしばらく先の別の話である。
さて、逃げ込んだ教室。なにから逃げてたのかはわからない。
荒い呼吸音。そろそろ予鈴が鳴るころか。騒々しい教室はいつも通りの様相で、空いてた自席に座る僕にかまう余裕はなさげに見える。
机の上に教科書を広げて、わけもなくため息を吐いて。
意味もなくそれを読んで、予鈴が鳴って、慌ただしくなる教室。僕は余裕でカフェオレを口にする。
そしてそのうち少し眠気がして、机の上に頬をつけた。
ふぁ、と欠伸をして。
「寝ないでにゃ!」
びくっとして起きた。
……なんだよ幻覚、もというるかかよ。心臓に悪いじゃないか。
ぜえぜえと息を吐いて、そのとき本鈴。授業開始のチャイムが鳴った。
仕方もないし、退屈な授業を真面目に受けることにする。
「授業中に寝るのはダメなんだにゃ」
うるかのそんな小言に耳を傾けつつ、だが。
そして、授業が終わり、下校時間。
[今日も何もなさそうでよかったじゃないか]
帰路。魔法の鈴が告げた言葉に、僕は「これから何もないとは限らないけど」とため息を吐く。
そんな時。
「……なあ、鈴の女見つけたらどうすっぺ」
「ボコすに決まってんやろそんなん」
「っぱ拳しかねーっすよね!」
――今朝のプードルの犬人間たちが、ボコボコになって人目を浴びつつ公然と歩いているのを見かけた。
僕がそのその女であることは誰にも知られていない、はずだ。なので、僕がボコボコにされることはない。
……一体、犬人間ってどこから生えて、もとい湧いて……いや、出てきているのだろう。
犬人間はしょっちゅうこの街に現れては、鈴はどこかと町の人たちに聞いたりして回っているらしい。見つけ次第、というか見つけた時はだいたい人を襲ってるので片っ端から倒してるわけだが。
人や僕を襲っていない通りすがりの犬人間に自分から挑みに行くのはちょっとなにかが違うと思う。魔法少女はあくまでも魔法の鈴と人々を守るために戦うのであって、犬人間を殲滅するためじゃない。
なにを言いたいかというと、僕はそのプードルの犬人間たちを尾行することにしたのだ。
こそこそとプードルのヤンキーたちについていく僕に気付く者は誰もいない。気配を消すことだけは得意なのだ。
そして。
「あ? なに見てんだっぺ?」
人と遭遇するプードルヤンキーたち。一瞬僕が見つかったのかと思ったが、違う。
彼らと対面するのは、少女。しかも、見覚えがある。記憶に新しい。
「……なに、見てないんですけど?」
美袋さんだ。
「いや見とったやろ。嬢ちゃん、嘘はつくもんじゃねぇぜ?」
「や、見てませんし。そっちこそ、嘘はつくもんじゃないっすよ」
「は? なに言ってンすかねーっ!?」
煽るような口調の犬人間たち。対する美袋さんは強い口調で否定する。
……そうしたらどうなるか、考えてないわけないだろうに。
「あー、イライラする。……くっ、くくく」
プードルヤンキーのうち、一番大きくて強そうなやつが、笑いながら少女を睨んだ。
「魔法少女の代わりに、コイツをボコすのはどうや?」
その意図を汲んだのか、中くらいのエセ関西弁の犬人間が提案した。
そして、小柄なプードルが「いいっすね! いいっすねェー!!」と興奮気味に同意した。
「どうしてそうなるの!?」
困惑する美袋さんに、犬人間は。
「そんなのどーでもいいんだよ。俺たちはイライラしてる。お前はちょうどここにいた。それだけさ」
なんて理不尽な!
