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168話:シャシカラ島の3家族

 豪華客船が港に接岸すると、続々と沢山の人々が下船していった。

 メルヴィンに手を引かれながら桟橋を降りきったとき、素っ頓狂な声がかけられて、キュッリッキは目を瞬いた。


「リューディアちゃん!?」


 ドスドスと駆け寄ってきた女性は、キュッリッキの双肩を掴むと、グイッと顔を突き出してマジマジとキュッリッキを見つめた。


「ンもー、早とちりしないでよ、サーラおばちゃん」

「リュリュちゃん!」


 女性はキュッリッキから離れると、すかさずリュリュに抱きついた。


「久しぶりねサーラおばちゃん」

「ホントだわ、何年ぶりかしら。すっかりいい大人になっちゃって」

「おばちゃんは相変わらず、若くて美人ね」

「おほほ、ありがとう」


 面食らって目を瞬いているキュッリッキとメルヴィンを向いて、リュリュが女性の両肩に手を置く。


「あーたたちに紹介するわね。こちらはサーラ、ベルトルドのお母さんよ」

「は、初めまして。メルヴィンと申します」


 メルヴィンは鯱張って頭を下げる。やけに若いなと、内心つぶやきながら。


「キュッリッキです」


 以前ベルトルドの記憶で見せられたサーラの姿と、ほとんど変わっていない。

 アイオン族は成人すると、外見の老化がとても遅くなる。ヴィプネン族と比べると、20歳前後の開きが出てくるのだ。

 快活そうな美人で、ベルトルドと同じ髪の色をしていて、オシャレに短くカットしている。こんな強い陽射しの強い国で暮らしているだろうに、肌は日焼けもしておらず綺麗に白い。

 半袖のラフなシャツにデニムの短パンを履いている姿は、ほっそりとしているが躍動的で、じっとしていることを由としない雰囲気をまとっていた。

 こうして改めて見ると、ベルトルドは母サーラに似ているような気がすると、キュッリッキは思った。


「いきなりごめんなさいね。初めまして、サーラです。遠くからようこそ」


 明るい声とにっこり笑う顔は無邪気で、ますますベルトルドとよく似ていた。


「リュリュちゃんたちがくるって連絡もらってたから、迎えに来たのよ。みんな島で待っているわ。行きましょう」


 笑顔のサーラに促されて、3人は頷いた。




 サーラの操縦するクルーザーに乗って、4人はシャシカラ島を目指した。

 真っ青な空と紺碧色の海。船がたてる波しぶきは、太陽の光に反射して白銀色に煌き、今が秋だという雰囲気は微塵も感じない。何もかも色が濃くて明るさに満ち溢れている。

 大きさが様々な小島の間を縫うように、クルーザーは突き進んでいた。


「懐かしい風だわあ」


 風で帽子が飛ばされないように両手で押さえ、リュリュは気持ちよさそうに息を吸った。


「10年くらい前かしら? 一度戻ってきたっきり、ベルトルドもアルカネットちゃんもリュリュちゃんも、全然里帰りしてこないんだから」

「皇国の要職に就いてるから、色々忙しくって」


 リュリュは短く言うにとどめた。実際目の回るような忙しい日々で、仕事に忙殺されていたのもある。ベルトルドたちの計画の妨害工作もまた、忙しかったのだ。


「それにしても、キュッリッキちゃんは本当にリューディアちゃんにそっくりね。クスタヴィもカーリナも、びっくりしちゃうわよ」

「そうねん…。――元気にしてるかしら、あの2人」

「ええ、見た目は随分老け込んだけど、元気に働いているわよ」


 2人の会話を黙って聞きながら、キュッリッキは以前ベルトルドに見せられた過去の記憶の中で、リューディアが死んだあとのリュリュ親子の、悲しい場面を思い出していた。

 リュリュの口調やサーラの表情から察するに、あれ以来あまり良好な関係には戻れていないようだ。

 親に酷い言葉と態度で拒絶される悲しみを、リュリュも味わっていたのだと思うと、キュッリッキは自分のことのように胸を痛めた。

 捨てられたわけではないから、リュリュには生まれ故郷がある。しかしこうして不本意な帰郷を果たすことになり、リュリュもまた沢山の複雑な想いを背負っているのだ。キュッリッキはそのことを、ようやく思いやれるようになっていた。

