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171話:キュッリッキの決断

「ね、フェンリル、毎日ご飯が食べられて、ベッドがあって、お風呂があって、幸せだね」


 一人用のソファに座るキュッリッキの膝の上に寝そべるフェンリルは、水色の瞳をキュッリッキに向ける。

 このソファは元々ベルトルドの私室にあったもので、ベルトルドが生前勝手に持ち込んで置いていったものだ。ベルトルドのお気に入りである。

 微かに残るベルトルドの残り香に縋るように、このところキュッリッキはこのソファによく座っている。痩身で小柄なキュッリッキには、多少大きすぎた。


「実入りのイイ仕事は中々貰えなかったから、やりくりが大変だったよね。ハーツイーズのアパートに住めるようになってから、どうにか生活も落ち着いたけど」

「貧乏状態は、あまり変わらなかったがな」

「うん。ベルトルドさんと出会って、ライオン傭兵団と出会って、衣食住に困らなくなったかな」

「生活面が充実して憂いも減って、キュッリッキの笑顔が増えた」

「そう?」

「メルヴィンに恋までした」


 どこか不機嫌そうにフェンリルは吐き捨てた。

 恋をしてから驚く程心の成長を見せたキュッリッキ。好ましいことではあるが、恋をすると女の子はあんなにも夢中になるのだろうかと、フェンリルは内心驚きの連続だった。


「ベルトルドとアルカネットと一緒にいるときは、親に甘える子供のような表情かおになっていた」


 そっかな、とキュッリッキは小さく笑う。

 甘えるのが下手だったが、素直に甘えることが出来た2人。


「アタシのこと取り合って、喧嘩して…。でもアタシは、それがとても嬉しかったし、幸せに思ってたの。あんなふうにアタシを愛してくれて、大切にしてくれた」


 慈しみ、愛おしみ、そして最悪な形で裏切られた。それなのに誰にも成し得なかった、最高のプレゼントをしてくれたのだ。

 ずっと失っていた片方の翼を、取り戻してくれた。

 今のキュッリッキの心は、2人を失った悲しみではち切れんばかりに膨らんでいる。

 心を蝕み続けていた片翼を取り戻し、毎日明るい笑みを浮かべるだろうとフェンリルは思っていた。それなのに、キュッリッキはずっと悲しみに暮れている。メルヴィンが常にそばにいるのに、それさえも凌駕するほどの悲しみに囚われていた。


「毎日安心した生活ができるのもベルトルドさんたちのおかげだし、メルヴィンに出会えたのもベルトルドさんたちのおかげ。……会いたい…、また、ギュッとして欲しい」


 もう何度零したか判らない大粒の涙が、フェンリルの小さな頭に落ちて弾けた。

「泣くな」とは言えない。

 これまでキュッリッキが流してきた涙は、自らの不幸な境遇によるものだけだった。大切な人を亡くして流す涙は初めてである。

 暫く泣き続けていたキュッリッキは、やがてぐすぐすと鼻をすすりながら顔を上げた。


「アタシね、決めたことがあるの。メルヴィンが戻ってきたら、話してみようと思う」

「あのことか?」

「うん」

「…そうか」



* * *



 ベルトルド達との壮絶な死闘の後、キュッリッキは自室に篭もりがちになった。

 あれほど意欲的だった勉強も休みがちで、ソファに座り込んだり、ベッドに寝転んでじっとしていることが多い。


(今にも消えてしまいそうだ…)


 ひんやりと心に滑り込んでくる不吉な予想。それを思うだけで心が急いた。

 あまり長く一人にしておけなくて、メルヴィンはキュッリッキの部屋に急いだ。


「リッキー」


 食堂に行っていたメルヴィンが戻ってきて、キュッリッキは起き上がった。


「おかえりなさい」


 元気のない様子で、キュッリッキは小さく笑んだ。

 メルヴィンはキュッリッキの傍らに腰を下ろす。そして優しくキュッリッキの肩に手を回し、そっと抱き寄せた。


「薄着で寒くありませんか? そろそろ冬に差し掛かってきましたし」

「大丈夫だよ。メルヴィンがこうしてくれてるから」


 キュッリッキはニッコリ笑って、メルヴィンの胸元に甘えるように頬をよせた。


「あのね、メルヴィン」

「なんですか?」

「アタシずっと考えてたんだけど……、あのね、アタシ、傭兵辞めようと思う」


 穏やかなキュッリッキの顔を見つめ、唐突な告白にメルヴィンは僅かに目を見開く。


「これまで食べるために傭兵を続けてきたのね。アタシ孤児だったし、修道院も抜け出してきちゃったし、食べ物を買うのにお金がいるから。だから、あの時の自分に出来ることをして、ずっとずっと傭兵をしてきたの。でもね、ベルトルドさんとアルカネットさんのおかげで今は大きなお家もあるし、お金もいっぱいある」


