商業区の混雑する喧騒の中を、姫さんを連れ立って歩く。彼女は右腕に抱きついて、手を握って軽めに寄りかかっている。
そうでもしなければ、あっという間に小さな彼女では、人混みに埋もれてしまう。
「約得ですねぇ……うへへへへ」
「ああ、柔っこくて約得だな」
姫さんは、大胆なようで恥ずかしがり屋だ。
素直に感触を口にすると、肘の辺りに顔を伏せられた。顔を見せたく無いのだろう。
頭巾に隠れているので、周囲からも完全に顔は見えない。体格差ですれ違う人々には、仲の良い親子に見えるかも知れないな。
店を出てそう歩かない内に、外回りにでていた彼を見つけた。
少し背の低い俺の頭2つ半は大きい。人混みの中でも目立ち、のっそりと硬い表情で歩いている。空いている右手を軽く上げて挨拶すると、彼は立ち止まってくれた。
「用事は済んだか?」
「ああ」
「……どうも、近隣のゴブリン退治に行きますが、お忙しいなら、ガベラに帰ってくれても良いんですよ?」
「行くぞ」
顔を上げて、貼り付けたような笑顔の姫さんをバッサリ無視して、表情筋1つ動かさず、クリスはゴブリン退治への同行を了承してくれた。
「…………テツメンピ」
「5年物」
「むぅー!」
姫さんが堪えきれずキレた。デカブツ、ムクチ、テツメンピと言いながら、若干涙目でクリスに喰ってかかっている。
彼はそよ風でも受けるように、姫さんの下手な罵倒を、微動だにせず聞き流していた。
5年物。姫さんがアックス・フィッター、通称フィッターの試験に落ち続けた年間数だ。今ではすっかり彼女にとって、怒らせてしまう禁句になった。
犬猿の仲というよりは、姫さんが何故か一方的にクリスを嫌っている。心底嫌っているわけじゃないようだが、彼に対しては遠慮なく文句を言う。
少しだけ、それが羨ましい。
「はい、そこまでだ。回りにも迷惑だぞ」
道行く人々は彼女の剣幕を見て、驚くよりも口元を押さえて去っていく。微笑ましい喧嘩で、犬だって食わず笑うのだろう。
「はぁ…………、足は引っ張らないで下さいよ!」
プンスカと怒って、姫さんが先に行ってしまう。ピクリとも微動だにしないクリスに苦笑して、共に後を追った。
宿舎で準備を整え、新品の部品のせいで遅れた
クリスと合流し、フリッグスの街を出た。
春陽気だ。風が心地良い。春特有の麗らかな弾むような風だ。
景色にも決して優しさや、暖かさだけでない。暴虐なまでに旺盛な、生命の息吹きを感じる。
人混みから開放されたからか、姫さんが深い頭巾を持ち上げて、素顔を晒して深呼吸を始めた。
長い耳がゆさりと艶かしく、耳飾りと共に溢れ出てきた。上頬の淡い朱色と、大きめの瞳。細長く美しい柳眉も、妖しく蠱惑的だ。
あいも変わらず、横顔を見ているだけで畏れ多い御尊顔だ。造形が整い過ぎて、凄まじく不安にすらなってくる。
「お花、きれいですね!」
「ああ、キレイだな……本当に、キレイだ」
「いや、なんでこっちを……ちょ、止めて下さい……」
種族がフェアリスである姫さんには、花はただ単にキレイにしか感じなかったらしい。彼女たちは外見を「外せない最高位の宝石を、生涯呪われるように身につけ続ける種族」とまで謳われる。そのせいかな。
少し、イジワルがしたくて、姫さんを見つめながら、何度もキレイだと言ってみた。
彼女は恥ずかしそうに、ローブの裾を両手で握ってもじもじし始めた。
「もう! なんなんですか!?」
「悪い、本心だ」
「冗談でなく!? ……グリン、呼んじゃいますからね?」
本気で嫌がっている訳では無いのだろう。彼女は口の端が笑っていた。
姫さんは適当に草が生えていて、土が多く無くなっても問題なさそうな場所に、カバンから取り出した蹄の欠片を土の中に埋め込んだ。
妖精の姫が。風に揺れる紅花のような唇で、呪文を世界にささやいた。
「毛並み麗し蹄の御霊、その健脚にて群れをなせ」
姫さんの呪文を受けて、馬のいななきが聞こえたかと思うと、土がひとりでに草と絡み合う。3度まばたく間に、土と草で出来た馬が立っていた。
「いつみても見事な物だな。本当に……」
「うむ」
「あたしとグリンで、あたしは優秀な招霊術師ですからねっ、えっへん」
「よろしくな。グリン」
手を差し出しても、片足を交互に上げて威嚇された。どうやら姫さんをキレイだとイジっていた事を抗議しているようだ。
姫さんはグリンと額と額を、愛おしそうに鏡合わせした。敬意に溢れた搭乗前の儀式だ。彼女は抜き指の長手袋に包まれた手で、草で編まれた手綱を掴み、石の鐙あぶみを登り。草藁の馬鞍に軽やかに飛び乗った。
「じゃ、出発だ。後ろは頼んだぞ、クリス」
「心得た」
「遅れないで下さいよー」
街道を外れて、真っ平らな台地や、斜めになだらかに下がる丘を越え、岩壁と木々に囲まれた道を進む。依頼書に記載されていた狩猟小屋が、踏み均された草道の向こうに見える。
その奥には、割れた岩間に狭い道の明光が漏れている。
遠目に狩猟小屋の周囲にも、ゴブリンたちが確認できる。ニンゲンの半分ほどの身長。短いキバ。イボのような肌。間違いない。数は10以下。……妙に、少ないな。
俺はロング・ソードを抜き放って、両手で構えた。
「いました!」
「ああ、仕掛けるぞ!」
「……!」
向こうも気づいて、武器を手に持って構えた。掠れたような怒号が響く。正眼からわずかに切っ先を落とし、剣を両手で抱えるように、全力でクリスと駆け出す。
歩幅の差でクリスが前に出る。彼は2、3匹巻き込んで、大盾で吹っ飛ばした。
「ふっ……!」
「ゲァッ…!?」
俺も追撃で間合いに入り、ロング・ソードで相手の粗末な斧を下から磨り上げ、そのままバッサリと一撃。ゴブリンの肩ごと腕を両断した。
残心を怠らず、2歩大きく跳び離れる。ゴブリンは痛みに耐えられず、気絶した。
間髪入れずに5匹が俺とクリスに襲いかかってくる。互いに目配せもなくクリスは大盾を横に薙ぎ、俺は彼と背中合わせで同時に、左手のガントレッドで刃先を握り込んで、そのまま警棒のように、勢いよく回して叩きつけた。
「「んんっ……!」」
「ヴェギャア!!?」
粗末な棍棒や、折れた剣で襲いかかったゴブリン達は、吹っ飛びながら地面を転がって、ぐったりと動かなくなった。
「姫!」
「わかってます! 逃がしません!!」
クリスの声に、グリンに乗った姫さんが回り込む。ゴブリンは割れた岩間に逃げ込もうとしたが、姫さんの方が早く、長めのロング・ソードでしなやかに低く切り裂いた。
「ゲェ……、……っ……!」
「………え?」
「は?」
奇妙な事が起こった。
腰の当たりを後ろから切り裂かれたゴブリンは、たたらこそ踏んだが、すぐに体勢を立て直して、俺たちが呆気に取られている間に、必死に走り去ってしまった。
まるで、傷など初めから、無かったかのように。