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146話:フェンリル救出・前編

「良かった、無事でいてくれて、本当に良かった……」


 安堵を吐き出すように、メルヴィンはそっと言った。

 腕や手に伝わる、キュッリッキの柔らかな温もりを久しく感じる。やっと助け出すことができて、こうして再び腕にだくことができて、本当に良かったと心の底から思う。

 キュッリッキは、メルヴィンの肩に顔を伏せて、小さく泣いていた。


「リッキー……」


 囁くように呼ばれ、キュッリッキは伏せていた顔を上げた。


「ごめん……ね、メルヴィンごめんな……さい…」


 しゃくり上げながら、たどたどしくキュッリッキは謝った。こうしてメルヴィンに抱かれているのに、罪悪感が後から後から沸き上がってくる。まともに顔を見ることさえできなかった。


「オレのほうこそ、ごめんなさい。守ると言っておきながら、いつも守りきれていなくて……」


 悔しさを滲ませて、メルヴィンは目を伏せた。何故こんなに苦しい思いをさせたあとで、助け出す羽目になるのかと、自分の不甲斐なさを責めた。しっかり守っていれば、傷つけることもなかったのに。


「メルヴィン悪くないんだよ、だって、ちゃんと助けに来てくれたもん」

「いえ、あの時アジトでオレが意識を失ったりしなければ、リッキーを奪われることもなかったはずだから」


 あの失態は、今もメルヴィンの心に深い後悔を刻んでいる。キュッリッキを抱く手に、無意識に力がこもった。

 メルヴィンは強い。しかし、ベルトルドはもっと強い。〈才能〉スキルの種類が違うこともあるが、ベルトルドの力はもはや出鱈目の領域だ。戦闘〈才能〉スキルのメルヴィンとでは相性が悪いのだ。

 こんなふうに後悔させてしまい、キュッリッキは自分の軽率な行動にこそ、責任を感じている。安易にベルトルドを信じて、身をあずけた結果が招いたことなのだ。そしてベルトルドに辱められたこともまた、自分の油断が全てだと思っている。

 ベルトルドの顔を思い出し、ベルトルドが自分の中に入ってきた時の感触を思い出して、キュッリッキはふいに身を固くした。


「リッキー…」


 メルヴィンはキュッリッキを見つめると、額にそっと口づけた。そして、頬にも口づけた。


「メルヴィン?」


 キュッリッキが不思議そうに顔を上げると、今度はその唇にそっと口づけた。

 瞬きながら見つめるメルヴィンの目は、優しく真摯な光をたたえていた。


「リッキーが汚れたと感じたところは、オレがこうして消毒しますから。だから、もう泣かないでください」


 たっぷりと間を置いたあと、キュッリッキの顔は瞬時に真っ赤に染まった。


「えと、えと」


 メルヴィンの言わんとしていることを理解し、全身から汗が噴き出す。


(それってつまり、それってつまり……)


