剥き出しの地面の広大な広場を、隙間もないほどの人々が埋め尽くしていた。
老若男女の人々は、誰も彼も美しい容姿をしており、翼はしまっていたが、アイオン族だと判る。
人々は同じ方向を向いて座り、熱心に目を輝かせ聞き入っていた。
その注目される先には、ユリディスが穏やかな優しいほほ笑みを浮かべ、何やら話をしている。その真後ろには、片膝をついたイーダとヒューゴのふたりの姿も見えた。
「あれは、何をしているの?」
「アイオン族の惑星ペッコの地方都市で、神の言葉を語り聞かせているの」
ユリディスはヴィプネン族だ。それなのに、あの過去の映像に映るアイオン族は、誰もが尊敬の眼差しをユリディスに注いでいる。
不思議というより、異様な光景だとキュッリッキは感じた。
アイオン族は他種族を蔑む。他惑星生まれのアイオン族はそうでもないが、本星生まれのアイオン族は酷い。蔑むだけではなく、協調性を取ろうともせず、どんな地位を頂いている相手でも、他種族なら選ばず態度は同じだ。
「昔もね、アイオン族は困った態度を取ったのよ。でも、それでもアルケラの巫女に対しては、尊敬を向けてくれていたわ。昔の人々は、巫女を通して神々を敬っていたから。だから、種族を問わず巫女に対しても偏見はありませんでした」
「そう、なんだあ……」
アルケラの巫女として生まれたはずなのに、昔と今の違いには、しょんぼりするほど差がありすぎである。
キュッリッキの切ないため息に、ユリディスとヒューゴは苦笑を浮かべた。
「アルケラの巫女の役目にはね、神の言葉を人々にああして語り伝え、争いごとをなくして、皆が平和に生きられるようお説教して回るものがあるの。結構忙しいのよ。週に4日、あちこちの惑星各地を回るから。残りの週2日は各惑星にある巫女のための神殿で、人々と謁見をするの。その間に1日お休みがもらえるのね」
「……なに、その忙しすぎるスケジュール……」
「何かの催しや予定が入ると変更はあるのだけれど、それを巫女はずっと、千年続けなければならないわ」
働き過ぎだ、とキュッリッキはうんざりとした溜息をついた。
千年などと天文学的数字にはピンとこないが、巫女には自由が全くないのだということだけは理解できた。
それを言うと、ユリディスは小さく頷いた。
「そうね、自由はないわ。でも、私の生まれたあの時代は、長く続く戦争で本当に人々も国も疲弊しきっていたの。そのことに神々は心を痛めていたし、それを伝え聞かせることで、早く戦争をなくしたかった」
今も足元に映る映像には、トゥーリ族に語りかけるユリディスの姿が映し出されている。
「ねえキュッリッキ、何故巫女は千年もの寿命を授かるのだと思う?」
「え?」
突然問われ、眉をしかめながらキュッリッキは考え込んだ。しかし、なにも答えは浮かばなかった。
「これは私の答えなのだけれど、人々の心を変えるためには、それだけの膨大な時間が必要なのだと思っているの。――他人に何かを言われて、すぐ考えを変えることができる人と、中々変えることができない人。変えたつもりでも、どこかにわだかまりを残していたり、全面的に変えることができない人。人それぞれかかる時間が違うわね。それに、親の考えが子供に影響してしまい、それが子々孫々継がれてしまうこともある。受け入れることができない人だっている。人間の数だけ、受け取り方、感じ方、考え方は千差万別だわ。だから、焦らず根気よく続けていくには、千年という時間はけっして長いものではないのかもしれない」
「そうだね。例えば、ボクが『キュッリッキ、キミは綺麗だね』と褒めるとする。ボクは純粋にそう感じたから言葉にしただけなのに、言われたキュッリッキは『何この人、下心があるんじゃない?』と疑いを持つかもしれない。それか素直に『嬉しいな』と感じるかもしれない。言葉ってね、同じ言語を話していても、相手次第でどんな受け取られ方をするか、発した当人には判らないんだ。テキストに書き出しても、正確に伝わってないことだって多々ある」
