ウエケラ大陸から大型客船が1日に1回、ゼイルストラ・カウプンキに向けて出航している。
約半日の航海になるため、夕方に出航だった。これに間に合わせるために、葬儀が済むとリュリュは説明もそこそこに、あらかじめリトヴァに用意させていた荷物を持って、キュッリッキとメルヴィンを拉致るようにして、間に合うように出発した。
正規の移動手段だと到底間に合わないので、キュッリッキに移動できる召喚を頼んでの強行軍だ。
ほとんどギリギリに船に飛び乗った3人は、客室にそれぞれ案内されると、ベッドに沈んでしまった。
「目が回るう…」
仰向けにベッドに寝転がっていたキュッリッキは、同じベッドに腰掛けるメルヴィンを見上げた。
「ホントですね…。強行軍にも程があります」
キュッリッキの頬を優しく撫でて、メルヴィンは苦笑を漏らす。葬儀直後だというのに、感傷に浸るまもなく、リュリュに尻を叩かれる勢いで飛んできたのだった。
「とにかく疲れたでしょう。もうゆっくり休んでください」
にっこりと言うメルヴィンに、キュッリッキはちょっと眉を眇める。
「寝る前に何か食べたいかも。お腹すいちゃった…」
キュッリッキが空腹を訴えることは珍しい。ということは、余程お腹がすいているのだろう。メルヴィンは立ち上がると、入口のそばに掛けられていた案内状を見る。
「夕食は20時からだそうです。あと1時間は我慢してください」
「うにゅー」
ころんっと向きを変えて、キュッリッキは口を尖らせた。
「いっぱい食べるんだから…」
まだ見ぬ夕食に、キュッリッキは食欲を燃やした。その様子を見て、メルヴィンは苦笑する。
キュッリッキの”いっぱい食べる”は、通常の大人の平均的摂取量より、実は少ない事を知っている。痩せの大食いとは、キュッリッキには無縁な言葉なのだ。
「リッキー、あの…」
「うん?」
「その……」
道中メルヴィンはずっと気になっていたことがある。
葬儀の時の、飛行技術が戻るとかどうの、ということ。
なんとなく、そのことだと察して、キュッリッキは頷いた。
「1万年前の出来事で人間たちから取り上げちゃった飛行技術を、今後誰かが発明できたとき、見守ってくれるって約束してくれたの。今はまだ誰も閃いていないし、発明も出来ていないけどね」
「そうなんですか…」
キュッリッキは両腕を伸ばして大の字になると、低い天井を見上げる。
「9千年の時を費やして、丁寧に人間たちの中から、生活の中から、飛行技術に関する全てを消し去ったの。遺伝情報から記憶から何から何まで。でもね、それから千年の時をかけて、人間たち自身は気づくの。空を飛びたい、どうやったら空を飛べるのか、身体一つでじゃなくて、乗り物や道具を使って空を飛ぶにはどうしたらいいか。ほんの小さな想いや願いは、やがてリューディアの中で芽生えたの。千年で初めて」
「……」
人間たちにとっては、途方もない年月。それだけの時を経て、ようやく自力でたどり着いたというのに、神は無残にも摘み取ってしまった。
「リューディアのことがあったから、ベルトルドさんは奮闘したの。だから、それがなかったら、人間たちの手に飛行技術が戻るなんて、一生なかったかもしれない。あるいは、リューディアやベルトルドさんたちのような悲劇が、別の誰かに起こったかも…」
「そうですね…」
「飛行技術が返ってきて、その後どう人間たちが使っていくか。ユリディスの時のような悲劇になるか、別の悲劇に繋がるのか、それは判んない。でも悪いことばっかり考えちゃってたら、なんにも出来なくなっちゃうもん。だからティワズ様は、見守ろうって言ってくれたの」
「使う人間次第ですね」
「うん。それにね、どうせアタシたちが生きてる間に、危険になるほど空が飛べるようには、さすがにならないと思う」
悪戯っ子の笑みを浮かべて、キュッリッキは伸びをする。
「でも、機械工学スキル〈才能〉持ちの人たちが、昔の遺産を発掘したり調べたりしているんですよね。基礎が見いだせたら、開発運用発展は早そうですけどね」
「う…にゃー」
