「いやぁ~、ラクチン~、ラクチンっ」
ふかふかな黒い毛並みに座り、マリオンは鼻歌を歌いながら上機嫌に笑う。それにつられるように、タルコットも深々と頷いた。
「始めっからこうしていたら、もっと早かったんだよ」
「うるさいぞーオマエタチ! キュッリッキの命令じゃなかったら、絶対乗せてなんてやらないんだからナー」
フローズヴィトニルは大きな狼形態になって、その背にマリオン、タルコット、ヴァルト、ランドン、ブルニタルを乗せている。
「文句言わないの!」
前を向いたままのキュッリッキに叱られて、フローズヴィトニルはブスッと眉間に皺を刻んだ。
レディトゥス・システムからキュッリッキを救い出し、フェンリルも救い出したメルヴィンたちは、状況が把握できないアルカネットサイドのほうへ、急いで向かっていた。
キュッリッキの命令で、フェンリルとフローズヴィトニルは大きな狼の姿に戻り、それぞれライオンのメンバーと、シ・アティウスを乗せて走っていた。
「ナビゲートは、その……いりませんか?」
フローズヴィトニルに乗ってるブルニタルが、恐る恐る誰にともなく問いかける。
「問題ない。あの男の気配を辿っている」
「は、はい」
フェンリルの低い声が応じて、ブルニタルは思わず背筋を伸ばした。いつもの仔犬姿のフェンリルに見慣れていて、しかも喋るものだから、ブルニタルは調子が狂う思いでひっそりとため息をついた。以前ナルバ山で狼形態に乗せてもらったことはあるが、さすがに怖い、と思ってしまうからだった。
フェンリルの言うあの男とは、急に姿をくらませたベルトルドのことである。
まさにメルヴィンの息の根を止めようとしていた矢先、突如空間転移で動力部から姿を消してしまったのだ。そのベルトルドはアルカネットのほうへ行っており、そちらは大パニックに陥っているらしい。
マリオンがあちらのメンバーと連絡を取ろうと念話を試みていたが、ノイズが激しく、また、ルーファスも混乱していて送受信できないという。
化け物級の二人が集えば、それは大パニックになるだろう。
無駄に広すぎる艦内の通路を風のように駆け抜け、目的地に到着する。
「着いたぞ」
エグザイル・システムの部屋へ飛び込んだフェンリルとフローズヴィトニルは、思わず急ブレーキをかけて立ち止まった。その拍子に、シビルが前に投げ出されて、床をコロコロと転がる。
「うにゃ~~ん、キューに止まらないでくださいよー」
「いや、それどころじゃねーし」
「はえ?」
軽く頭を振って見上げると、すぐそばにザカリーが立っていた。そのザカリーが向けている目線を辿るように前方に目を向け、シビルは尻尾を逆立てて仰天した。
「ンなっ! なななななななんですかアレ!?」
タルコットもランドンも、思わず目を見張ってそれを凝視した。しかし、ヴァルトは目をキラキラさせながら、勢いよくフローズヴィトニルから飛び降りる。
「でっけートカゲ!!」
「しかもぉ、プラチナで出来てるじゃなあ~ぃ、あの鱗ぉ」
マリオンも目をキラキラさせながら、胸の前で手を合わせた。売れば一枚いくらだろう、とその目が物語っていた。
「オメーらの発想は、どこのベクトルを向いてやがんだええ!?」
大声でギャリーに怒鳴られて、ヴァルトとマリオンは口を尖らせる。急いで駆けつけてきたが、どうやら元気そうだ。
「あら~ん、生きてたのぉ」
「ったりめーだ!」
「なーよ、アレまじでなんだ?」
呑気そうにヴァルトが言うと、ギャリーは肩をすくめる。
「御大だ」
「へ?」
ヴァルトとマリオンは揃って固まった。
フェンリルの背に乗りながら、メルヴィンは呆気にとられて、目の前の状況を見つめていた。しかしキュッリッキは、床に倒れているアルカネットに気づいて顔を蒼白にすると、フェンリルから飛び降りて、転げるように駆け出した。
「リッキー?」
それに気づいて、メルヴィンも慌ててフェンリルから飛び降りて追いかける。
キュッリッキはアルカネットの傍らに座り込み、そして両手で口を塞いだ。
(アルカネットさん……)
追いついたメルヴィンは、アルカネットの遺体を見下ろし絶句した。
目を剥いたまま、血まみれで死んでいる。胸には大きな穴があいていて、見るも無残な有様だ。
神を引っ張り出さないと倒すことができないとまで言われた、世界最強の魔法使いの成れの果てである。穴の大きさと怪我の具合から、ガエルの拳に貫かれたということは判る。どれほどの死闘を繰り広げたのだろうと、メルヴィンは離れたところで腕を組んでいるガエルを垣間見た。
戦いのことに思いを馳せるメルヴィンとは違い、キュッリッキの脳裏には、この数ヶ月の間、アルカネットと過ごした日々が思い起こされていた。
美しく整った顔立ちに、柔らかな笑みを浮かべ、優しい声音で丁寧な話口調。初めて出会ったとき、とても好印象を持った。ベルトルド邸の執事ということだったので、執事イコールおじいさん、のイメージを払拭もしてくれた。