 メルヴィンとキュッリッキの為に残された莫大な遺産は、2人が必死に豪遊しても使い切るのは不可能な額である。

 キュッリッキを深く愛していたあの2人は、それなのにキュッリッキにとても酷い仕打ちをした。しかし、最後には誰にも真似のできない、最高のプレゼントでキュッリッキを救ってくれた。

 最大の心の傷であった、片翼を治してくれたのだ。

 今のキュッリッキの背には、大きさが違えどしっかりと両翼がある。

 長いこと苦しめられてきた心の傷が完治して、掴んだ幸せを心から喜べるはずだ。それなのにベルトルドとアルカネットの死は、再びキュッリッキの心に大きな悲しみを遺してしまったのだ。


「アタシ生きることに精一杯で、それだけだった。でも今は、傭兵しなくても食べていけるし、寝るところもある。メルヴィンがいるから独りじゃない。だから、傭兵を辞めて、今度は何かを見つけながら、そうして生きてみたい。お勉強もいっぱいいっぱいして、色んなこと知りたい」

「そうですね」


 当たり前のことを、当たり前のようにしてこられなかったキュッリッキ。でも今なら、やりたいことも、何でも自由に選択して生きていける。

 一度に色々なことが起こったキュッリッキは、悲しみの他にも、とても疲れてしまったのだということに、メルヴィンは気付いた。

 悲しみを癒すためにも、立ち直るためにも、今のキュッリッキには穏やかな時間が必要なのだ。

 おそらくカーティスの再建計画を聞いて、キュッリッキは決断したのだろう。


「カーティスさんには、オレから言っておきましょうか?」

「んーん、アタシが自分で言うね。自分で決めたことだから」

「そうですね、判りました」




 翌日キュッリッキはカーティスの部屋を訪れ、傭兵を辞めることを告げた。


「実は、辞めると思っていました」


 驚いて目を見開きながら、カーティスはとても残念そうに言った。


「あなたの重い過去の話を聞いていましたし、ベルトルド卿たちが死んで、どこか疲れた様子だったので」


 伊達にリーダーを務めてはいない。期間が短いとは言え、キュッリッキは大事な仲間だ。心の変化も表情からある程度は察していた。


「ベルトルドさんたちのおかげで、傭兵以外の選択も出来るようになったから。――あ、でもね、アタシの力が必要な時は、遠慮なく言ってね。お手伝いするから」

「ええ、そのときは是非お願いします」




 スモーキングルームに集められた皆は、カーティスからキュッリッキが傭兵と、ライオン傭兵団を辞めることが告げられた。

 いつもなら茶化して混ぜ返す面々が、グッと黙り込んでしまっていた。

 見つめてくる仲間たちの目を順番に見ながら、キュッリッキはか細い笑みを美しい顔に浮かべる。


「今はね、ちょっと疲れちゃったからのんびりしたいの。それで、新しい何かを見つけてみたいから、だから、傭兵は卒業しちゃうの」


 傭兵しながらでも見つけられるだろ、とは誰も言わなかった。

 皆自らが望んで傭兵になった。しかしキュッリッキだけは、やむを得ず傭兵をしてきた。だから、キュッリッキがどんな思いで決断を下したのかを思えば、それを尊重すべきだろう。


