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166話:お別れ

 モナルダ大陸へ出兵前の式典で、見たこともない巨大な化け物を見せつけられた。そして今度は巨人である。

 召喚士の呼び出す様々なものに、居合わせた人々は驚嘆させられっぱなしだ。

 巨人とキュッリッキのやりとりは、大広場の人間たちには意味不明であった。壇のそばに控えていたライオン傭兵団も、いまいち判っていなかった。しかし、次に現れたものに騒然と人々は沸き立った。

 見覚えがありすぎるからだ。




 蒼天の空のもと、太陽はまだ中天にある。そんな真昼間に、あれは…。当人たちの遺体が目の前にあり、しかしなんとよく見える姿だろう。


「あやつら、早々に化けて出てきおったわい…」


 壇から少し離れたところに設けられた特別席で、事の成り行きを見守っていた皇王は、怖がるどころか妙に納得したような顔で見つめていた。




「ベルトルドさん、アルカネットさん、どうして…」


 驚きの表情を浮かべるキュッリッキに、ベルトルドがにっこりと笑いかけた。


「ありがとうリッキー。俺たちの願いを叶えてくれて」

「感謝しますよ、リッキーさん」


 アルカネットも、いつも見慣れたあの優しい顔で微笑んでくれた。

 まさかの思わぬ出現に、とにかくキュッリッキは驚いた。


「ホントに本物の、ベルトルドさんとアルカネットさん?」

「ああ、世間で言うところの幽霊…かもしれんな」

「ちょ、あーたたち、化けて出てくるの早くってよ!?」


 リュリュはまろびつつ、身を乗り出し目を剥く。


「仕方なかろう、葬儀をこんな真昼間からやってるんだからな。夜まで待てなかったのか、しょーのない奴らめ」


 心外そうに表情を歪め、ベルトルドはリュリュを睨みつけた。


「っとにもー! あーたたちに言ってやりたいことが山ほどあんのよっ!」

「まあ、それはお墓の前でしてくださいリュリュ。私たちにはあまり時間がないのです」


 間に入ったアルカネットが、苦笑いを浮かべて言う。


「ロキとかいう俺たちの遠すぎる先祖が、ほんの少し、リッキーと別れの時間をくれたんだ。お前のようなオカマに割く時間はこれーっぽっちもない」


 人差し指と親指を輪のように形作り、ベルトルドはドヤ顔をした。


「ぐぎぎぎぎぎ」

「リッキーさん、本当にありがとうございました。リューディアの願いを取り返してくれて」

「んーん、アタシはお願いをしただけ。決めたのはティワズ様だもん」

「可愛いリッキーがお願いしたんだ。そりゃあ聞き入れるだろう、神とて」


 ベルトルドは自分のことのように得意げに言うと、申し訳なさそうに表情を歪める。


「初めから、こうしてリッキーにお願いして、神に談判すればよかったんだがな…。リッキーを傷つけずに済んだのに」

「私の中の復讐心が、ベルトルドを進ませていたのです。本当に済みませんでした、リッキーさん」

「ベルトルドさん、アルカネットさん…」


 アルカネットはキュッリッキを抱きしめた。

 幽霊で実体がないのにアルカネットの感触がして、キュッリッキは懐かしさを感じて涙ぐんだ。

 いつもの優しい優しい、アルカネットのハグ。キュッリッキのよく知る優しいアルカネットのハグだった。