 他愛ないお喋りをしながら、クルーザーはシャシカラ島へたどり着いた。




「やあ、おかえりサーラ」


 島の小さな港で、背の高いハンサムな男が笑顔で手を振っていた。


「ただいまリクハルド」


 サーラも笑顔で手を振り返し、器用にクルーザーを接岸させる。


「みんな家に集まってるよ。――おかえりリュー君、遠いところ疲れただろう」


 手を差し出しながら、リクハルドがリュリュを出迎えた。


「お久しぶりね、リクハルドおじさん。改めて来ると、ホント遠いわここ」


 苦笑しながら手を握り返し、リュリュは後ろを振り向く。


「お客様を2人連れてきたわ。おじさんの美味しい昼食が楽しみね」


 次にメルヴィンが名乗りながら降りて、最後にキュッリッキが降りる。


「えっ!? リューディアちゃん???」


 青灰色の瞳がこぼれ落ちそうなほど目を見開き、リクハルドはキュッリッキの顔を食い入るように見つめた。


「違うわよ、ンもう。夫婦揃っておんなじ反応で笑っちゃうわね」

「えっと……キュッリッキです」


 どんな表情をとればいいか困りながら、キュッリッキは肩をすくめ名乗った。


「小娘、あと4人分同じリアクションが待ってるから、覚悟なさい」

「……」




 リクハルドに案内されて、彼の家へと向かう。

 ログハウスのような、大きくて素敵な家が出迎えてくれた。


「さあ、遠慮しないでくつろいでくれ」


 ドアを開けてスタスタ入っていくリクハルドに続いて、3人は家へと入る。

 家の外観は見たままの丸太を積んだようなものだったが、内装は真っ白な漆喰を壁に塗り固め、天井などはログの雰囲気を生かした作りになっている。濃い緑の観葉植物が所々に置かれて、目に優しく明るく綺麗だ。

 広々としたリビングに通された3人は、新たな4人の人物に迎えられた。


「リューディア!?」


 いの一番に素っ頓狂な声を上げたのは、白い毛が混じった頭髪の男だった。そして、それに呼応するかのように、次々に「リューディア」と声があがる。


「チガウわよ、パパ」


 ずいっと身を乗り出し、片手を腰に当てたリュリュがぴしゃりと言い放つ。


「小娘も困ってるでしょ。この子はキュッリッキっていうの。そしてこっちはメルヴィンよ」


 紹介されて、2人は軽く会釈した。


「そ……そうか…」


 驚きの表情を浮かべたまま、男は自らに言い聞かせるように何度か頷いた。

「紹介するわね。こっちがアタシのパパでクスタヴィ、ママのカーリナ。こっちはアルカネットのパパのイスモ、ママのレンミッキよ」


 イスモとレンミッキは、ベルトルドの記憶で見た姿とあまり変わっていない。2人もまたアイオン族だ。

 一方リュリュの両親は、すっかり年老いている。しかし、記憶で見た若い頃の面影は健在だった。

 紹介された4人は動揺はそのままに、それぞれ短く挨拶をして座った。


「さあ、3人とも座りなさい」


 リクハルドがすすめてくれたソファに、3人は並んで座った。

 丸いガラスのテーブルを挟んで、7人は向かい合って黙り込んだ。相変わらず両親たちはキュッリッキをマジマジと見つめ、その視線に落ち着かない気分で、キュッリッキは内心ため息の連続だ。

