「やれやれ、我らをこんな場所に呼び出すとは、相変わらずキュッリッキは突拍子もない子だね」
なんだか嬉しそうな表情で、ロキ神が笑った。
「ごめんなさい」
肩をすぼめて、キュッリッキは素直に謝る。そして真ん中に立つ初老の男を、喉を反り返して見上げた。
「お久しぶりです、ティワズ様、トール様」
「キュッリッキよ、何用じゃ」
大地も海も震わせることのできる、雷のようなずしりとした声でトール神が言い放つ。
ティワズ神は優しい瞳でキュッリッキを見つめ、小さく頷いた。
「今日はね、ティワズ様とトール様にお願いがあるの。そして、ロキ様はその証人になってもらうの」
「なんじゃとぉ?」
モップのようにゴワゴワと垂れ下がる黒い眉毛の下から、紫電の光をまとわりつかせた漆黒の瞳が、ギョロリとキュッリッキを見据える。
「証人かあ、それは面白そうだね」
対照的に明るい青い瞳のロキ神は、人懐っこい笑顔をトール神に向けた。
「まずはトール様。そこにいるリュリュさんに、いっぱい謝って!」
少しも怯まないキュッリッキが、細い人差し指を呆気にとられているリュリュに向ける。
「なぜ儂が、あの人間に謝らねばならん?」
トール神は不思議そうに目を瞬かせた。
「トール様のミョルニルが、リュリュさんのお姉さんを殺したからだよ」
リュリュはハッとなってキュッリッキを見つめ、次いでトール神を見上げる。
「人間たちの世界でいうと、31年前にキミが一発振り下ろしたあの雷だね」
思い出せずにいるトール神に、ロキ神が嫌味っぽい笑みを口の端に乗せて言った。
「……ああ、禁忌を犯そうとした、あの娘のことか」
「そうそう、キミの咄嗟の判断で殺してしまった人間。そのせいで後になって我らの可愛いキュッリッキが、大迷惑を被ることになったんだよ」
「なにィ!?」
「アタシの大迷惑なんかどうだっていいのっ!! ちゃんと謝って、トール様!」
「ぐぬぬ…」
「ほらほら、謝りなよトール。じゃないと、キュッリッキに嫌われちゃうよ?」
「嫌っちゃうよ」
ロキ神とキュッリッキに畳み掛けられ、トール神は巌のような体躯を不快そうに揺すった。そして、ずっしりと鈍い動作で片膝を折ると、真っ黒な双眼でリュリュを見据えた。
「命を奪ったことは謝る。すまぬ」
あまりにもサックリと素直に謝られ、リュリュは目をぱちくりさせて硬直した。
神が非を認めて、人間に向けて謝った。
目の前の巨人が、神であるということはイマイチ理解できていないまでも、なぜかリュリュは納得してしまっていた。謝ってもらったところで、リューディアは帰ってこないし、31年の時間も巻き戻ってこない。それでも、理不尽に姉を殺した真犯人が謝ったことで、ほんの少し、色々なことが報われたような思いも去来していた。
「あっはははは。神だって人間に謝ることあるんだよ。あのことは、やり過ぎだったって、トールも反省するトコがあったからね」
「そうなの?」
「ああ、対処法は色々あったのに、反射的に雷落としちゃったんだ。飛行技術をほかの人間の目に触れさせる前に、焼き捨ててしまおうとして、人間ごと…ネ」
意外そうにするキュッリッキに、ロキ神が苦笑を滲ませ説明する。
「神でも、過ちはおかすものなのさ。でも、その過ちのせいで、後々キュッリッキが大変な目に遭ってしまって、キュッリッキにも謝らないといけないな、トールよ」
「むぅ…」
「アタシには謝らなくっていいよ。――ティワズ様には、お願いがあるの」
先程から一言も発さないティワズ神に向いて、キュッリッキは真剣な眼差しを注いだ。
「人間たちに、飛行技術を返して欲しいの」
リューディアの純粋な願い、ベルトルドの悲願。
「……1万年前の悲劇が、再びこの世に訪れるやもしれぬぞ?」
低く優しさの溢れる声が、キュッリッキにそっと降り注ぐ。
