土曜から歩くんが来るってことはだよ?
あれ?
『嬉しい〜お泊りだぁ〜』なんて浮かれてる場合ではないって事かっ!?
ヤバイぞ!
ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ!! ――と私は顔を歪めて頭をおさえる。
14日のご飯の準備は歩くんが来る前にあらかた終わらせておけばいいか〜と考えていたのに、これじゃあ事前に出来る準備なんて買い物だけで終わってしまうではないか!
目の前で料理するのはまだいいとして、でも歩くんの事だから手伝いますとか言ってくれるんだろうな。
彼のためのバレンタインご飯を彼と一緒に作るってどうなのよ? プレゼントにならないじゃん?
チョコの代わりのチーズケーキもどうしよう?
ケーキ屋さんで買っても良かったんだけど、こうなったらとことん彼と一緒に作って過ごすバレンタインっていうのもアリではないでしょうか?
「チーズケーキか……」
困った時のクックパッド先生をスマホから表示する。簡単に出来るチーズケーキレシピを片っ端から探すこと30分。
「これだ!!」
分量も分かりやすいし、作り方もシンプルだ。ひとまず材料をメモして別紙に分量も書いておく。
「チーズケーキは焼いてから一晩冷蔵庫で冷やした方がいいんだ。……それなら前日に焼いておいて当日に出せばいいか? よし、そうしよう!!」
それからご飯用に買うものもメモしておく。金曜の仕事終わりに買い物して帰ればいいだろう。
*
バレンタイン前々日となる金曜は朝から営業部内を結城さんが華やかに染めてくれた。
「おはようございます月見里チーフ」
「おはよう結城さん」
「はい、これ。いつもお世話になってます」
そう言ってピンクとゴールドラメで彩られたネイルの結城さんの手には手の平サイズの赤い箱がある。
「もしかしてトリュフ?」
「はい! 月見里チーフだけ特別にたくさん詰めてますよ!」
「ほんと〜! 嬉しい〜! ありがとう! あ、ちょっと待って」
結城さんから受け取った赤い箱はデスクに置き、持って来ていた紙袋の中を漁ると花柄の真四角の箱を出す。
「はい、私から。いつも美味しいお菓子をありがとうね!」
「わ〜、いただいていいんですか! ありがとうございます!! あっ、ここのチョコ好きなんです、嬉しい〜」
「ほんと!? 良かった〜。いや、ほんとわね、結城さんを見習って作ろうかとも思ったんだよ? ……でもちょっと時間が……」
「あ〜〜、なるほど。分かります! 分かりますよ、月見里チーフ。私もお菓子作り始めた頃は上手くいかなくて失敗もしました。それに練習する時間は本命へ掛けたいですよねっ!!」
「いや、ははっ……、そうだね……」
「大丈夫ですよ! お菓子作りで困ったことがあったら何でも聞いてくださいね!」
「う、うん。ありがとう心強いよ」
「絶対ですよ、頼ってくださいね?」
「うん」
「ふふ、頑張ってくださいね!」
「ありがとう」
「あっ、増田部長だ。チョコ渡して来ますね!」
「はーい」
笑顔を浮かべて増田部長の元に向かう結城さんを目で追いながら、あとで私も配りに回ろうと思っていると川辺が来る。
「っす」
「おはよ、ちょっと待って川辺。はい、義理ね」
最後の部分だけ強調しながら微笑むと、川辺の頰が一瞬ひきつる。
「義理でいいよ、もちろん義理で嬉しいです。サンキュな! だからそうやってこっち見るな」
川辺の言ってる事の意味が分からない。『こっち見るな』なんて酷いじゃない?
だけどその理由がすぐに分かる。川辺の視線は私を通り越してその後ろ……、歩くんを見ていた。
「何を言っているんですか川辺主任? 良かったですね、月見里さんから
「お、おう。松岡だってどうせもらうんだろ?」
歩くんは川辺を睨んでいる訳ではない。それどころか優しい微笑みを浮かべている。そう、とても優しい微笑みを……。
「松岡くん?」
「僕ももらえるんですか?」
「えっと……」
「さっきから待ってるんですけどね……」
「あのね……、あるよ、あるんだよ」
私は紙袋から川辺に渡したものと同じ箱を出す。それは紺色で細長の箱。
男性陣にはこの紺色の箱のチョコを用意し、女性陣には花柄の箱のチョコを用意していたのだ。
歩くんには当日に本命チョコならぬ、チーズケーキとご飯を用意する予定だが、社内で渡す用にみんなと同じ義理チョコを用意していた。
これは市販のものだから歩くんも抵抗なく食べてくれるだろうし、という思惑もある。
「はい、どうぞ。いつもありがとう」
「え……、あっ、ありがとうございます」
喜んでくれてない?
若干テンションが落ちたのが分かる。
「もしかしてチョコ嫌い? 苦手だった?」
「いえ。嫌いじゃないですよ。嬉しいです、ありがとうございます」
さっきのは気のせいだっただろうか? すでに歩くんはいつも通りのテンションに戻っている。
それが気になりながらも他の人にチョコを配り、それを終えると今日の業務に当たる。
仕事中の歩くんに話し掛けてもいつも通りだったので、いつの間にかさっきのことが気にならなくなっていた。
(つづく)