 延々会話の糸口が見つからないまま、静かなリビングには波の音と、時折小鳥のさえずる声が聞こえてくるだけだった。


「喉が渇いただろう。俺特製のスペシャルハーブアイスティーをどうぞ」


 大きなグラスに琥珀色のアイスティーがなみなみと注がれ、氷がカランっと音を立てて涼しげだ。

 リクハルドは3人の前にそれぞれ置くと、一人用のソファに座る。


「お待たせー……って、なあにこの辛気臭い雰囲気は」


 サーラはリビングの雰囲気にちょっとひきつつ、リクハルドの座るソファの肘掛に腰を下ろした。


「まあ、アタシたちが来たのは、辛気臭い用事でなんだケド…ね」


 リュリュは軽く肩をすくめ、そして足元に置いてあったカバンの中から、2つの小さな柩のような箱を取り出しテーブルに並べた。


「察しは付いていると思うケド、こっちはベルトルド、こっちはアルカネットの遺灰が入っているわ」


 サーラ、リクハルド、イスモ、レンミッキの4人は、形容しがたい表情で、我が子の遺灰の収められた箱を見つめていた。

 ベルトルドとアルカネットが死んだ旨は、あらかじめサーラとレンミッキに伝えてある。詳細は報せていないが、葬儀の都合で連絡する必要があったのだ。


「そう…。こんなになっちゃったのね…」


 サーラはベルトルドの柩を手に取ると、そっと頬ずりした。


「俺たちより早く逝くんだろうな、とは、もうだいぶ前から漠然と思っていたんだよ。片方の翼を引きちぎって、リューディアちゃんの墓前に供えた姿を見たときに」


 リクハルドは悲しげに顔を歪め、我が子の柩に片手を乗せる。


「死ぬなら好きな女の上で励んで死ねよ、って言い含めておいたんだけどなあ。違うんだろ?」

「ええ、残念ながらチガウわ…」


 悲しみの表情と言動が一致しないリクハルドを見て、メルヴィンは内心、


(親子だ……)


 と、ため息をついた。


「アルカネットは、どの人格で死んだのかしら…?」


 目に涙をいっぱい浮かべたレンミッキが言うと、リュリュはキュッリッキを見た。


「えと、優しいアルカネットさんだよ」


 アルカネットが多重人格であったことは、キュッリッキはまだ聞かされていない。しかし人格、という言い方で、薄々察しが付いていた。


「そう……」


 涙をこぼしながら、レンミッキは我が子の柩を胸に押し抱き、イスモは妻の肩を抱き寄せ泣いていた。


「強大な魔法〈才能〉スキルを持ち、訳のわからない人格が色々出てきて怖かったんだ…。自分の子だというのに。だから家を出て遠い学校へ進学すると聞いたときは、正直ホッとしてしまった。――手元に置いて育てた時間のほうが短いのに、やっぱり悲しいな」


 後から後から、涙がこぼれて服を濡らしていく。

 イスモの本音は、リュリュやサーラ達にも理解出来た。たとえ我が子だとしても、深い部分まで理解しあうのは難しい。ずっと離れて暮らしていたからなおさらだ。こんな灰の姿で帰郷されてしまい、イスモもレンミッキも、沢山の無念と後悔を噛み締めていた。