「ずるいぞアルカネット!」


 横でベルトルドが喚き、アルカネットは冷たい目でベルトルドを睨みつける。


「名残を惜しんでいるんです。邪魔しないでください鬱陶しい」

「お前が惜しむなお前が! 早く俺のリッキーを離せむっつりスケベ!!」

「えーっと…」


 いつものやり取りが始まって、薄笑いが漏れる。

 幽霊になっても変わらない2人。相変わらずなことに呆れてしまうが、もうこのやり取りさえ最後なのである。その事に気づき、キュッリッキの涙は止まらない。


「リッキー…」


 ベルトルドはアルカネットの手からキュッリッキを奪い取ると、キュッリッキを優しく抱きしめた。


「こんなに綺麗で可愛い顔を、涙でいっぱいにしてしまったな。リッキーを傷つけた俺たちのために、悲しんで泣いてくれて、本当にありがとう」

「…うん」

「俺自身の手で、リッキーを幸せにしたかった。それができないことが、唯一の未練だな。――自業自得だが…」


 自嘲を浮かべ、ベルトルドは本当に悔しそうに苦笑った。


「この先リッキーが本当に危機に陥ったとき、俺が必ず助けに来る。本当だぞ? 未来永劫、リッキーを愛し続ける。死していてもな」

「ベルトルドさん…」

「メルヴィンと幸せになりなさい、誰もが羨むほど幸せに。俺はリッキーを傷つけることしかできなかったが、誰よりもリッキーの幸せを願っている」


 いつもキュッリッキにのみ向けていた、穏やかで優しい笑顔でベルトルドに言われ、キュッリッキは大きくしゃくり上げた。


「幸せに……なるよ…メルヴィンと絶対に」

「ああ」

「ありがとうベルトルドさん、ありがとう、ありがとう…」


 あとはもう喉が詰まって言葉が出ない。言葉以上に涙が溢れて、視界が滲んでいった。

 ベルトルドはにっこり微笑むと、キュッリッキの額に優しく口づけた。そしてキュッリッキから離れると、今度はアルカネットがキュッリッキの頬に口付ける。


「これで本当にお別れです。どうかいつまでも幸せに」

「アルカネットさんも…ひっく…ありがとう」


 アルカネットもにっこりと微笑んで、ベルトルドの傍らに立った。


「あの世で、お姉ちゃんにヨロシクネ」

「ああ、ちゃんと伝えるさ」

「リューディアと再会出来るのが楽しみです」

「リューにも、すまなかったな。後片付け、頼む」

「ホントよ! もお、山積みなんだからっ」

「片付けが終わるまでは、絶対にこっちには来ないでくださいね」

「死んでる暇なんかナイワヨ!」


 本気で怒っているリュリュを見て、ベルトルドとアルカネットは苦笑した。


「さて、もう時間だな」


 天を仰いで、ベルトルドはぽつりと言った。


「リッキー、俺たちを送ってくれるかな?」

「お願いします、リッキーさん」


 キュッリッキは両手の甲で涙を何度か拭うと、涙でくしゃくしゃな顔で頷いた。

 アルケラへと向けられた神聖な瞳は、ウトガルドを飛び、ロギの姿を捉えた。


「全てを喰らい尽くす幻影の炎ロギ……」


 キュッリッキが両手を前に差し出すと、繊細な掌に黄金の炎が宿った。そしてその手の向こうには、微笑むベルトルドとアルカネットの霊体が立っている。更にその後ろには、2人の遺体がおさめられた柩があった。

