あまり眠れないまま仕事に行った。
「おはよう、って、え? どうしたの?」
「おはようございます」
心配そうに顔を近付ける彩葉に、貴女のせいだなんて言えなくて、何でもないです、と呟く。
「体調悪い? 急ぎの仕事ある? ないなら帰った方がいいんじゃない?」
何も言わないつもりだったのに、その言い方全てが僕の胸をちくりと刺す。ちょうど彩葉が手にしていた赤いペンが僕の目に入った途端に鮮烈な赤を蘇らせた。
「邪魔ですか?」
「え?」
「追い払いたいならそう言ってください」
「何言ってるの?」
駄目だ。言わなくていい事まで口が勝手に動いていて自分を抑制できない。
「すみません、顔洗ってきます」
「え、ちょっと!?」
静止の声さえ振り切って部署を出ると、トイレを目指す。
鏡に映る自分の顔を見て、サイアクだ、とこぼした。
水道の蛇口をひねり水を出すと両手で掬って顔を叩くように洗う。自分の嫌な部分を洗い流すかのように僕は何度も何度も水で顔を叩いた。
「さっきの言い方は駄目だったよな。猛省しろよ、お前」
そう鏡の中の自分に言い聞かせる。
きっと彩葉にも事情があるはず。それをちゃんと聞けばいい。
さっきだってただ純粋に心配してくれただけだと分かっているのに、あの女と重ねてしまったから悪かった。
勝手に決めつけるのはよくないと彩葉と元カレの件で学んだはずなのに、ちっとも進歩してない気がして自己嫌悪に陥りそうだ。
だけど、その前にやる事がある。
さっきの言い方が悪かったのを謝って、彩葉の話しを聞こう。
きっと何でもないことに違いない。僕がひねくれて考えるからいけないんだ。直さなきゃいけない。彩葉に愛想尽かされる前にきちんと直そうと決意して、僕は鏡の中の自分に強く頷いた。
トイレを出た所で、
心配そうな顔をした彩葉がこちらを見ていた。
「ねえ、大丈夫? 熱とかない? 気分は悪くない?」
そう聞く彼女の顔の方がよっぽど顔色悪く見えるほどで、心配させている事がよく分かって胸が痛む。
「すみません。体調の方は大丈夫です」
「体調の方
僕の言い方を耳聡く聞いた彩葉はどういう意味かと突いてくる。
「彩葉に聞きたい事があって……。だからお昼休みか仕事終わりでもいいので僕に時間をください」
「聞きたい事? 仕事終わりは難しいんだよね……。だからお昼にする? 何なら今でも大丈夫だよ?」
仕事終わりは難しい、という言葉にまた胸がぎゅうと潰されそうになる。だが、ここで負けてはいけないと、お昼休みの時間を貰う事にした。
「うん、それじゃお昼ね。だけどもし本当に体調悪くなったら無理しないでね? 心配だよ」
そう心配そうにする彩葉の顔は会社の先輩というより、恋人の顔だった。それに僕は少しだけ安堵して午前の仕事を片付けた。