メルヴィンの指摘に、キュッリッキは神妙に眉をひそめた。
「まあ、ティワズ様が折れてくれたのには、ある理由があるの」
「理由?」
「ベルトルドさんたちが掘り出したフリングホルニ、まさに1万年前、神の領域を侵そうとした元凶であるあの船を、壊し忘れちゃってたこと」
「……ああ…」
「モナルダ大陸が半壊しちゃうほど深く深く眠っていたから、気付かなかったのか、忘れちゃったのか。だからアタシが指摘してツッコミ入れる前に折れてくれたんだよ」
にこりと笑ったキュッリッキの笑顔を見たら、神々は大いに凹むだろう小悪魔な笑みだった。
「神を脅迫するなんて、巫女っていうのはすごいんですね…」
「アイオン族はロキ様が創った種族だしね~」
フリングホルニやハーメンリンナで見た金髪の美丈夫を思い出す。確かにどこか人懐っこい笑顔と、意地の悪そうな笑みを同居させる表情をする神だった。
「ベルトルドさんとアルカネットさん、安心して旅立ってくれて良かったの。ニヴルヘイムにいるリューディアも、きっと喜んでくれると思う……」
いくらお気に入りの巫女の頼みとは言え、重大な神々の決定を覆すのは容易ではないはずだ。それがああも簡単に了承を得られたのは、トールの失態によりリューディアという尊い犠牲を払ったこと、キュッリッキの身に降りかかった悲惨な出来事、ベルトルドとアルカネットの抱えた大きな悲しみと憎しみ。それによって歪ませてしまった世界。
神々の思惑が招いた結果が、マイナスに傾きすぎたのだ。それもあって、ティワズの決断を促したとも言える。
キュッリッキ自身、交渉は長引くと覚悟はしていたのだ。しかし蓋を開けてみたらあっさり願いは叶った。
ベルトルドたちの心と想いを救い、送り出せて本当に良かった。
見つめていた天井が急にメルヴィンの顔になって、キュッリッキは目を見開いた。
「そういえば、フェンリルとフローズヴィトニルはどうしたんですか? 彼らを見かけないんですが」
「アタシたちに遠慮して、アタシの影に潜んでいるんだって」
「え」
「それくらいの気、ちゃんと使うんだぞって言ってたよ」
「な、なるほど」
今にして思えば、キュッリッキを初めて抱いた昨日の夜、あの2匹の神は同じ部屋にいたようなと気づいて、メルヴィンは赤面した。
絶頂を迎えてキュッリッキが意識を失うまで、熱く激しく睦みあったのだ。素面では到底口に出せない言葉も、たくさん言った気がする。
メルヴィンは再びベッドに腰を下ろすと、困ったように頭を抱えた。
「どうしたの? メルヴィン」
「い…いえ…」
キュッリッキは身体を起こすと、メルヴィンの背中に抱きついて、横から顔を覗き込んだ。
「フェンリルたちに会いたいなら呼ぼうか?」
「……そのままずっと、危険が起こるまで影に潜んでいてください」
そう言って、メルヴィンは長い長い溜息を吐きだした。
夕食の時間が近づいて、リュリュが迎えに来てくれた。
荷物の中には、船で着るドレスも入っている。それを着ろとリュリュに言われて、キュッリッキはどうにかドレスを自力で着た。一人で着られるデザインを、リトヴァが選んでくれていたのだ。
薄手のシルクで作られた、ノースリーブのシンプルなドレスだ。丈は膝上までしかなく、肩から裾に向けて、青の濃淡が綺麗なグラデーションになっている。胸元には、本物のダイアの粒が、銀砂のように散りばめられ、キュッリッキの白い肌と金色の髪がより映えて美しかった。
リュリュとメルヴィンは、シンプルな半袖の白いシャツとスラックス姿で、3人はダイニングの特別席へ通された。
豪華なフルコースが振舞われ、3人はとにかく無言で手を動かし続けた。
忙しすぎて、食事もまともに食べていなかったのである。酒はそっちのけで、デザートまで全て平らげると、湯気の立つ紅茶を美味しそうに飲みながら、ようやくリュリュは言葉を発した。
「食欲なんてナイ、なんて思っていたけど、案外空腹だったのね。ひさしぶりにまともに食べた気がするわ」
「アタシも。一生懸命食べちゃった」
「そうですね。普段の倍くらい、食べきりましたねリッキー」