 リュリュはゆっくりと、これまでの経緯を語りだした。

 ベルトルドとアルカネットの両親には、聞く義務がある。そして、包み隠さず報告する義務もまた、リュリュにはあった。

 一連の事件の始まりは、このシャシカラ島から起こったのだから。




 リュリュから話を聞き終えた6人の親たちは、様々な表情をたたえて黙り込んでしまった。


「オレたちのリューディアの死が、2人をそこまで追い込んでしまったなんて…」


 真っ先に口を開いたクスタヴィは、沈んだ表情で、手にしていた古ぼけた写真をそっと撫でる。


「気にすることはないのよクスタヴィ。ベルトルドもアルカネットちゃんも、もう立派な大人よ。自分たちで選んだことで死んだのなら、本望でしょう」


 どこか拗ねるような顔をしながら、サーラはきっぱりと言い切った。


「それに、なんの関係もなかったキュッリッキちゃんを巻き込んで、辛い目に遭わせてしまったことを、あの子の親として心からお詫びするわ。本当にごめんなさいね」


 サーラに頭を下げられ、キュッリッキは小さく首を横に振った。


「大丈夫なの。ベルトルドさんもアルカネットさんも、謝ってくれたし。今はメルヴィンが一緒にいてくれるから、もう大丈夫」


 キュッリッキはメルヴィンの手をきゅっと握ると、サーラに柔らかく微笑んだ。そんなキュッリッキの顔を見て、サーラは救われたように微笑み返し、何度も頷いた。


「あの子がここにいたら、ジャンピング・ニーパットからムーンサルトプレス、とどめにパイルドライバーね」

「あらあらサーラちゃん、逆エビ固めも使っておかなきゃ…」


 握り拳で物騒なことを言うサーラに、レンミッキが暗い笑みを浮かべて参戦する。


「ベルトルドとアルカネットが生きてここに帰ってきたら、100パーセント実行されるところだよ」


 小声でリクハルドが言い、イスモも同意するように深く頷いた。


「深い血のつながりを感じるかも…」


 薄笑いを浮かべ、キュッリッキは呟いた。ロキ神の血は、この2人の母親が継いでいるのだから。


「ところでリュリュ、今日は泊まっていけるんだろう?」


 遠慮がちにクスタヴィが割って入ると、リュリュは壁にかけられた時計に目を向ける。


「そうねえ……今から急げば船に間に合うから、泊まっていく必要はないかしら」

「そんな」


 カーリナが悲しそうに声を上げると、


「もう! 泊まっていきなさい3人とも!」


 ずずいっと身を乗り出し、サーラが奮然と言う。


「リュリュちゃんは自分の家へ、キュッリッキちゃんとメルヴィン君は、ウチに泊まってちょうだいね」

「皇都復興やら他にも業務があ…」

「いい加減もう、許してあげなさい!」


 両手を腰に当てて、サーラは深々とため息をついた。


「あれからもう31年も経ったのよ。2人はずうっと反省しているし、それに私たちも老いたわ。外見はどうあれ、寿命はヴィプネン族もアイオン族も、同じなのよ」


 クスタヴィとカーリナは、縋るようにリュリュを見つめた。


「ベルトルドもアルカネットちゃんも死んでしまった。この島の子供で生きているのはリュリュちゃん、あなただけになってしまったわ」

「サーラおばちゃん…」

「全部でなくていいの、ちょっとずつ話をして、今度帰ってくるときに笑顔でただいまって言えるように、今日から話し合っていきなさい」


 リュリュはちらりと両親を見て、小さく嘆息した。そしてサーラを見上げ、苦笑し頷く。


「そうね、そうするわ」


 サーラはにっこりと笑った。


「でも、明日には帰らせて。アタシほんとに仕事が山積みなのよ、ベルとアルのせいで」

「そのことはもう、ごめんなさいね。この箱、生ゴミ捨て場に埋めてきていいわよ」


 我が子の遺灰の詰まった箱を取り上げ、リュリュに差し出す。


「……さすがにお墓に埋めてあげて、サーラおばちゃん…」

「あら、そう? 残念ねえ」


(やっぱり親子だ……)


 メルヴィンは背中で汗をかきながら、内心げっそり呟いた。この会話を皇国の要人たちが聴いたら、泡を吹いてひっくり返りそうだ。


「さあさあみんな、こっちへおいで。ベルトルドとアルカネットのお別れ会をしよう」


 キッチンからリクハルドが大声で呼んだ。


「昨日から沢山料理を仕込んであるんだ。沢山食べて、沢山飲んで、懐かしい話でもしようか」

「そうね、そうしましょ」


 サーラはキュッリッキとメルヴィンの手を取ると、ニッコリと笑った。


「さあ、いらっしゃい」



* * *



 庭のプールサイドのデッキチェアに座って星空を見上げていると、サーラから声をかけられ、キュッリッキは顔を向けた。


「疲れたでしょう」


 そう言いながら、2つ並んだデッキチェアの真ん中に置かれたミニテーブルに、カットフルーツの皿と飲みもののグラスを置いて、サーラは空いている方のデッキチェアに座った。


「ありがとう」


 キウィジュースをストローで啜って、キュッリッキはニッコリと笑った。

 料理を作るのも男、片付けるのも男。それがウチの流儀! そうサーラが言い切ったので、リクハルドとメルヴィンはキッチンで片付けをしている。

 昼から大量のご馳走を前に、ベルトルドとアルカネットのお別れ会をした。


 もっぱら各両親たちから、彼らの幼い頃の話が披露披露された。それに笑ったり、時には泣いたりと、酒の勢いも手伝って賑やかに夜まで続いた。

 先程までの賑わいを思い出しながら、キュッリッキは少し複雑な気分だった。

 てっきり涙に暮れる、しんみりとした雰囲気に包まれ、厳かな気持ちで帰路に着くのだと思っていた。それなのにしんみりムードはほんのちょっぴりで、あとはもう賑やかに大騒ぎ。内心面食らってしまっていた。

