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第31話 助けを呼ぶ声なき叫びと焦燥感

 午後9時。辺りは真っ暗で歩いている人はいなかった。

ぼんやりと光る電灯に愛香がいた。

全く知らない人に体を両腕でつかまれて、動けなくなった。

頭の先から下まで真っ黒な服をまとっている。

黒のマスクをつけて、するどい目をしていた。

口を手で覆われている。

恐怖のあまりに声も出ない。

逃げなくてはいけないと思っても、逃げられない。

危険なことは分かっても恐怖で体が震える。

怖い。怖すぎて動けない。何をされるのだろうか。

直径2mのライトの辺り場所で愛香は黒い男性に体をつかまれて、横に抱きかかえられた。


手を伸ばして助けを呼びたかったが、怖すぎて声が出ない。

誰も乗っていない千晃先生の車に手を伸ばす。


(千晃先生!!!!)


 思いだけ車に飛ばした。届かないと分かっていても、必死でもがいた。

 黒い男性は、愛香を抱きかかえて走っていく。

 どこに連れていくのかわからない。

 スマホを自宅から持ってくるのを忘れている。今頃思い出した。

 知らない誰かに誘拐されている。

 何をされるのか。もう現実を見たくない。

 気を失った。


 スナックのあじさいで仮眠を取っていた千晃はㇵッと目が覚めた。

 時刻は午前0時。

 まだお酒は抜けてないと感じる。頭をぼりぼりとかいて、窓の外を見ると下弦の月が輝いていた。


「あ、起きたの?」

「……ああ。ママ。ごめん、代行呼んで。やっぱ帰るわ」

「泊っていけばいいのに……」

「ちょっと気になるからさ」

「ふーん。わかった。ちょっと待ってて」

 体をゆっくりと起こして、ポケットに電子タバコが無くなっていることに気づく。

 車のダッシュボードにストックを入れていたはずと、おもむろにお店の外の駐車場にとめていた軽自動車のドアを開けた。

 ふと、辺りを見渡すと、ぼんやりと街灯が見えた。

 街灯の下には、一つのクロックスのサンダルが落ちていた。

 こんなところになんで白いクロックスが落ちているんだろうと不思議に思う。

 確か、愛香も同じクロックスだった気がすると思い出した。

 千晃は、ざわざわと胸騒ぎをした。

 慌てて、スナックあじさいのお店に戻る。

 固定電話から代行を呼び終えたママが受話器を戻す。


「千晃ちゃん。今代行呼んだよ。あと10分くらいで着くみたい」

「う、うん。ママ、愛香ってここに来たの?」

「え?……ああ。うん。何時くらいかな。確か9時くらいにここにいたのよ。あなたを探しに来たって言ってたけど、寝てたから。いないわって言っておいたの。千晃ちゃんも愛香ちゃんのこと、今は忘れたいって言ってたでしょう」

「そういうの聞いてない。いつ? 何時頃ここ出たの?」

「ちょっと話してすぐ帰ったわ。私がやめた方がいいって言ったら怒ってたから……9時すぎかしら?」

「……なんで愛香のサンダルが外に落ちてるんだ?」

 千晃はママに落ちていた片っぽのサンダルを見せた。ママは目を見開いて驚いた。


「え? なんで片方だけ?」

「夜道だから襲われたんじゃないか?」

「確かに……不審者が最近出てるって地元のニュースで言ってたわ。独身女性狙うって。まさか、それに巻き込まれた?」

「そ、それだ。愛香!」


 血相を変えて、千晃は外に飛び出した。どこにいるかなんて検討もつかない。無我夢中で走り出す。

 あじさいスナックのママは、やめておきなさいという前に駆け出す晃を見て、とめようがなかった。

 心はもう止められない。本当の想いは愛香なんだと勘づいた。


 近所の大きな公園のベンチに黒い服の男性は愛香を連れ出した。まさか、声を失うくらいの出来事が起きるなんて愛香は思わなかった。汗をかいて走り出す千晃は、愛香にいますぐ謝りたかった。優柔不断な自分にまきこんで謝罪をしたい。きちんと見守ってあげなくてはいけない。真摯に向き合わなくてはいけないと反省の言葉ばかりが頭を駆け巡る。サンダルを見つけてからまっすぐに駆け出して、愛香を探し続けた。


 遠くでは真夜中に救急車のサイレンが鳴り響いていた。





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