あれほど酷い目にあわされたのに、裏切られたのにもかかわらず、キュッリッキはベルトルドを憎むことができなかった。
それは、酷いことをされた以上に、深く深く愛されていたからだ。
生まれて初めて「愛している」と言ってくれたのは、ベルトルドだった。
ファニーやハドリーとは、友愛を育んできたが、それ以上の愛をくれたのは、ベルトルドが初めてだったのだ。
親や同族から捨てられ、忌み嫌われ、人間から愛などもらったこともない。
ずっと、自分にだけ注いでくれる愛が欲しくて、愛に飢えていた。愛されることがどんなに幸せなことなのか、知りたいと願っていた。
血のつながりもない、なんの関係もなかったのに、ベルトルドは優しさと愛を惜しみなく注いでくれて、世界中で一番愛されている女の子にしてくれた。普通の女の子のようになれた。
ベルトルドが愛をくれたから、だからキュッリッキは愛を知った。そして、メルヴィンに恋をすることができた。
誰も気づいてくれなかった、与えてくれなかった全てを、ベルトルドはくれた。
労わるように、優しく見つめてくれるメルヴィンの手を、キュッリッキは両手でしっかりと握った。初めて恋をした人、異性を感じ、愛した人。この人と共に、ずっと生きていく。
ベルトルドから向けられる恋愛を、キュッリッキは受け入れなかった。それは、すでに父親の愛だと認識してしまっていたからだ。アルカネットからの愛も、ベルトルドからの愛も。
神への復讐のために、キュッリッキの全てを傷つけた事実は許されない。でも、それ以上に与えられた愛が、キュッリッキの心から、憎む気持ちを拭っていた。
室内に大きく轟く咆哮。聴いたこともないような声であり、重く響く、悲しげな音も含んだ声。
呪いの力を受け、白銀の鱗を持つ、巨大なドラゴンとなったベルトルド。その背には翼が生えているが片方のみだけで、鳥の翼のようである。その翼は漆黒の色をしていた。
それに気づいたシ・アティウスが、震えるような声で呻く。
「やはりそうか、そうでしたか」
そばに集まっていたライオン傭兵団は、怪訝そうにシ・アティウスを見る。
「なるほど、なるほど、完全に合点がいきました。シグネから確証を得てはいたが、これを見れば納得できます」
「何に、合点がいったんで…?」
首をかしげるギャリーに、シ・アティウスはニヤリと笑ってみせる。
「ベルトルドとアルカネットの正体ですよ」
ライオン傭兵団の皆は、咆哮を上げ続ける白銀のドラゴンに目を向け、再度シ・アティウスを見た。
「正体って…まさか、人間じゃなかったんです~。とか言うんじゃ…」
どっからどう見ても、あれじゃ人間じゃないし? とザカリーはぼやく。
「あのドラゴンの姿は、キュッリッキ嬢の説明であったように、ユリディスの力によるものでしょう。私が言いたいのは、彼らのルーツのことです」
眼鏡のレンズをおし上げながら、シ・アティウスは教壇に立つ教師のような口調で説明を始めた。
「あの二人は
「うん。威力は多分Aクラス並だと思うけど、空間転移まで使いこなすんだからビックリしたよー」
ルーファスが肩をすくめる。
「ベルトルドが使う
はああああ!? とタルコットとヴァルトが揃って声を上げた。
空間転移を応用して、剣を召喚してきているわけではなく、魔力で生み出されていた無数の剣。
「つまり、アレか? 二人共魔法と
「そういうことですね」
ギャリーに深く頷き、シ・アティウスはドラゴンに目を向け、アルカネットの遺体にも目を向ける。
「二人のあの翼、漆黒の色をしているでしょう。あれは紛れもなく、アウリスの血によるものです」
アイオン族の始祖の名を、アウリス・ラッセ・フルメヴァーラという。
イルマタル帝国を治めるフルメヴァーラ家は、アイオン族の始祖アウリス皇帝の直径の血筋らしい。現在ヴィプネン族の統一国家を治めるハワドウレ家と違い、フルメヴァーラ家は1万年以上の遥か昔から続くと言われている。
「アイオン族の始祖アウリスは、神と人間の混血により誕生したと言われています。アイオン族は白い翼を基本としますが、アウリスに流れる神の血の影響により、アウリス自身は漆黒の翼だったそうです。そのため、暫くはフルメヴァーラ家でも稀に、漆黒の翼を授かる者も生まれてきました。アウリスの血が濃く継がれたと、尊ばれる象徴でもあったと」
「御大とアルカネットは、そのフルメヴァーラ家の血を引いてる、てことか?」
リュリュから聞かされた話では、思いっきり庶民の家の出だった気が、とギャリーは首をひねる。
「アウリスは末永く、イルマタル帝国が自らの血を引く者で治められることを願い、フルメヴァーラ家に、ある儀式を義務付けました。今後、帝位に就く者は、必ず自分の裁定を受けなければならない、というものでした」
新たに帝位に就くとき、必ずアウリスを死後の世界から呼び戻し、その者が正しくアウリスの血を継いでいるかを、アウリス自身が見定める。帝位交代の度に、その儀式は行われていく。
「しかしその儀式を疎ましく思う者が現れ、アウリスを蘇らせる儀式に邪魔が入りました。それでもどうにかクーデターをおさめ、正しき血を継ぐ者が帝位に就きましたが、その時をもって儀式はなくなり、蘇ったアウリスはイルマタル帝国から消え、惑星ヒイシに降り立ったといいます。そこでアイオン族の女との間に子を成し、その血がベルトルドとアルカネットに受け継がれたわけです」
「……よく、そんなに詳しいことを知っているんですね……」
カーティスにぽつりと言われ、シ・アティウスは僅かに得意げな笑みを浮かべた。
「あの二人の化物じみた力のルーツを、ずっと探っていたんです。かなり遠いご先祖が、共通なのですよ、あの二人の母親は。隔世遺伝というやつですね。ベルトルドもアルカネットも、元はそれぞれ
シ・アティウスの話を聞いて、キュッリッキは小さなため息をつく。
もしも、二人が人外の力を持って生まれてこなければ、そんな先祖を持たなければ、リューディアを目の前で失ったとしても、今のような状況にはならなかったかもしれない。あれほど強力な力を持ってしまったばっかりに、神へ復讐するなどと、決意させてしまったのだ。
(そんなことを今更思っても、詮無いことだけど…)
ドラゴンとなったベルトルドは、ずっと咆哮を続けていた。
苦しみ悲しんでいる、とキュッリッキには伝わっている。アルカネットを失い、激しい悲しみの中、ああして咆えるしか術がないのだと言わんばかりに。
神々と幻想の住人たちの住む世界アルケラには、ドラゴンは当たり前に存在している。しかしこちらの人間世界では、伝説上の化物だ。
(ユリディスの呪いを解いて、元の姿に戻さなきゃ。いつまでも、あんな姿のままにしておくわけにはいかないもん)
悲しみの連鎖を終わらせる。
キュッリッキは厳しい眼差しを、ベルトルドにひたと向けた。