 真っ赤になるキュッリッキに、メルヴィンはニッコリと笑いかけた。


「あー……お2人さぁん~、せっかくの2人っきりぃの世界の中で申し訳ないんだけどぉ、なぁんか、あっちのほうが、激ヤバなかんじなのぉ」


 マリオンが眉間に縦ジワを刻みながら、こめかみに指を当てる。


「何かあったんです?」

「ルーたちのほうが、なんかヤバ~イ展開になってきてるみたい。向こうも混乱しててぇ、うまく通信出来ないわぁ」


 マリオンの超能力サイレベルはAAランクである。普段間延びしているが、〈才能〉スキルは最高レベルだ。


「マリオンさんでもよく判らないってのは、マズイかもですね。我々も向こうに合流しないと」


 シビルが尻尾をフサフサ揺らしながら提案した。キュッリッキを無事救出できた、ここでやることはもう終わっている。


「ちょっと待ってよーーー!!」


 突然、子供のような声が、大きく室内に響き渡った。


「フェンリル助ける約束、ちゃんと守ってよ!」


 緊張感のない声が、それでも怒りを顕に滲ませている。フローズヴィトニルだった。


「キュッリッキ助けたんだから、今度はフェンリル助けて!」

「そうだわ、フェンリル助けなくっちゃ」


 キュッリッキもハッとすると、少し離れたところにいたシ・アティウスに顔を向けた。


「シ・アティウスさん、フェンリルどこにいるのか知らない?」


 突然話を向けられたシ・アティウスは、クイッと眼鏡を押し上げると、小さく頷いた。


「ちょっとお待ちください」


 手にしている立体パネルを操作しながら、シ・アティウスは誰にも気づかれないほどの、小さな笑みを口元に浮かべた。

 キュッリッキが無事レディトゥス・システムから助け出されたことが、実はとても嬉しいのである。

 アルケラをこの目で見たい、神という存在を知りたい。そういう興味本位からベルトルド達に手を貸してしまったが、ベルトルドの腕に抱かれたキュッリッキの絶望した顔を見た時に、激しく後悔したのだ。

 初めてナルバ山の遺跡で出会った時から、これまで密かに観察してきた。

 重い過去を背負いながらも、くるくると愛くるしい表情を浮かべるこの美しい少女が、シ・アティウスは大好きだった。メルヴィンと恋人同士になってから、ますます良い表情をするようになった。

 恋愛感情などは一切ナイが、自分の子供を見ているような気分に浸ってしまうのだ。家庭など持っていないし子供もいないが、父親とはきっとこんな気持ちなのだろうと、つい思ってしまう。

 この短い時間で、レディトゥス・システムの中で何があったのだろう。目が自然と追いかけてしまうほど、素敵な顔になっている。まだ全てを乗り越えたわけではないだろうが、今まで以上に惹きつける魅力をたたえていた。


「フェンリルの声が全然聞こえないんだ、どうしちゃったんだろう、早く探してよー」


 勝手に狼の姿に戻っていたフローズヴィトニルは、仔犬の姿に戻ると、メルヴィンに抱かれているキュッリッキの腕の中に飛び移った。

 その瞬間ズシッと重みが増し、メルヴィンの表情が小さく歪んだ。


「グレイプニルっていう特殊な縄で縛られちゃってるの。そのせいで、意識を失ってたから、フローズヴィトニルともコンタクトとれないのね」


 キュッリッキは困ったように、腕の中のフローズヴィトニルに溜息をついた。


「ここに転送します」


 そう言って、シ・アティウスはパネルのボタンを押した。すると、シ・アティウスの足元に、フェンリルが横たわったまま姿を現した。


「フェンリル!」


 レディトゥス・システムの台座の上に転送されてきたフェンリルに、フローズヴィトニルが飛び乗って、前脚でフェンリルの顔を叩く。


「起きてー、フェンリルってばー」


 キュッリッキはおろしてもらうと、フェンリルのそばに膝をついた。


「フェンリル……」


 白銀の毛並みに、蛇のようにぐるぐると巻かれた黒い縄。触れると縄は、まるで鋼のように硬い。掴んで引っ張ってみるが、まるで表皮に吸い付いたように、ぴくりとも動かないのだ。


「一体どうやって外せばいいのかな…」


 シ・アティウスを見上げるが、頭は横に振られた。

 唇を尖らせて縄を睨みつけていると、


「オレが爪竜刀で斬ってみましょうか」


 メルヴィンが爪竜刀の切っ先を、グレイプニルに当てる。


「ダメ、メルヴィン。そんなことしたら、フェンリルが怪我しちゃう」

「え、あ、すみません……」


 メルヴィンはすぐに爪竜刀を引っ込めると、申し訳なさそうに肩をすくめた。

 暫くグレイプニルを見つめていたキュッリッキは、小さく頷いた。


「ちょっと、意識をリンクしてみるね。フローズヴィトニル、手伝って」

「わかったあ!」


 フローズヴィトニルはキュッリッキの肩に飛び乗り、頭の上に前脚を置いて、肩の上に立ち上がる。


「いつでもいいよ~」


 尻尾をフサフサ揺らしながら、ご機嫌丸出しの声をあげる。


「このグレイプニルを作らせた巫女の記憶に、直接アプローチして方法を探すわ」


 驚きでどよめくみんなの声を黙殺して、キュッリッキは目を閉じた。

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