「えへへ」
「そんくらい普段からちゃんと食べなサイ。あーた細りすぎて貧血連発しちゃうわよ」
「ううん……あんまりお腹空かないから」
「目指せ子豚体型! て思いながら、高カロリーの甘いものでも毎日毎日食べてなさい」
「ぇー」
「それはちょっと……」
「どーせ、アイオン族は太らないんだから」
肥満体型のアイオン族など、少なくとも惑星ヒイシでは見たことがない。
「ねえリュリュさん、ゼイルストラ・カウプンキってどんなとこ?」
少し冷めてきたアップルティーを飲みながら、キュッリッキはサラリと話題を変える。
「そうねえ、惑星ヒイシで一番の海洋リゾート地ってとこかしら。この惑星に5つある自由都市の中で、一番外に開かれた自由都市ね」
都市としての機能が全て集う大きなアーナンド島を中心に、住人たちの暮らす無数の小さな島々が集まる群島。別名ミーナ群島と呼ばれるそこを総称して、ゼイルストラ・カウプンキという。
「アタシ仕事でラッテ・カウプンキなら行ったことがあるよ。大陸の中にあったから、普通にちょっと大きい都市だったけど」
「そうね。海のど真ん中にあるのはゼイルストラとコケマキくらいなものよ。リゾート地だから、年がら年中賑わってるし。アーナンドに着いたら、そこから小型クルーズで1時間移動になるわ」
「ベルトルドさんの記憶で見たよ、シャシカラ島」
「ええ。アタシたちの生まれた、懐かしいあの島へね」
ベルトルド、アルカネット、リュリュたちの両親3家族だけが暮らす島。
「アーナンド島の敷地はとても高いし、観光客で溢れかえってるから、アタシたちの家族はシャシカラ島を買って、生涯シャシカラ島で暮らすって決めたの。だから、ベルとアルのお墓は、シャシカラ島へ建てるのよ」
「リューディアのお墓もあるんだよね」
「ええ。ひさしぶりにお墓参り出来るわ、お姉ちゃん」
リュリュは様々な感情をいり混ぜて、表情に浮かべていた。
幼馴染で親友だった二人の遺灰を持って帰郷するのは、さぞ複雑な思いがあるだろう。両手で紅茶のカップをはさみ、もうからになった中身をジッと見つめ、時折苦笑いのようなものも口元に浮かんでいた。
「さて、アタシはバーで一杯引っ掛けて寝るから、あーたたちはもうお風呂に入って、ゆっくりおやすみなさいナ」
「うん、そうする」
「それとメルヴィン」
「はい?」
「小娘結構疲れてるから、今夜は手出しせず寝かせてあげなさいネ」
ムフッとウインクされて、メルヴィンは耳まで顔を真っ赤にさせた。
「そ、そのくらいの分別はついてますっ!」
声が裏返りながら言い返すと、キョトンとするキュッリッキの手を掴み、メルヴィンは憤然とダイニングを出て行った。
「案外、小娘からかうよりメルヴィン弄ったほうが楽しいかもねん」
去りゆく2人の後ろ姿を見送りながら、リュリュは優しく微笑んだ。
* * *
明るい陽の光に起こされて、メルヴィンはゆっくりと目を覚ました。プライベートバルコニーのほうから、室内いっぱいに陽光が射し込んでいる。寝る前にカーテンを閉め忘れたようだ。
腕の中を見ると、キュッリッキはまだ眠っていた。とても穏やかな寝顔だ。
無防備で愛らしい寝顔を見つめ、起こさないようにじっとする。
リュリュが手配してくれたこの部屋は、この船で最上級のスイートルームだった。とても船の中とは思えないほど、贅を凝らした内装である。一介の傭兵風情が泊まれるような部屋ではないが、キュッリッキと一緒になるということは、こうした上流環境もセットでついてくるということになるのだ。
一昨日見せられた書類の中身を思い出し、メルヴィンは軽いめまいを感じてため息をついた。
「う…ん…」
身じろぎして瞼を震わせると、キュッリッキは目を覚ました。
「すみません、起こしちゃいましたね」
申し訳なさそうに言うメルヴィンの顔を見上げ、キュッリッキは小さく微笑む。
「……んーん、もうそろそろ6時じゃないかな」
サイドテーブルに置かれた時計を見て、メルヴィンは苦笑する。