 そのことを素直に話すと、サーラはくすくすと笑う。


「キュッリッキちゃんたちが来る前日にね、いーっぱい泣いたのよ」


 ビールを飲みながら、サーラは星空を見やる。


「多分ね、これから泣く日が増えるんじゃないかしら。今はまだ、本当の意味で実感が沸いていないんだと思う。昨日はリュリュちゃんから念話で知らされて、びっくりしてるうちに勢いで泣いちゃったの。レンミッキもそうだったし、つられ泣き、みたいな」


 寂しげに微笑み、再びビールを一口啜った。


「あの子、キュッリッキちゃんに優しかった?」

「うん、とってもとっても、優しくしてくれたの。いっぱい優しくしてくれて、いっぱい愛してくれた…。ベルトルドさんに出会う前、アタシ、愛してるって言われたことなかったの。だから、とっても嬉しかった」


 両手でグラスを握り、キュッリッキは俯いて表情を曇らせた。


「アタシ、生まれてすぐ捨てられちゃったから、お父さんとかお母さんて、どんなものか知らないの。でも、ベルトルドさんってお父さんみたいな感じで。リッキーって抱きしめてくれると、凄く心地よかった」

「ああ…本星であった、召喚〈才能〉スキルを持つ子を捨てたって事件の…」


 キュッリッキは小さく頷いた。


「あの事件は、本当に今でも腹立たしいわ。本星の連中の非道っぷりは、ヒイシに住むアイオン族の間では、非難ゴーゴーだったのよ」


 ムスッと顔をしかめたサーラに、キュッリッキはビクッと引く。


「アイオン族の美意識過剰ぶりって言うけど、あのことは美意識なんかじゃないわ。人間として、親として、言語道断の振る舞いよ! 翼に障害がある子を守ることもせずに捨てるなんて…。とても酷いことをされたのに、こんなに良い子に育ってくれて」


 サーラは手を伸ばし、キュッリッキの頭を優しく撫でた。その手のぬくもりが温かくて、キュッリッキは甘えるように目を閉じた。


「アタシが変われたの、ベルトルドさんのおかげなの。ベルトルドさんが愛をくれたから、だからアタシ、メルヴィンに恋ができたの。人を好きになることができた」

「女好きのあの子にしては、上出来ね」


 自慢げにそう言って、サーラとキュッリッキは小さく笑った。

 サーラはベルトルドとキュッリッキが出会ってからの、日々の出来事を聞きたがり、キュッリッキは記憶をたどりながら丁寧に話した。時折サーラは茶化したり笑ったり、怒り出したりと、2人は沢山会話を楽しんだ。


「私の知らないベルトルドを沢山聞けて、今日はいい気分。ありがとう、キュッリッキちゃん」


 キュッリッキは照れくさそうに、にっこりと笑った。


「キュッリッキちゃん、その胸の傷痕、自分でやったのね?」


 突如真顔になったサーラに言われ、キュッリッキは咄嗟に服で隠そうとした。


「あの子がキュッリッキちゃんにしたことは、一生許さなくていいのよ。むしろ、一生かけて責めて欲しいわ。ただ……、そこまでしなくちゃならない、そうまで追い込まれていたのかと思うと、哀れでならない。母親としてあの子の心を救ってやれなかったことは、私の一生の後悔よ。本当に、ごめんなさい」


 キュッリッキは小さく頷き、俯いた。


「31年……。あれからもう31年もの月日が経って、やっと解放されたんだわ…」


 リューディアへの想いからも、アルカネットの束縛からも。死ぬことで自由になれた一生は、なんと切なく虚しいのだろう。それでも、ベルトルドなりに生き抜いたのだと、サーラは強く頷いた。