「そなたもユリディスから見せられたであろう、1万年前の世界の有り様を。そして、彼女が被った悲劇を」
「そうだよキュッリッキ。人間たちは好奇心旺盛で、発明も開発も大好きな生き物だ。けど、それは時として負の副産物を撒き散らす。ただ自由に空を飛びたかった、それだけの願いも、邪な企みを抱く人間の手にかかれば、命を奪う兵器にもなる。欲望を満たすためだけの道具にだって成り下がるんだ」
ティワズ神とロキ神から穏やかに反対されたが、キュッリッキはキッと目に力を込めて神々を見上げる。
「だったら、悪いことに使うようになったら、また人間たちを作りかえちゃえばいいじゃない!」
両手を腰に当てて、キュッリッキはふんぞり返る。かなりの爆弾発言だ。
1万年前の出来事に端を発し、その後の人間たちは自由に空を飛ぶ権利を、理不尽に奪われてしまった。閃きすら叩き折られてしまったのだ。
「アタシ難しいことはさっぱり判らないけど、空が飛べなくったって戦争も殺人も起きるんだよ。それに、魔法や
「……まあ、確かにそうだね…」
足元の小さなキュッリッキの気迫に、思わず引き気味にロキ神が頷く。
「ユリディスの一件があったから、人間たちの能力を限定したって聞いた。そうまでしたのに、飛行技術だけ奪うの、おかしいと思うの。
翼を持つアイオン族。本来自由に飛べる民だから、青い青い空も思いのまま羽ばたける。キュッリッキもアイオン族だから、その翼で空を飛べるはずだった。
人間たちの貪欲な手から逃すため、アルケラの巫女として生まれてきたキュッリッキの背から、片方だけ翼が取り上げられてしまった。
空に憧れて、飛んでみたくて、飛行技術を閃いたリューディアは、命を摘み取られてしまった。
どちらも、神々の思惑によって。
「ベルトルドさんは、リューディアの願いを叶えてあげたかったの。アルカネットさんはリューディアを返して欲しかったの。すごく無茶苦茶なことしたけど、でもでも、2人とも想いは純粋だったの。ただやり方がちょっと悪かっただけ。――お願い、ティワズ様、ベルトルドさんの、リューディアの願い、聞き届けて!」
キュッリッキのまっすぐな視線を、ティワズ神はじっと見つめ返した。トール神もロキ神も、ただ黙ってティワズ神を見つめた。
ライオン傭兵団も、大広場の人間たちも、黙って見守っている。
静かな時間が、大広場をゆっくりと流れていった。
やがて、ティワズ神は目を閉じて顎を引き、そして目を開いてキュッリッキを見つめた。
「次に閃く者が現れたとき、我々は黙って成り行きを見守ろう。キュッリッキよ、そなたが死して後、いつか生まれいでる巫女が、その運命に絡め取られたとき、どうするかは、そうなったときに検討しよう」
「ティワズ様……」
花開くような笑みが、キュッリッキの顔に咲いていった。
「ありがとう、ティワズ様」
ティワズの衣の裾にすがり、キュッリッキは喜んだ。
「やっぱりティワズは、キュッリッキに甘甘だね。――この件に関しては俺が証人だ。ついでに、トールもだぞ」
「ふんっ」
意地の悪い笑みを浮かべるロキ神を、トール神は忌々しげに睨みつけた。
「さてキュッリッキ、俺たちもう帰ってもいいかな?」
ロキ神に優しく言われ、キュッリッキは頷いた。
「落ち着いたらアルケラに遊びにおいで。沢山、話をしよう」
「はい、ティワズ様」
キュッリッキの了解を得たロキ神は、巨大な漆黒の翼を生やし、その翼でティワズ神とトール神を包み込んだ。そして黄金の光に包まれると、神々は光の粒子を残してその場から姿を消した。
「良かった」
キュッリッキが微笑んだ時、再び大広場がどよめいた。
「うん?」
なんだろうと後ろを振り返ると、キュッリッキは大きく目を見張った。
「えっ? ベルトルドさん、アルカネットさん?」