2月。
私、月見里彩葉は焦っていた。
世の中は赤やピンクで溢れていてテンションが上がりそうな雰囲気に包まれているというのに、当日に向けての準備はおろか計画も立っていない。
「ヤバイっ!!」
小さく頭を抱えるお昼休み。休憩室に誰もいないのを良い事にスマホで『バレンタイン 恋人 初めて プレゼント』と思い浮かぶワードで検索しまくっている。バレンタインデーまであと2週間しかない。
「どうしよ、どうしよ。手作りチョコ? 難易度高い? でも『初めては手作りで♡』とか書いてあるよ〜〜〜、もぉ〜〜」
私の手作りご飯は少しの警戒もなく食べてくれるようになった彼氏の歩くんですが、そうなんです! 他人の手作りクッキーを捨てるような人なんです――
お菓子系は歩くんの克服難易度が高いと踏んで未だに作ってない。
いや、一度だけあった。
あの空港で――
アメリカに行く友梨さんと湊さんをお見送りに行ったあの夏、『もしかして克服してくれるんじゃないか』と安易な考えで、結城さんにクッキーの作り方を教えてもらい意気揚々とラッピングした型抜きクッキー。
渡したそれは受け取られる事なく、私の手と歩くんの手によって、ぐしゃりと無惨に砕けてしまった。
あれから半年。
でも思いだせばまだ、手の平にあの時の感触は鮮やかに残っている。
「やっぱりチョコは買おうかな。どこのチョコが好きかな?」
百貨店にでも行ってみようか。きっと有名ショコラティエのチョコレートがきらびやかに並んでいるだろう。
そうだ。とりあえずチョコレートを見よう。
計画も準備もそれからだ!
私は馬鹿だ。
ここに来た事を後悔し初めていた。
漂うショコラの香りが脳をとろけさせ、甘やかな雰囲気に酔う。
そして何より、人が多い!!
だけど、ひとたび宝石のように美しく細工されたチョコレートを見ると、自分が食べたい欲に負けそうになる。
「とりあえず自分用に買えばいっか。問題は歩くんだな……」
お花の形とかは喜びそうにないし、それならシンプルなチョコか……。それともお酒入りとか好きかな?
「あっ、これ可愛いっ」
――って違う!!
自分の好きを基準にするとどうしても可愛い寄りになってしまうのだが、一歩前に進むたびに色々なショコラに誘惑されてしまうのだから仕方ない。
「あれ? 月見里チーフだ〜! お疲れ様で〜す」
突然声を掛けられて驚くものの、声は聞き親しんでいるもので、すぐに誰か分かる。振り向くと案の定、可愛いらしい西洋人形が――じゃなくて、
「お疲れ様ー。結城さんもバレンタイン?」
「はーい、そうです! って言っても自分用のチョコですけどね! 月見里チーフは? って聞くまでもないかぁ〜、ふふふっ、もちろん、ですよね〜」
にやにや笑いとまではいかないが結城さんの頰が上がって、何となく楽しんでいる様子が伝わる。
「まあ、そうだね。……あっ、でも悩んでて、いっぱいあるじゃん? どれがいいんだか、見れば見るほど分かんなくなって困ってたとこ」
「ですよね! 私もすでに候補が軽く10個はあって悩みます!」
「10って、すごいね」
「そんな事ないですよ、来週はまた別のお店に行ってリサーチするつもりなんです。だから候補がまた増えちゃうんですよ〜」
「そう、なんだ〜」
若さのエネルギー凄いわ……。いや、違うか。私が結城さんの歳の時でもこうやってエネルギー使ってなかった気がする。いや、エネルギーは全て仕事に注がれていた。
入社一年目はがむしゃらに仕事してたもんな〜。多分あの頃の私は要領があまりよくなかった。それを思い返すと目の前にいる結城さんは本当に要領がいい。
「すごいわ、結城さん。尊敬する」
「えー、なんでですか? 私こそ月見里チーフ尊敬してます!」
「ほんとに?」
「ホントです!」
「ありがと……」
「ふふっ。あっ、そうだ! 月見里チーフには手作りトリュフをあげるので楽しみにしててくださいね!」
「ほんと!? ありがとう! 私、結城さんが作るお菓子大好きだよ!」
「わぁ〜嬉しいです〜」
「まって、……ってことはよ? 当然社内のみんなにも配るんだよね?」
「はい! 当然じゃないですか!」
「だよねー」
「大丈夫ですよ、月見里チーフには特別にたくさん作りますからっ!! 楽しみにしててくださいね!」
「あ、ありがと」
お互いに会話の終了を感じて「じゃあまた明日会社で」と言って結城さんと別れると私はまたショーケースに並んだショコラをぼんやり眺めた。
――そっか。結城さんは手作りチョコを配るのか。私はどうしよう?
営業部の男子は、増田部長と三山係長と川辺と歩くんの四人。日頃お世話になっているしと毎年義理チョコを用意してたけど、今年は結城さんと清水さんと久保田課長にも用意しようか……。
そうなると……? あれ?
私も結城さんを見習って手作りしちゃう?
いや、それはないか?
いや、……いや、……いやいやいや――
「あーーー、悩みが増えてしまった!!!」
頭を抱えた私はその日、何も買わずにとりあえず家に帰ることにした。
(つづく)