チーズケーキはまだ冷蔵庫の中。
先に食べたご飯のお皿を片付けている横で、歩くんがコーヒーを淹れてくれている。
「ブラックでいいです?」
「うん、ありがとう」
「テーブルに運んでおきますね」
歩くんが台所から離れたのを見て私は冷蔵庫を開けた。中からチーズケーキを出し、二人分にカットする。
お皿にのせた姿は、我ながら良い出来だと思うのだけど、さあ果たして手作りケーキを食べてくれるだろうか。緊張して生唾をごくりと飲み込む。
「あのね、歩くん」
「はい?」
「バレンタインね、チョコじゃなくてね、……その」
「チョコって、昨日会社でもらったのは?」
「えっと、昨日渡したのは会社用? プライベート用じゃないっていうか……」
「なんだ。そうか……、良かった」
「え? どうしたの?」
どこかほっとしたような歩くんの力が抜けていく。
「いや、何でもないです」
「え、でも……、どうしたの? 私なにかした? 昨日のチョコって市販のだから――」
「そうじゃないんです。市販のだっていうのはまあ見れば分かります」
「そうだよね」
「じゃなくて、みんなと同じだったから。彼氏なのにみんなと同じだったから、……その、大人げなくもショックだったっていうか……」
「えっ!? ごめん!! あれは本命じゃないっていうか、その義理っていうのもおかしいけど会社用だったっていうか……。だからね、歩くんには私、作ったのチーズケーキ!」
すかさず切り分けたチーズケーキをのせたお皿を歩くんの前に置く。
心臓がばくばくと大きく音を鳴らす。
「彩葉の手作り?」
「うん……」
私の視線は歩くんに向き、歩くんの視線はチーズケーキに向いている。お互い動かないまま固唾を飲むのがわかる。
「チーズケーキ?」
「うん……。あの、毒とか異物は断じて入れてないから。だけど無理はしないで? 私が勝手に作っただけだから無理強いはしたくないし。あっ、えっと、私が先に毒見しようか? そうしよう!」
「待って彩葉」
歩くんの伸ばした右手に制される。私は大人しく歩くんの向かいに座って静かに待つ。
「…………」
「…………」
歩くんの喉が上下に動く。
「…………」
「…………」
ゆっくりと右手が動いてフォークを掴むが若干震えているのかフォークの先がお皿に当たりカチャカチャと高い音を鳴らす。
それを私は祈るように見守る。
ゆっくりとフォークの先がチーズケーキに沈むと、ひとくちほどの大きさがフォークの上に鎮座した。
「…………」
「…………」
「大丈夫。食べれる。大丈夫」
呪文のように唱えたあと、歩くんは勢いよく口の中にフォークを運んだ。
フォークが引き抜かれるとそこにはもう何ものっていない。
歩くんの口がゆっくり動き咀嚼している。
そして、
歩くんが、
にこりと笑った。
「彩葉、食べれた」
「あっゆむく〜ん〜!!!」
捨てられる覚悟をしていただけに涙が出る。ただチーズケーキを食べてくれただけなのに感動して涙が溢れる。
「ありがとう歩くん。ありがとう、ありがとう、食べてくれてありがとう」
「お礼を言うのは僕の方です。どんな気持ちで作ってくれたのか……。本当にありがとうございます」
「ううん、ありがとう」
「ほら、泣きやんで? 一緒に食べましょう?」
「うん! うん!」
ティッシュで涙と鼻水を拭いて私も自分のお皿にあるチーズケーキを口に運ぶ。
「美味しいでしょ?」
「作ったの私だよ? ふふっ」
「ははは。でもほんと美味しい。これなら毎日でも食べたいくらい」
「毎日は無理だけど、歩くんが食べたい時は作ってあげる!」
「ほんとですか! 嬉しいな〜。それじゃあお礼に……」
「?」
首を傾げる私の前で歩くんは何かを出した。それは雑誌くらいの大きさで、クリーム色の包装紙でラッピングされていて、受け取るととても軽かった。
「私に?」
「はい」
「開けていい?」
「どうぞ」
丁寧に包装紙を開くと中から出てきたのは……
「もしかしてマフラー?」
「はい。貸してください」
そう言いながら歩くんは立ち上がって私の横に来るとマフラーを取って私の首にふわりと巻いてくれる。
「良かった。似合ってますよ」
「ほんと? 鏡見て来ていい?」
「どうぞ」
姿見のある所まで行って全身を映す。
水色とピンクがかったベージュのチェック柄のマフラーが首周りを華やかにして顔も明るく見える。
「あっ、可愛い」
「気にいってくれました?」
「もちろん!! すごく嬉しいよ!! ありがとう歩くん」
「お礼はキスでいいですよ?」
「え? チーズケーキのお礼じゃなかったの?」
「そうでしたっけ?」
「もうっ」
でも嬉しいから私は踵をあげる。頰でもいいかと思ったけど、今日はバレンタイン。
女の子が男の子に想いを伝える日。
私の気持ち、届きますように! ――そう願いながら愛しい彼の唇にそっと自分の唇を重ねる。
「ありがと、大好きだよ歩くん」
「僕もです。でもまだ足りない……」
歩くんの手によって腰を引き寄せられると唇が深く深く重なっていく。どんなに重ねてもまだ足りないとでもいうように深く深く沈んでいく。
「可愛い。彩葉、愛してる」
歩くんとならどこまでも一緒に沈んでしまえる私はもう一度愛を囁いた。
「私も――」
歩くんの熱で溶けていく私はまるでチョコレートにでもなってしまったかのよう。いや、それよりも歩くんの好きなチーズケーキかもしれない。
身体中余すことなく食まれていく。とろとろに溶けていく。大好きな彼の腕の中で――
【バレンタイン番外編 おわり】