「葬儀の時ね、ベルトルドさんとアルカネットさんの幽霊が出てきたの。でね、2人共笑顔で旅立っていったよ」

「そう……」


 サーラは悲しげな笑みを、キュッリッキに向けた。


「私もその場にいたら、きっと鉄拳を顔のど真ん中に見舞っていたでしょうね」

「えっ」


 霊体に攻撃をあてるなど、と思いつつ、サーラの拳ならきっと当たるかもしれない。そう思ってキュッリッキはガクブルしながら生唾を飲み込んだ。

 悲しさ半分、色々プラス怒り半分、というのが、今のサーラの心境だろうとキュッリッキは思った。


「ふぅ~、今日は星空も大盤振る舞いね。ほら見て、星の大河もあるでしょう」


 2人はデッキチェアに深々と寝そべり、空を彩る星星を見つめた。

 濃紺の夜空に煌く星たちは、皇都から見るよりもずっと明るく綺麗で、大きさも輝きも全然違っていた。光が雨のように降ってきそうで、それを想像すると自然と笑みがこぼれた。


「レディたち、お風呂が沸いたよー。一緒に入ってきたらどうかな」


 家の方からリクハルドが叫んでいた。


「そうね、一緒に入りましょうか。ウチのお風呂結構広いのよ」

「はいっ」



* * *



 キュッリッキとメルヴィンは、とても広いゲストルームに案内された。

 大きな窓が海に面していて、開け放たれた窓からは、潮騒が絶えず聞こえていた。

 ベビードールの寝巻きに着替えたキュッリッキは、蚊帳をめくりあげてベッドに飛び込む。洗いたての枕カバーやシーツからは、おひさまの匂いがした。


「気持ちがいいの~」


 うつぶせになってはしゃぐキュッリッキを見て、メルヴィンも微笑んだ。


「ベルトルドさんは、ここで生まれ育ったんだね。青い海で遊んで、明るい星空を見上げて。リクハルドさんの美味しいご飯を食べて、サーラさんに怒られて」

「そうですね」


 キュッリッキの横に寝そべり、メルヴィンは天井を見上げた。


「サーラさんと話してるとね、ベルトルドさんと話してるみたいな気分になっちゃった。ベルトルドさんって、サーラさん似なんだね」

「リクハルドさんにもよく似てましたよ……とくにこう、女性関連の話題になると、物凄く親子だなあ……と」


 2人は顔を見合わせ、そして吹き出した。


「ベルトルドさんは、両方に似てるんだね」

「紛れもなく親子ですね、ホント」


 ひとしきり笑うと、2人はなんとなく黙り込んだ。

 灯りがなくても、星と月明かりでこんなにも室内は明るい。穏やかな波の音も、聞いていると癒される気分になった。


「アタシね、本当はここへくるの、ちょっとイヤだったの…」


 メルヴィンに腕枕をしてもらいながら、キュッリッキはメルヴィンにぴったりと寄り添った。


「ベルトルドさんやアルカネットさんのことを思い出して、涙が止まんなくなっちゃうって思ったから。いろんなこと思い出して、頭グチャグチャしちゃうって……でもね、来てよかった」

「リッキー…」

「サーラさんにいっぱい話をして、聞いてもらったからかな。ちょっとだけ心が軽くなった気持ちがするの」

「”母親”というものに、安心感を持ったんでしょう、多分ですが」

「……うん、そうだね。きっと、そうだと思う」


 ベルトルドやアルカネットとは違い、もっとキュッリッキの気持ちに寄り添ったアドバイスや回答をしてくれた。女同士というのもあるし、サーラは母親という立場に身を置くから、母親としての視点から言ってくれたこともあるだろう。


「そっかあ…。あれが、お母さん、ていうものなんだね」


 父親も母親も、キュッリッキはどんなものか知らない。自分を捨てる存在だとしか認識していないからだ。

 いつか、自分も母親という存在になる日がくるのだろうか。もしそうなったとき、自分は母親を、やっていけるのだろうか。

 今はまだ、自信が持てそうもなかった。


「さあ、寝ましょう」

「うん。おやすみメルヴィン」

「おやすみなさい」


 メルヴィンはキュッリッキをしっかり抱きしめ、頭にキスをして目を閉じた。

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