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3.彼女ではありません

「ごゆっくりどうぞ」


目の前に置かれたアイスコーヒーにストローをさし、ズズっと啜る。


「で、どういうことか説明してくれる?」


カフェに入った私たちは窓際の席ではなく、敢えて奥の壁際の席に座っている。


「そう怖い顔しないでくださいよ。眉間に皺ができますよ?」


誰のせいだ、と思いつつ、そらされた話を元に戻す。


「だからさっきのひとは松岡くんの彼女じゃないの?」

「違いますよ。あれは僕のです」

「えっっ、お姉さん!? あ、そうかお姉さんか……。仲良いんだね」

「そうですね。一緒に買い物するくらいには……」


そう言って松岡くんはぼんやりと遠くを見る。心なしかテンションも落ちたように見えるのは気のせいだろうか。


「でも助かりました。ありがとうございます」

「いや、待って、それってどうなの? お姉さんには嘘付いたことになるよね?」

「……そうですね。でもその嘘で友梨――姉は安心してくれたと思うんです。人のためになる嘘は時として必要だと思いませんか?」

「そりゃ、まあ、人のためになるならね……。え、どういうこと? お姉さんを安心させたいって言うことは、心配掛けてたってこと?」


すると松岡くんは一度ため息を吐いて、コーヒーのストローに口を付けた。


私は何かを言いかけようと口を開くのだが、またお節介だと説教だと言われそうな予感がしたため、一度口を真一文字に引き結ぶ。

しばらくの沈黙のあと、松岡くんがぽつりぽつりと話し出す。


「姉、結婚するんですよ」

「そうなの! おめでとう……って松岡くんに言うのは違うか。えっとそれで結婚するから松岡くんに恋人がいるって安心させたいってこと?」

「まあ、そうですね。姉は結婚したらアメリカに行くんですよ。行くって決まってから僕のこと心配するようになって。彼女でもできたら少しは落ち着いてくれるのかな、って思って。それで月見里さんの顔見たらこの間の蕎麦屋でのこと思い出したんですよね……」


松岡くんは手元に落としていた視線を私に合わせると、すみません、とこぼした。


松岡くんはお姉さんの事が大好きなんだな、と心が温かくなる。そうだったのか、と簡単な私はさっきの出来事に納得してしまった。


「ううん、いいよ。お姉さんアメリカに行くと寂しくなるね」


私がそう言うと、松岡くんは、そうですね、と寂し気に笑う。それからコーヒーを半分飲むと空気を変えるように口を開いた。


「そういえば月見里さん今日は、何か予定があったんですか?」


話題を変える松岡くんに、私は「ぶらぶらして映画でも観ようかなって」と答える。


「じゃあ映画に行きましょう」

「え? え、二人で?」

「そうですよ。姉についた嘘への賄賂です。月見里さんは共犯ですからね。さ、これ飲んだら行きましょうか」


共犯って、そんな……。言い方がヤダ。お詫びくらいに言って欲しい。


最近、松岡くんに振り回されてばかりだと思う。

でもそれが何故か嫌じゃない。私ってMだっただろうかと本気で悩みそうで、ははっ、と乾いた笑いが漏れた。



「いつまで泣いてるんですか?」

「だって……感動、……したん、だ……もん」


蔑んだように私を見下ろす松岡くんだが、目元にハンカチを当てよろける私の腕を取って支えてくれる。


「ありがとう」

「転けたら他の人の迷惑になりますから」


言い方はぶっきらぼうで可愛くないけど、それでも映画館を出るまではちゃんと支えてくれていた。


会社での評価通り、素でも優しい人なんだ松岡くんは。ただ、素は少しぶっきらぼうな感じになる。

その素を私の前で見せてくれていると言う事がどこかくすぐったい。少しは信頼されているのだろうかと、思ってしまう。もしかしたら都合のいい勘違いかもしれないのだけど。


「さ、次はどうします? 少し早いけどご飯食べに行きますか?」


時計を見ると17時半を過ぎた所。


……ふと我に返って首を横に振る。いやいや普通に受け入れそうになったけど、松岡くんと二人でご飯を食べに行くっ!?


「どういうこと?」


目を見開いて、高い位置にある松岡くんの瞳を見上げた。そこには、きょとんとした美しい瞳が……。じゃなくて、


「なんで?」

「なんでって、お腹空いたから。月見里さんはお腹空いてませんか?」

「いや、空いたけど、そうじゃなくて……」

「近くにイタリアンのお店がありますよ。それとも和食がいいですか? ああ、残念ですが、会社裏のあの蕎麦屋は平日の昼間しか開いてませんよ」


そう言う松岡くんはイタズラをする悪ガキみたいな顔だった。


「いいよ。ご飯なんて。共犯なのも、ちゃんと納得したから、もう解散にしよ?」


私は眉間に皺が寄るのも構わずに眉に力を入れている。別にご飯くらい一緒に行ってもいいという気持ちもあるが、カフェに行って映画に行ってそれからご飯……なんて、デートでもあるまいし、本当の恋人同士でもないのにと、これ以上一緒にいる事を拒否したかった。


「やっぱりいいですね、月見里さん。普通の女の子なら僕が誘ったら喜んでついて来ますよ」

「はあ?」


普通の女じゃなくて悪かったわね、と頬が引きつる。


「ご飯は諦めます。でも僕の彼女になってください」

「は?」


開いた口が塞がらない。しばらくその間抜け面を松岡くんの前に晒していた。その顔を見てもなお、松岡くんはもう一度、彼女になって、と私の耳元で囁いた。


「姉からメッセージが来てたんですよ。今度彼女を誘って、みなとくんも一緒に四人でご飯食べようね、って。ほら」


そう言って嘘じゃないとでもいうようにスマホを見せられる。開かれたメッセージには、同じような内容が書かれていた。


「湊くんて言うのは、もしかしてお姉さんの彼氏?」

「はい。婚約者です」


そう言ってまた松岡くんの顔が翳るのだが、その理由は分からない。もしかしたらお姉さんが結婚するのが寂しいの?


「だけど月見里さんが行かないって言ったら姉は悲しむだろうな〜」

「そうやって言うのズルいでしょ!」

「じゃあ姉を悲しませておきますね」

「もうっ、行けばいいんでしょ、行けば!」

「はい。ありがとうございます」


にこりと笑う松岡くんに、もう〜、と息を大きく吐き出した。自分のお人好しにもいい加減うんざりしてしまう。

でも、まあ協力してあげるくらいいいか、……と思う自分に大きく溜め息をついた。


「ねえ、それっていつ頃の予定?」

「あー、……確認しておきます。分かり次第お伝えしますよ、会社で」

「えっ、社内ではやめようよ、……ほら、私の連絡先教えるからそれにメッセージして?」

「はい、いいですよ」


そして私たちはお互いの連絡先を交換した。







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