ベルトルドやライオンの仲間たちを前に向ける表情には、厳しいものや嫌味のようなものも含まれていた。それでも、キュッリッキに向けてくる表情は、心底優しく、全てを受け入れ包み込んでくれている、常にそんな雰囲気をまとっていた。
出会って数ヶ月足らずの間だったのに、もう何年もそばで守ってくれていたような気がしてならない。
震える手を伸ばし、頬にそっと触れる。顔も髪も血でドス黒く汚れていて、髪の毛と同じ色をした瞳は、なんの光も宿していなかった。
アルカネットの瞼を閉じようと、キュッリッキは両手に力を込めた。
どうにか瞼を閉じてやると、いくぶんか、優しかった頃のアルカネットの顔に見えてきた。
――リッキーさん。
今もまだ鮮明に、耳に残る。愛称を呼ばれると、胸が温かくなるほど嬉しかった。
自分に振り向けてくれた、優しいあの笑顔が忘れられない。
常に優しく名を呼んでくれた、あの穏やかな声が忘れられない。
キュッリッキの知っているアルカネットは、優しい優しい人だったのだ。
その優しさが、かつてアルカネットが心の底から愛した少女リューディアに、自分の容姿が似ているから、重ねていただけだと。それだからだと、判っていても。
リューディアを殺した神の巫女である自分に、憎しみも抱いていたと知っても。
(こんなふうに、死んで欲しくなかったの…)
あの優しかったアルカネットが戻ってきてくれたら、また仲良く出来たはずだ。父親のように甘えられたはずだから。だから、死んでほしくは、なかった。
でも、それを口に出して言うことはできない。メルヴィンたちと同じように、ガエルたちもまた、自分のために命懸けで戦ってくれていたのだ。
アルカネットも、自分自身のために戦った。その結果が、この死である。
感傷を振り切るようにキュッリッキは手の甲で涙を拭って、毅然と顔を上げる。
もうひとり、救いたい人がいる。
「ベルトルドさん…」
立ち上がるキュッリッキのそばに、察したようにフェンリルとフローズヴィトニルが寄り添う。
「キュッリッキ嬢、アレは、ベルトルドですか?」
フェンリルの背から降りていたシ・アティウスは、パネルを小脇に抱えながら歩いてくる。いつも冷静なこの男にしては、僅かに声が上ずっていた。
「うん」
振り向かずに短く肯定すると、キュッリッキは悲痛そうに眉を寄せた。
「悲しみで、我を忘れちゃったんだね…」
「我を忘れて、あんなモンになるのか? 普通」
キュッリッキの言葉を受けて、ガエルが素っ頓狂な声を上げた。
「ユリディスの呪いの力に、取り込まれちゃったんだよ」
きっぱりとキュッリッキが断言する。
「ほほう」
興味がひかれたように、シ・アティウスはキュッリッキを見る。
「レディトゥス・システムに閉じ込められたユリディスの力が、システムが設置されたことで、このフリングホルニのすみずみまで行き届いてるの。アルケラの門を開かせないために、巫女を殺すための呪いの力」
今のキュッリッキには、全て判っている。ユリディスが教えてくれたから。
「前にナルバ山の遺跡で、アタシ化物に襲われたでしょ。アレを作り出したのも、ユリディスの呪いなの」
「脂ギッシュで、キモイバケモンだったな!」
両手を腰に当て、ヴァルトがうんうんと頷く。今も忘れない、破裂した身体から飛んできた内蔵を、思いっきりひっかぶったことを。
「テメーはなんもしてなかったろーが」
すかさずギャリーがツッコんだ。
「あの化物は、元は1万年前の、神王国ソレル最後の王クレメッティが核になって生まれたの。ユリディスを酷いめにあわせて、世界を崩壊へと導いた愚王。――化物を生み出すためには核が必要になるから、ユリディスはクレメッティ王の魂を捕らえて、1万年もの間、クレメッティ王に遺跡を守らせた。でもあの化物はみんなが倒しちゃったでしょ。だから、ユリディスの呪いの力は、今度はベルトルドさんを取り込んじゃったの」
悲しみで我を忘れたベルトルドに、呪いの力が反応した。
呪いの力は無作為に働くわけではない。アルケラに強く執着し、そして自我を失った者を捕らえる。
クレメッティ王は狂気じみた神経をしていた。そして、誰よりもアルケラに対する執着心が強かった。ベルトルドも神への復讐心が強く、アルケラに執着していた。アルカネットを失ったことにより、自我をとどめていた箍が外れた。そこにつけこまれたのだ。
「アルケラの巫女ってね、授かった力がみんな違うものだったの。アタシにはナイけど、歴代の巫女には予知能力と、それぞれ違う力。ユリディスは核にアルケラから召喚した力をまとわせて、化物に変える力が与えられていた」
そんな力を忌んで、呪いだとユリディスは言っていた。
「呪いを解く方法……、元に戻す方法は、ないんでしょうか?」
シ・アティウスの問いかけに、キュッリッキは顔を俯かせる。
「自我を取り戻させれば、なんとかなる、……かも」
アルカネットの遺体に目を向け、前歯で下唇を噛んだ。
(死なせたくない)