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#04




「……なんかさぁ、庵ちゃんと先生ってエッチだよね」


「隆二、君の頭はいつまで経っても狂っているな」


 ご褒美に貰ったニッキ飴のおかげで煙草が吸えない私はいつにも増して不機嫌だった。後部座席を一瞥すると、今にも天国に行ってしまいそうな男がぐったりと寝そべっているのが見える。腹は血に染まっており目元は痛々しく腫れ上がっていた。生きているのが驚きだ。なにを思いその命に縋る? 死んじまったほうが楽だろうに。そんなことを思いながら助手席に戻り前を向く。


手の平には皮膚を捲り体内を弄ったあの独特の感触がいまだに残っている。皮膚とビニールが血液によって、ぬるり、ぬちゃり、滑るあの感覚だ。ヤクを取り出すときの皮膚にビニールが引っ掛かるあの感触。すべてを覚えている。それは経験値となり私の血肉になる。


「だってさぁ、庵ちゃん、まじで先生のこと大事なんだなって感じだったよ。あの庵ちゃんだよ? あの庵ちゃんが女の頼み事を聞いたんだよ。……ってか、あの庵ちゃんにストップかけられるあんたもあんただけど」


「庵ちゃんのことを知っているなら私の頼みなど庵ちゃんにとって取るに足らないことだってわかるだろ?」


「……んー、そんなもんかねぇ」


 隆二は納得していないように首を傾げた。


「聞かぬが花だと思うが、あの解体された肉は次にどこでどうなる?」


 私は無理やりに話を変えた。いつも私はここ止まりだ。人の皮膚を触り治すか壊すかのどちらかを行うことしかなく、最後の工程を知らない。私が壊した人間の肉はどこでどうなる? どこでどうなったら世の中から忽然と人を消せる? 解体して細切れになった肉は一体どうなるんだ。


「食べるんだよ」


「……」


「う・そ」


 へらり、笑った隆二。今すぐにそのセンタータンを裂いてやる。私は隆二を睨みつける。


「自分で言っているんだからそうしなよ、せんせ。聞かぬが花だよ。女がヤクザの後処理を知ってどうする?」


 ヤクザは男社会だ。その男社会に紺野が無理を言って私を闇医者に捻じ込んだと噂で聞いている。紺野が目を掛け育て上げた闇医者として、私はヤクザという裏社会に身を置いていた。


 隆二は私を女だからという理由で切り捨て、ここから先はおまえの立ち入る場所ではないと暗に言う。


「……シャワーしたい」


「え? 奇遇ー、俺と入るぅ?」


「君はホントに……」


「だってさぁ、庵ちゃんが目を掛けた人間に手をつけるのサイコーに面白くない?」


 にへら、となにを考えているのか理解ができない笑みがこちらを向く。微かに赤髪に混じる鮮血。赤色の髪の毛でも血が飛んでいるのがわかる。


 真夜中の作業を終え、帰りは太陽を拝む。都内随一と呼ばれる歓楽街は太陽が出ていたとしてもこんがらがっていた。静寂を感じさせるが本質的に夜となんら変わらない。イミテーションのネオンが消えただけだ。


「紺野に殺されろ」


「……殺されるなら紺野さんがいいよ」


 庵ちゃんと呼ばないそれに実直なリスペクトが込められているように感じられた。




***




 夥しい血液を携え、私たちは自宅に戻った。酷く咽せる匂いだが、窓を開けることはできない。血の香りが漂い一般人に勘付かれては困る。まぁ、この一戸建て住宅にヤクザが出入りしていることは近隣住民なら誰もが知っているだろうけれど。


「ベッドここでいい〜?」


「ん、ありがと、隆二」


 瀕死の男を抱え、隆二が部屋に入ってくる。靴が脱げなかったのか土足で入ってくるから私は眉根に皺を寄せてしまう。まぁ、仕方がない。大目に見てやろう。隆二の手で診察台に寝かせられた男はか細い呻き声を上げる。隆二は男の傷に指を這わす。「相変わらず綺麗な縫い方だねぇ。前任なんてくそだったよ」と呟いた。その言葉に私はふ、っと小さく笑う。風の便りで聞いたことがある。前任者はミスを犯し危うく組長を殺してしまうところだったらしく、その噂によると沈められたらしい。


