◆◇◆◇◆
「お客さん、少ないですね」
「そうなんだよ。海沢くん。最近、映えるカフェができたらしくて。といっても、元からここには人があまり来ないんだけどね。立地も悪いし」
ガラリとした店内を見て、店長の田代さんはため息をついた。
遅れるといって連絡を入れたバイト先には、ちょうど時間通りつくことができたのだが、バイト先であるカフェに着くなりげっそりした様子で田代さんが今のように「客が来ない」と泣いていた。このカフェは、自営業で開店当時は路地裏絶品カフェと取り上げられて賑わいを見せていたのだが、最近表通りの方に新しいカフェができたらしく、そっちへ人が流れていってしまったのだ。表通りは、駅に行くための道でもある為賑わいと競争率が高く、何度も店が変わっているのを見てきた。
人が入らなくなったとは言え、何とかこのカフェは経営を続けていた。だが、田代さん曰く赤字らしくて店を閉めるか閉めないかで悩んでいる最中でもあるらしい。
「僕、頑張るんで。もう少し田代さんも頑張ってみましょう」
「海沢くぅん……」
僕の言葉を受けて、田代さんは涙目になりながら抱きついてきた。僕より十個上の男性に泣きつかれているという状況に苦笑いしつつも、先ほどの言葉に嘘はないと、僕は田代さんに言った。
高卒の僕を雇ってくれて、正規社員にしてくれるとまでいった田代さんに心から感謝しているし、若くして自営業でここまでやってきた田代さんの事を尊敬している。それでも、正規社員の申し出にはい。と返事ができないのはやはり奇病のせいだろうか。発覚したのはこの夏から秋にかけてのことだったのだが、高卒だしという自分の中のコンプレックスに打ち勝てずに未だバイトのままである。
「バイト代も払えなくて、もうバイトを雇えないし。はあ……本当に、このまま店を閉じるしかないのか」
田代さんはそうブツブツと何度も繰り返していた。
初めてのバイトの場所であり、それまで継続して何かをやってくることができなかった僕がここまで続けられた仕事でもあるため、そう簡単に店を閉められては困るとも思った。思い入れもあるし、何よりここのシフォンケーキが大好きだった。紅茶ともコーヒーとも合う甘さ控えめの生地と、特製の生クリーム。その絶妙なバランスが僕は大好きだった。田代さんに教えてもらいながらシフォンケーキを焼くようにはなったが、まだまだ彼には追いつけない。
「僕、田代さんのシフォンケーキ好きですよ」
と、僕が言えば田代さんは少しだけ顔を上げて嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう。海沢くん。あれはね、俺の自慢のお菓子なんだ。妻が美味しいって言って食べてくれて……」
そこまで言った田代さんは急に顔を暗くした。
いけない、地雷を踏んでしまった。と思ったが、もうその時には遅く、田代さんは机に伏してしまった。
「まあ、その妻も先月なくなっちゃったんだけどね……」
「田代さん……すみません」
「気にしないで。別に、海沢くんが悪いわけじゃないし、僕の稼ぎもあれだし、無理させていたのもあるし」
そうだんだんとネガティブになっていく田代さんを見て、本当に申し訳ない気持ちで一杯になった。
田代さんは若くしてこのカフェの営業を始め、当時は夫婦でカフェを営んでいたのだが、先月その奥さんは心筋梗塞で亡くなってしまった。突然のことで、田代さんは数週間カフェを閉じていて、その間連絡を取ることも、僕からいれることもなかったが、その数週間後には何事もなかったかのように仕事を再開した。それでも、彼の顔に悲しみの色が見えたし、未だに奥さんの死に囚われていることが見て分かった。
何か力になれないかと考えたけれど、その人にしか失った痛みというのは分からないから下手なことは言えないと思った。
例え、自分が同じような経験をしていたとしても、それとはまた別物だから。
「うーん、今日は早いとこ店閉じちゃおっかな。あ、バイト代はちゃんと払うからね」
「無理しなくて良いですよ。別に食べていけているので」