黄金でできた針は、まさに6時を指そうとしていたからだ。
「リッキーの体内時計は、ほんと正確ですね」
「えへへ、習慣だもん」
キュッリッキはくすっと笑い、そして自分からメルヴィンにキスをした。
「もうちょっと、こうしていたいなあ~」
「かまいませんよ」
嬉しそうに微笑むと、キュッリッキを抱き寄せ、額に口付ける。
2人はしばらく抱き合いながら横たわっていたが、突然ドアをノックする音がして顔を見合わせた。
「オレが出てきます」
メルヴィンは身体を起こすと、裸の上にバスローブを羽織ってドアを開けた。
「オハヨウ、よく眠れたかしらん?」
「おはようございます。とてもよく眠れました」
すでに身支度を整えているリュリュだった。
その姿をじっと見つめ、メルヴィンは目を瞬かせる。
「ん?」
「あ、いえ…その…」
「なぁによぅ?」
「……私服も男物を着るんですね…」
リュリュは表情を動かさず、メルヴィンの頭をチョップした。
「オカマが男物着ちゃ悪い?」
「い、いえ、そんなことは」
淡い若草色のコットンの半袖シャツに、白いスラックス姿である。ごく普通の、夏場の男性の服装だ。
いつも化粧はバッチリしているが、女性の服装をしている姿は一度も見たことがなかった。
「外見で性別を主張することはヤメたの。ベルたちとハワドウレ皇国の学校へ進学する頃にね。どんなに外見を変えようと、身体は男だもの。でも、アタシは女よ。自分でそのことがちゃんと判っていればいいわ。メイクは欠かせないけどネ」
なるほど、とメルヴィンは生真面目な顔で頷いた。
「性転換しようかとだいぶ悩んだンだけど……て、ンもう、話が脱線しちゃったじゃない。7時には朝食が食べられるから、支度していらっしゃい」
「判りました」
「それとあーた」
「はい?」
「昨夜は小娘に手を出さないようにって言ったでしょ」
バスローブからはだけて見える鍛えられた逞しい胸に視線を固定させ、リュリュは叱るように言う。
「ちっ、違いますって! 暑いので裸で寝ていただけです。やってません!」
顔を赤らめて慌てるメルヴィンに、リュリュはくすくすと笑う。
「あーたのアレ、ベルのモノに匹敵するほど立派だから、あんまり毎日やると、小娘壊れちゃうからホドホドにネ」
「リュリュさんっ!」
「ハイハイ。早く着替えていらっしゃいね」
からかうような笑い声を立てて、リュリュはダイニングのほうへ歩いて行った。
渋面でリュリュを見送って部屋に戻ると、ベッドの上に座って、キュッリッキが首をかしげていた。
「何を話していたの?」
たっぷり間を置いて、メルヴィンはガックリ肩を落とした。
「……ええと……朝食は7時からだそうです」
「ふにゅ?」
「あと30分くらいですね、着替えましょうか」
「うん…」
思いっきり疲れた表情で言うメルヴィンを、キュッリッキはひたすら不思議そうに見つめていた。
着替えてダイニングへ行くと、ブッフェで好きなものをトレイにのせ、バルコニーの席に3人は座った。朝でも陽射しが強いので、白い布の張られた大きな傘がさされていた。
「小娘にこれ渡しておくわ」
そう言ってリュリュは日傘を渡した。
「すでにもう陽射しの強さで判ると思うけど、火傷しちゃうから日傘さしてなさいね。あと、UVケアの日焼け止めも、ちゃんと塗っておくのよ」
「うん、ありがとう」
真夏のような気温になっていて、ノースリーブのワンピースの上に、薄手のカーティガンを羽織って陽除けをしていた。
「あーたは平気そうね」
メルヴィンの方を見て、リュリュは鼻を鳴らす。
「オレは大丈夫です」
帰る頃には真っ黒に日焼けしていそうだと、メルヴィンは苦笑した。
「ゼイルストラは1年中こんな暑さよ」
「よく生きてられますね…」
手でパタパタ顔を扇ぎながら、メルヴィンがげっそりと言うと、リュリュはくすくすと笑った。
「住めば都よ。ほら、アーナンド島が見えてきたわ」
リュリュが進行方向を指すと、煌く光をまぶした青い海の向こうに、大きな島が見えていた。
「あれがアーナンド島。ゼイルストラ・カウプンキの中心島よ」