僕は苛立って。
「まず最初、オレいいっすかァ!?」
小柄な犬人間が歯を剥き出して口角を上げ、拳を握りしめ。
歯を食い縛る美袋さん。そして、鈍い衝撃音は――鳴ることはなかった。
「なにやってんだ、クソ野郎」
「げえ、鈴の女!」
そこにいたのは魔法少女。小柄なプードルヤンキーの拳を受け止め、少女を庇っていた。
「逃げて、みな……キミ!」
彼女の名字を言おうとしてしまって、慌てて言い直す。危ない、正体がバレるところだった。
指示にしたがって逃げていった彼女を見送り。
「なんだァ、テメエ」
「通りすがりの魔法少女だ!」
その言葉と共に、僕の握った犬人間の拳は音を立てた。
悲鳴を上げる犬人間。僕は大柄なプードルヤンキーに狙いをすまし。
「ぶっ殺す!!」
振り下ろされるは巨大な拳。
まともに食らえばひとたまりもないだろう。僕は受け流すように防いだ。
バランスを崩した大柄な犬人間の首筋を狙って、叩き込む手刀。
それは、綺麗にその犬人間の首を切り落とした。
「……あ、やべ」
爆散。その勢いに乗るようにして、もう一体の中くらいの犬人間に飛びかかり。
「キャットサマーソルトっ!」
黒光りするメリージェーンが、そのふわふわの首を撃ち抜いた。
「ギャスァ!」
断末魔と共に爆発したその犬人間。「ヒッ」と短く悲鳴が聞こえた。
その悲鳴に振り返ると、小柄な犬人間がバイクを出して逃げていた。
慌てて追いかける。
「ヒィ、追ってくるよォ! 助けてボス! 将軍! ママァ!」
泣き言を言って逃げる犬人間。学校裏手の路地。彼が飛び込んだ先にあったのは――小さな無人の神社だった。
その神社の境内には、目を皿にした美袋さん。
「危ないッ!」
叫び飛び出した僕。
――無自覚に願ったのだろう。一瞬の、超人的な加速を。
風が、突風が、強風が、僕の軽い身体を飛ばした。
追い風に押され、神社に先回り。
「ひゃっ!?」
美袋さんの前に降り立った僕。しかし、小柄なプードルヤンキーは僕らには目もくれず、一目散に神社のこじんまりとしたボロボロの社殿の裏手へとまわる。
僕も追いかけてそこまで行くが――すでに、犬人間は跡形もなく消えていた。
どういうことだ。困惑する僕。「あの……」と美袋さんが背後から口にした。
「ありがとね、魔法少女ちゃん!」
……ちゃん付けに違和感を覚えるが。
それでも、その笑顔に――秘められた感謝の念に、嘘はなかった。
「どういたしまして」
少し照れながら答えた僕を、美袋さんはまじまじと見つめて。
「……あれ? どっかで会ったかな。なんだか見覚えが……」
「で、ではこれで! さよならっ!」
僕は逃げてしまったのだった。
ぜえ、ぜえ、と荒く息を吐き、魔法少女から男子高校生へと戻る。
ここは自宅アパート前。誰もいないことは確認済み。
……鍵、制服のポケットの中だからね。
階段を上がる前に、アパートのすぐそばにあるくたびれた自販機でお気に入りの缶コーヒーを買う。なんとなく飲みたくなって。
「お疲れにゃん」
玄関の鍵を開けてドアを開けると、出迎えるように立っていたうるか。その頭を撫でる――ふりをして。
ぐるぐると喉を鳴らす三毛猫の姿の彼女。僕はちゃぶ台の前に座り、コーヒーを一口飲んで、息を吐く。
「甘いにゃんね、これ」
「うん。今日はいろいろあったからね」
コーヒー風味の糖分を補給して、脳を回復させたい気分だった。それ以前に僕はこの甘くてコクのあるミルク入りのコーヒーが大好きなのだ。
着替えて宿題でもやろう。その前にシャワーでも浴びるかな。
ぐっと飲みほしたコーヒー。うん、甘い。
ふうと息を吐いて。
「……鈴、忘れないようににゃ。肌身離さず持ってないと効力が切れちゃうからにゃん」
「あっ……ぶね!」
一瞬忘れそうになってた。慌ててポケットの中の鈴を握りしめる。
ほうっと息を吐いた僕を、うるかは笑った。
大型連休前、桜もそろそろ散ってきた頃。初夏が訪れる前の日の事である。