「来年は、メルヴィンのお嫁さんだもんね」


 そう言ってルーファスがにっこり笑うと、キュッリッキは頬を染めてはにかんだ。


「ウチを辞めても、キューリさんはずっと我々の家族です」

「だな、宇宙行ったりファンタジーな体験したり、今更赤の他人になれねーしよ」

「んだんだ」


 形式的には退団する。でも、仲間かぞくとしての繋がりまでは断ち切れない。

 皆の言葉に、キュッリッキの顔に花開くような幸せな笑みが広がっていった。




 キュッリッキとメルヴィンがスモーキングルームを出て行くと、残された面々は思い思いの表情を浮かべていた。


「あやふやな状態にしないできっちりしたのはいいんだけど、やっぱ寂しいよねえ」


 両手を頭の後ろで組んで、ルーファスが溜め息とともに吐き出す。


「今度はオッサンたちの過保護抜きで、一緒に仕事出来ると思っていたんだケド」

「結局ボクは、キューリのチートサポートを一度も受けることができなかったってことか……。ずるい、メルヴィンとガエル」


 妖艶な顔をしかめて、タルコットが悔しそうに拳を握った。これにガエルは苦笑するに留める。

「あ」と小さく声をあげると、ルーファスは寝転がっていたソファから勢いよく身体を起こした。


「そうそう、今日リュリュさんから秘密兵器もらってきてたの忘れてたわ。誰か2人を呼び戻してきてー」

「なんです?」

「へへ、これこれ」


 ルーファスは上着の内ポケットから、一つの手帳を取り出した。


「これ、ベルトルド様のメモ帳らしいんだけど、中にオモシロイこと書いてあってサ」


 手帳を開いてページをめくると、ルーファスは一同の顔をくるりと見回して、いたずらっぽい笑みを浮かべた。


「キューリちゃんがこれ読んだら、きっとスグ立ち直って元気になると思うんだ。リュリュさんの太鼓判付き」



* *


 我が、美しく愛おしい乙女

 金糸のように煌く長い髪の毛、白桃のような肌、壊れそうなほど脆く儚げで繊細な肢体

 純真さで光が零れるほどの愛くるしい顔

 どこをとっても、そのへんのメス豚共とは違う、神に愛されし清純な乙女よ

 ああ、抱きしめる度に鼻腔をくすぐる花の蜜の如き甘やかな香り

 俺の魂も心も掴んで離さない鎖を持つ至福の笑顔

 メルヴィンなどというクソ野郎に愛を振りまき、俺の心を弄ぶかの如き小悪魔な所業

 今すぐベッドに押し倒し、俺を見つめながら甘え求めすすり泣くほど、俺に媚びるように仕向けたい

 揉んで揉んで揉み尽くして、ようやくパンケーキほど膨らむペッタンコなちっぱいを、舐めに舐めてしゃぶりつくしてイかせたい

 愛の園を蹂躙されて息も絶え絶えになりながら、俺を求めてやまずに涙を流しながら俺の名を何度も呼ばせたい

 俺の逞しい暴れん棒の甘美な抽挿運動に、頭が真っ白になるまで何度も何度もエクスタシーに狂い踊らせてみたい

 愛するリッキー、君のことを思うだけで、俺の股間はバーニングしてしまう!

 俺のことを想い、俺に愛されているトコを思い、アソコを濡れ濡れにさせてベッドの上で自分を慰めているリッキー

 それを想像すると、俺の股間は今にもはち切れそうだ!

 愛しているぞ、愛しているぞリッキー!

 早く一発やりたい!!


* *



 ぱた、とメモ帳を閉じて、キュッリッキは肩でため息をついた。


「詩を美しく書こうとして失敗してる、みたいな…」

「日頃から何を思って生きていたか、滲み出るような心情だ」


 シビルとタルコットは、ゲッソリと呟いた。この詩を書いている時のベルトルドのドヤ顔が、脳裏に鮮明に浮かぶ。


「オレへの嫉妬が露骨に書いてありましたね」

「なにげに、キューリちゃんのおっぱいがペッタンコって、やっぱ思ってたんだね」

「最後の一言に、魂の叫びが…」


 皆が口々に感想を罵り合っている中、キュッリッキは俯いて床を睨みつけていた。

 ベルトルド達が鬼籍に入ってからのこの一ヶ月、心は悲しみに満ち溢れている。しかし、心のどこかのネジが一本吹っ飛んだ。


(ベルトルドさん……)


 ふいにキュッリッキは手帳を大きく振りかぶると、勢いよく床に叩きつけた。


「ベルトルドさんのスケベえええええええええええええっ!!」


 小さな足で力いっぱい手帳を踏みつけまくりだした。


「スケベ! 変態! エロオヤジ! バカ! アホ! エッチ!!」


 ドス、ドス、ドスっと手帳は踏まれる。

 ベルトルドは日頃、口に出せないコトを、メモ帳に書いて鬱憤を晴らす癖があったらしい。こうしたメモ帳は何冊もあり、リュリュが全て保管しているという。

 世に出れば、スキャンダラスなゴシップ記事に事欠かなさそうなこともいっぱい書いてあるそうだ。

 キュッリッキが憤慨している後ろ姿を見つめ、ルーファスはニコニコと笑った。


「ね、キューリちゃん元気出たでしょ」


 かくしてキュッリッキはこの瞬間から、メソメソすることもなく普段の元気を取り戻していた。

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