「……じゃ、あとは仲良くおふたりさんで」


 にやけながら意味深な言葉を吐く隆二。私は部屋から出ていく彼の背中を見つめる。


「シャワーはいいのか?」


「先生と入れなきゃ意味なくない?」


「……物好きだな」


「それに俺はただの使いっ走りだからねぇ。さっきの場所に戻らないと」


 煌びやかに赤髪をかきあげる隆二。彼はまだ若い。私より二歳か三歳年下だが若いことを忘れ頼ってしまうなにかがある。紺野のお気に入りなだけあった。隆二は私の身の上話を聞きたがっているが自らの話はしない。ヤクザの世界に足を踏み入れた者の話など種類はさまざまだろうが、ろくなものではないと誰もが知っている。誰もが脛に傷を持った半端者。どういう人生を歩んでこようがここでは関係ない。この世界でどう立ち回るか、どう生きていくか、そのほうが重要だ。


「ご苦労なことだ」


「じゃぁ、また来るねぇ」


「隆二」


 私は去ろうとする彼を呼び止め、懐から取り出した飴を投げつける。こん、っと頭に当たった飴に隆二は驚きながらも手の中に入れた。


「これだからせんせのこと大好きなんだ」


「……腹の傷開くなよ」


「はぁい。先生大好きー」


 子ども舌の隆二に渡したのは苺の飴。紺野は隆二を気に入っているが味の好みは把握していないらしい。知っていて知らないふりをするのが紺野なのかもしれないが。隆二は私に投げキスをして消えていく。


「……く、狂って、る」


「ん?」


 途切れ途切れの言葉が落ちた。振り向けばベッドに寝ていた男が薄っすらと目を開けていた。生に強欲だ。嫌いじゃない。


「…な、なぜ、た、たす……けた…」


「裏社会に住まうとわかる。なにかひとつでもお気に入りの人形が欲しくなるとね」


「…ころ、せ………」


 私は男が寝そべる診察台に近付く。つぷり、縫合した傷口に指を差し込む。


「あ゛…」


「君の命は私の物だ」


 縫合した黒い糸の間から赤がぬぷり、顔を出す。たらり、腹から出た鮮赤は重力を纏い、一直線に男の腰骨の方に向かっていく。診察台を汚した。


 男は私を一瞥し、諦めたように目線を逸らした。裏社会での主従関係はその命をどちらが掌握しているかで成り立つ。そこに一切情などないのだ。紺野が私を飼っているのと同様に。


 私は紺野が無駄にするなと言った麻酔を鞄から取り出し、男に与えた。こいつなら麻酔など要らないようにも思えるが紺野から奪った命だ。息絶えられては困る。


「君、名前は?」


「い、……いお、り」


「どういう字を書くか知らないが改名したほうがいいな。いおりちゃんは二人も要らない」


 麻酔が回り始めた体。森の中で縫合した糸を抜き取り、再度清潔な糸で縫い直す。灰皿を男のがっしりした太腿に置き、灰を落としながら作業を行う。タールが私の肺に死を突き立てる。怠惰に煙草を咥えながら作業をする私を男は一心に見つめていた。


 端麗な男だ。メスを腹に挿入するまえ、ビニールシートに寝かせたこの男は今と同じように私を真剣な瞳で見つめていた。肝が据わった男の腹にメスをぬぷり、沈めると男はなにも叫ばず息を吐いた。柔い腹から血がとめどなくあふれても男はなにも声を上げなかった。毅然としたその姿が今でも脳裏に浮かぶ。


「…だれ、に忠誠を、誓えば……いい? 俺を、殴ったお、とこか?」


「聞いていなかったのか? 君の命は私の物だ。だからその類の感情は私に向けろ」


「…、お、んななんか、に……」


 私は縫合を終わらせ、ぱちんと糸を切る。数日間安静にしてれば傷は自然と閉じる。こいつが安静にしているのかは謎だがな。


「ま、そう思うかは君次第だが、もう後には戻れないんだ。私から離れるなら死ぬ覚悟を持ったほうがいい」


「……いつ、しんで、もいい」


「本当か?」


 私はけらけらと男を笑う。いつ死んでもいい腹積りなら君は運が悪い。


 私は次に紺野が殴った顔に触れる。鼻が曲がり、唇が切れ、瞼は腫れ上がっていた。端麗さの欠片もない。


「…あ、んた、の名は、?」


「めい」


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