秋の気配を感じる頃。
歩くんと私は約束の温泉旅行に来ていた。
あの時とは違って雨は降っていない。まるで天が再訪を喜んでくれているかのように穏やかな天気だ。
暑くもなく、寒くもなく、散策するのにはぴったりの心地よい気候の中、二人並んで歩く。
だけど、ちょっぴり寂しい手の平を感じて、私は勇気を出して甘えてみようと思った。だから思い切って大好きな手に自分の指を絡める。
「どうしたんですか?」
「手、……繋ぎたかったの。ダメ?」
旅行中くらいずっと繋いでいたい、なんて思うのはもしかして私だけだろうかと不安になっていると、絡めた指がぎゅうと握られ、軽めにぶんぶんと振られる。
「いいに決まってるじゃないですか。むしろもう離れませんからね?」
「ふふっ、いいよ! 離さないでね?」
お互いに離れないようにとぎゅうと指に力を入れると隙間さえなくなり合わさった手の中の温度が上がっていく。
「ねえ、温泉まんじゅう食べようよ!」
「いいですよ」
目の前の店を指差す私に優しい微笑みが返ってくる。
「他にも食べたいものあるから半分こね」
「はいはい。すみません、一つください」
「あいよ、ちょっと待ってね!」
お金を払おうとして繋いだばかりの手を早速離そうとする私の手を歩くんがぎゅうと力を入れる。
「お金払えないよ?」
「大丈夫、僕が払います」
そう言うと歩くんは空いている手をズボンのポケットに入れて、そこから無造作に小銭をだし、支払いをしてくれる。その横で店員さんから差し出されたあつあつの温泉まんじゅうを私が受け取った。
「手、離さないって言いましたよね?」
「だって、でも、お金払う時くらいは仕方なくない?」
「なくないです」
「ねえ、まだポケットにお金たくさんあるの?」
「まさか、そんなに入れてませんよ。飲み物二本分くらいしか入れてませんから、残念ながら次はポケットマネーは使えないですね……」
「じゃあやっぱり次は離さな――」
「はいはい、そろそろ食べましょうよ」
「あ、そうだね。って両手使えないと半分こに出来ないよ?」
「出来ますよ。ほら僕の手を使えばいいでしょ?」
そう言って歩くんは私の手にある温泉まんじゅうから、半分ほど割って口に運んだ。
なんだか歩くんが上手な気がするが、嫌じゃない。むしろ上手な分、私が甘える余白を残してくれているようで楽しいと感じることが出来そうだった。
旅館に行く前にあの神社にも立ち寄った。
あの時たしか私は、歩くんに良いご縁をください、と神様に願ったのではなかっただろうか。
良いご縁というのが、まさか私だなんて思いもしなかったけど、今日は神様にご縁をくださったお礼を言いたい。
歩くんと並んで神様の前に立ち、この時ばかりはお互いの手を離す。
背筋をしっかりのばして『ありがとうございました』と心の底から感謝を述べた。
「彩葉?」
「うん、行こうか」
差し出される手に手をのせて、神様に背を向け石段を下りる。
「今日はこけないでくださいよ?」
「大丈夫、こけないよ。だって歩くんが手を繋いでくれてるから」
にこりと笑った私の顔を見て、歩くんも優しく微笑んでくれた。
――好きだな。
胸が温かい。
「じゃあそろそろ旅館に向かいましょう」
「うん!」
繋いだ手を軽く揺らすと、どうしたんですか、と歩くんが笑う。
「だって楽しいから! それにね、私とっても幸せなんだよ、知ってた?」
とびきりの笑顔を浮かべる私を見て歩くんは大きな溜め息をつく。
「はあ。ここが外じゃなかったら襲ってますからね、その笑顔何なんですか? 理性がぶっ飛びます……」
「えと……歩くん?」
「ほら、早く! 旅館に行きますよ! そしたら覚悟してくださいね」
悪い顔でにやりと笑う歩くんを見て、マズイ、と思ったのだが、でも歩くんならいいか、と思った。
だって歩くんは私が大好きで大切な人だから。
だから大丈夫。どんな歩くんだって受け入れる。
ただし、クッキーを捨てるのだけは見過ごせないけど。そのクッキーだっていつか克服させてみせるんだから。
私はもう一度だけ繋がった手をぶんぶんと振って楽しいのだという事を表現した。それが歩くんに伝わっていればいいな。
二人で過ごす一秒毎に好きが重なっていく。
「歩くん」
「何ですか?」
前を向いていた歩くんが呼び掛けに応じてこちらを向く前に私は背伸びする。
歩くんの頬にそっと唇を落とすと急いで離れて手を引っ張った。
「なっ!?」
「へへ。ほら、早く行こう!」
前を行く私の背に、大好きな声で名前を呼ばれる。だけど振り返らない。
私たちは二人でしっかりと前を向いて歩いて行こう。
〈了〉
→おまけ あります。