「そうはいっても、雇用者としてちゃんと労働者にお金を払うのは社会のルールだからね」
田代さんは、ゆっくりと顔を上げて潰れた笑みを僕に向けた。僕もつられて笑う。
そうして、田代さんは本気で今日は閉店するらしく戸締まりにいこうと腰を上げる。僕も、せめて掃除はして帰ろうとモップを取りに行こうとしたとき、カランコロンと古びた店のベルが鳴った。
「ほんと、雰囲気ある!」
「でしょ、ここのシフォンケーキ美味しいんだよ」
「何処情報?」
「いとこが言ってた」
「実際いったわけじゃなかったの?」
と、元気な女の子達の声が聞え、店に三人の女子高校生と思われる少女達が入ってきた。彼女たちは入ってくるなり、店に人がいないのを確認すると「恥ずかしい」と顔を赤くした。
「いらっしゃいませ。三名様ですか」
「は、はい。三名です!」
真ん中にいた少女が固まりながらも三名です。と両脇にいた二人を見ていった。田代さんは営業時のスマイルを向けて、お好きな席へどうぞ。と案内する。
少女達はどの席にするー何て会話をしつつ、店の一番奥の席に座った。あそこは他の席よりも広いし、他の客がいないならあそこの席に座るのがベストだろうと、僕は思いつつ、カウンターも良いのにとも思った。以前は、カウンター席に座ってよくお客さんと会話をしたものだ。と繁盛していた頃のことを思い出す。今では、常連客のおばあさんもここに来るのが大変になったのか、滅多に見ていない。
少女達は机の上に立ててあったメニュー表を開いてどれにする? と顔をつきあわせながら悩んでいるようだった。その様子を見ながら、僕はいつ呼ばれてもいけるように準備をしていた。バイトを始めた頃は、会話も下手でろくに接客もできず、何度も注文を聞き返したものだ。それも、今では慣れて、メニューの全てを暗記している。田代さんは、厨房へと行き少女達の注文を僕と同じく待っているようだった。
「店員さんすみませーん」
と、先ほどの真ん中にいたツインテールが可愛い女の子が手を挙げて注文をと僕を呼ぶ。僕は、パタパタと靴を慣らしつつ少女達の元へ向かう。
「ご注文はおきまりでしょうか」
僕も営業スマイルを浮べ、彼女たちに優しく喋りかける。勿論、この笑顔も最初はぎこちなかった。でも、お客さんは神様という言葉があるように、真剣に接しようと心がけたら、自然と笑顔が作れるようになった。
初めに注文をと口を開いたのはツインテールの少女ではなく、ショートヘアの少女で、彼女はコーヒー二つとシフォンケーキ三つ。と三人分の注文をしていた。
「幸は、飲み物どうするんだっけ?」
「私は、オレンジジュース!」
「うわー子供―」
と、ショートヘアの少女は小馬鹿にするようにニマニマと幸と呼ばれたツインテールの少女を見る。
ツインテールの少女は、少し頬を膨らましつつ「コーヒー飲めないもん」と口を尖らせた。
僕は、あのシフォンケーキにはコーヒーか紅茶が合うことをここで働いてから発見したため、コーヒーが飲めないなら紅茶はどうかと勧めたくなってしまった。
「当店のシフォンケーキには、コーヒーも合いますが、紅茶も合うんですよ。いかがですか?」
思わず、口から先ほど考えていたことが漏れてしまい、僕はハッとした。少女達は、驚いたように僕を見つめており、僕は何か言わなければならない雰囲気を察し、何て弁解すれば良いか考えた。
彼女が何を飲むか悩んでいたのなら、紅茶を勧めたとしても可笑しくはないのだが、既にオレンジジュースと決めていたのに余計なことをいってしまったと、僕は先ほどの言葉を撤回したいと思った。すぐ思った事が口に出る癖は小さい頃から変わらない。
少女二人は「だってさ」とツインテールの少女に話を振ったが、当の本人は何かにとりつかれたように動かなかった。どうしたのだろうかと、僕も気になって二人と同じように顔を覗こうかと思ったとき、バンッといきなり両手で机を叩き立ち上がった彼女は、ツインテールが激しく横に広がったと同時に僕の手を掴んだ。
「お兄さん、格好いいです。私と付合って下さい」