 キュッリッキは泣き声を上げそうになり、堪えて口をワナワナと震わせる。その表情を見て、ベルトルドとアルカネットは強く頷いた。


「…彼らの肉体を清め、その魂をニヴルヘイムへと導いてください」


 黄金の炎はキュッリッキの掌から離れると、ゆっくりと柩に向かい、突如大きな炎となって2人の柩を包み込んだ。

 熱は少しも感じない。青い空に映えるほどの黄金の色を煌めかせ、柩を燃やしていく。


「さらばだ! 愛すべき馬鹿ども!!」


 大広場にベルトルドの声が響き渡った。

 黄金の炎は更に勢いを増し、臭い一つたてず、あっという間に柩と遺体を燃やし尽くして、灰に変えてしまった。

 同時に、ベルトルドとアルカネットの霊体も消えていた。



* * *



「っとに、あのオヤジどもおおおおおおおおお!」


 握り拳を作り、片足をテーブルに乗せ、椅子の上に立つザカリーが吠えた。


「なぁにが『さらばだ! 愛すべき馬鹿ども!!』だってゆー!」

「いやあ~、最後の最後まで、ベルトルド様らしくって、貫いてたよねえ~」


 テーブルに頬杖をつきながら、ルーファスが感慨深げに何度も頷く。


「しんみり、とか、感傷に浸る、て気分が、一瞬にして吹っ飛びましたね」


 簾のように長い前髪を払い除け、カーティスは呆れたように呟いた。

 ライオン傭兵団は、葬儀のあったハーメンリンナからキティラのやしきに戻ってくると、食堂に集まって愚痴大会を催していた。

 使用人たちが軽食や飲み物などを運んできて、更に酒も追加されて気分はエキサイトだ。


「まぁ~さぁ~、おっさんらしぃい最後の締めくくりでえ、ブルーベル将軍腹を抱えて笑ってたわよぉ」


 綺麗な形の爪に真紅のマニキュアを塗りながら、マリオンがケラケラ笑いながら言う。


「あんな状況の中で笑ってられんのは、将軍くらいなもんだろう。神経が丸太並だからよっ」


 ビールをひっかけながらギャリーが言うと、食堂のあちこちから頷きが返ってきた。

 葬儀の中でキュッリッキが召喚の力を使い、呼び出した巨人には驚愕ものだった。これまで様々な奇跡を見せてくれたり、フェンリルやフローズヴィトニルなどの巨狼も目の当たりにしたし、フリングホルニではロキという名の神まで見せられた。今更何を見せられたって驚くものか、そうライオン傭兵団の皆は思っていた。

 しかしあの3体の巨人には、圧倒的な威厳を感じ、キュッリッキに声をかけることすら憚られた。壇上だけ別の世界の出来事になっているような、そんな錯覚さえ覚えるほどに。

 ところがである。

 3体の巨人が消えたあと、現れたのはベルトルドとアルカネットの幽霊。

 昨日フリングホルニで死闘を演じ、その死を見届けたばかりだというのに、もう化けて出てきているから、驚くよりも何故か腹が立っているライオン傭兵団の面々だ。しかも、死んで幽霊となっても、相変わらずの高慢で傲慢な居丈高で高飛車な上から目線の態度。それがより怒りを煽っている。

 さすがに幽霊の出現は、召喚の力によるものじゃないだろう。


「あのオヤジども、死んでちょっとは悲しい、とか思って損したぜ」

「化けて出てきちゃうほど、キューリちゃんが大好きすぎたってことだね」


 ザカリーを宥めながら、ルーファスはにっこりと笑った。

 キュッリッキを抱きしめている時のベルトルドの幸せそうな顔を思い出すと、気持ちが表れすぎて、切ないほど微笑ましい。キュッリッキにだけ見せていた特別な笑顔。本当に心の底から、愛していたんだとよく判る。それだけに、キュッリッキを傷つけ、死んでいったことが悔やまれた。


「なあ、巨人やおっさんたちとキューリが話してた、飛行技術を返せってのなんだ?」


 ザカリーは思い出したように誰にともなく言うと、カーティスは頷きながら座り直す。


「フリングホルニに向かう前に、リュリュさんから今回の事件の発端を話してもらった内容は、覚えていますね?」

「ああ。リュリュさんの姉貴が飛行技術を思いついて、それで神に殺されたって」

「ええ。ベルトルド卿はその飛行技術を、人間たちの手に返してもらうために、今回のような無茶なことをしでかしました。でも、志半ばで、我々に阻まれて失敗しましたよね。しかしその意思はキューリさんに引き継がれ、キューリさんは神々に訴え、飛行技術は人間たちの手に取り戻すことができた、ということです」


 それまで愚痴や酒に意識を傾けていた皆が、カーティスに視線を向ける。


「私は魔法〈才能〉スキルを持っていますから、空を飛ぶことは自由自在です。不便を感じたことはありません。だから、魔法や超能力サイ、アイオン族以外の人間たちが空を飛べないことを、不思議だと感じたことがないんです」


 紅茶を一口すすって、カーティスは肩で息をつく。


「1万年前の出来事というのは、リュリュさんからの話でしか判りません。人間たちから飛行技術を奪って、それを不思議にも思わせないようにしていた神々の意思もよくわかりません。けど、ベルトルド卿はあらゆる犠牲を払ってでも、それを取り返そうとした。皮肉にも、傷つけた少女の手により飛行技術は取り返される結果に」


 あれだけ溺愛していたというのに、傷つけてまで成そうとした。そして、命を賭して成就した。

 あんなことまでして取り返した飛行技術が、この先人間たちにどんな幸運や不幸を与える事になるのかカーティスには興味がない。取り返せたといっても、今日明日にすぐ結果が出てくるわけではないからだ。

 もしかすると飛行技術はついでで、リューディアという人の願いを叶えたいだけに無茶をしたのだ。そうカーティスは解釈しようとした。あのベルトルドにそこまでさせるリューディアという存在に、カーティスは若干の興味を惹かれた。しかし今となっては所詮儚い人たちになっている。

 自身が死ぬことを想定して、事後処理や諸々をリュリュに託していたことがなんとも言い難い。死ぬつもりでやっていたのかと思うと、何故か殴りたい衝動に駆られる。

 最後まで無茶苦茶を押し付けられたが、ベルトルドがライオン傭兵団に遺してくれた金銭的なものは、計り知れない額である。それに今後リュリュが後ろ盾となり、軍や行政との渡りもつけてもらっている。仕事の依頼も変わらず困ることはなさそうだ。

 非道な態度を見せつけられた割には、細かいところまで気遣いが行き届いている。心底憎めないのが残念だった。なんだかんだ言われながらも、ベルトルドに守られていたのだ。

 カーティスはずっと、ベルトルドが目の上のたん瘤だった。

 自分で作ったライオン傭兵団を私物のように扱い、偉そうに口を出してきて仕切る。、迷惑この上ない仕事まで、遠慮の欠片もない態度で押し付けていく。断りたいのに断れない、ジレンマと戦う4年近くだった。

 ベルトルドと決別したくてしょうがなかった。それが、念願かなって死んで関わりを断ってくれた。それなのに心は晴れ晴れとせず、やりきれないイヤな重みがのしかかっていた。

 でも――。無事葬儀も済んだし、イララクス復興に伴ってアジトの再建も行う。明日から気持ちを切り替えていかなくてはならない。

 自分たちはこの先も、生きていくのだから。


「発端となった飛行技術云々も無事解決を見たようですし、我々はアジトの再建と仕事を再開していかなければなりません。明日から土地買収の交渉やギルドとの連絡、忙しくなりますよ」


 カーティスの笑みを受けて、皆ニヤリと口の端を歪める。

 いつまでもしんみりムードはライオン傭兵団には似合わない。ベルトルドとアルカネットは死に、葬儀で化けて出た2人があの世へと旅立つのをきちんと見送った。今日は2人への愚痴を散々言い合って、それで彼らのことは思い出に仕舞い込む。

 皆が気持ちの向きをそう変えていたとき、ルーファスはふと気がつく。


「そいえば、さっきからキューリちゃんとメルヴィンが見えないけど、部屋にいるのかな?」

「いや、あいつらはゼイルストラ・カウプンキに行ったらしい。2,3日留守にするってよ」


 ギャリーが答えて、ルーファスは眉をひそめた。


「自由都市になんで?」

「ゼイルストラはベルトルド卿たちの故郷なんですよ。リュリュさんに連れられて行ったようです」


 お墓はそこにたてるそうです、とカーティスが言った。


「そっかあ…」


 ぽつりと呟き、ルーファスはため息をつく。


「自由都市はエグザイル・システムがなかったよね。昨日の今日で、キューリちゃん体調大丈夫かな」

「リュリュさんとメルヴィンがついてますし、疲れると思いますが大丈夫でしょう」

「うん、そうだね」

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