「それでも、常に人々に話し語り続けていかなくてはなりません。止めてはいけないのです。正確に伝わるまで、感じてもらえるまで、辛抱強く続けることに意味があるから」
自分を叱ってくれるファニーの言葉を、その真意を汲むことが出来るまで、キュッリッキの心や考え方には沢山の障害物があった。障害物を少しずつ取り除いて、素直に受け入れられるようになるまで、ファニーから見れば、長い時間を要したかもしれない。
それを思うと、2人の言うとおりなのかもしれなかった。
言葉というは、難しいものなのだ。
「でも、あの男には私の言葉は届かなかった。深い罪の道へと踏み込ませてしまいました…」
ユリディスが悲しげに顔を伏せると、足元の映像が変わった。
巨大な城が映っており、ハーメンリンナにあるグローイ宮殿が、小さな四阿のように錯覚してしまうほどの規模だった。
「神王国ソレルの象徴とも言える、アングルボザ王城さ」
感情の伺えない声で、ヒューゴがぽつりと呟く。
高い塔がいくつもそびえ立ち、巨大な針山のような印象を与える。しかし、金銀を惜しみなく装飾に使っているので、その絢爛豪華さは大変なものだった。
陽光を弾いて煌き、権威と財力の象徴のようで圧倒される。
「すっごいお城だね……」
「ながーいナガーイ間に、増築を繰り返した、まるで迷路のような城さ。ボクもよく迷子になってさあ」
げっそりと表情を歪めると、ヒューゴは肩を落とした。
ヒューゴの姿を見てユリディスは小さく笑うと、キュッリッキの手をきゅっと握り締めた。
「私は突然あの城に呼び出されたの。本来巫女を呼びつけることは禁じられているのだけど、そんなことはおかまいなしだった。私はしかたなく、アピストリと共に入城しました」
その時の様子が、足元の映像に映し出された。
それを見たキュッリッキは、あることに気づいて首をかしげた。
「あれ、イーダとヒューゴがいないよ?」
違う男女のアピストリが6名ほど、ユリディスの後ろに付き従っている。
「……ボクとイーダは、別の場所に呼び出されていたんだ。同時にね…」
少し間を置いて、ヒューゴが答える。
ユリディスとヒューゴの表情を見て、キュッリッキはイヤな予感に包まれた。
(どうしよう……この先のこと、なんだか見たくないかも……)
自分の手を握るユリディスの手が、小さく震えていた。それがより、予感を後押ししているかのようだった。
映像の中のユリディスとアピストリたちは、とてつもなく長い廊下を突き進み、やがて部屋に通された。
真っ暗だった室内は、突然眩いばかりの照明が灯され、室内の全容を明らかにする。
ユリディスとアピストリたちは、四角い台の上に立っていた。しかし、台の置かれた床は円形にくり抜かれており、その周囲には高い塀が築かれ囲んでいる。その塀の向こうは観客席が設けられており、煌びやかな服装をした大人の男女が大勢座っていた。
まるで、闘技場のようだった。
室内は騒然と拍手喝采に包まれた。同時に、着飾った軍服の兵士たちが雪崩込んできて、6名のアピストリたちを突然拘束し、台の上から乱暴に引きずり下ろした。
台の上に取り残されたユリディスは、訳も分からず周りを見回している。そして、いきなり床の上にスポットライトが照らされ、そこには縛られたフェンリルが横たわって牙をむいていた。
「や…やだ……」
キュッリッキはよろめくように後退する。
爪先から慄きが這い上ってきて、引攣れるような悲鳴が喉を掠めた。
片方の手で顔を覆う。
「見たくない……やめて」
グレイプニルと言われる縄で縛られ、気を失っていたフェンリル。そして、アルカネットの見ている前で、自分がベルトルドにされたこと。
「ちゃんと見てキュッリッキ!!」
張り裂けんばかりに叫ぶユリディスの声に、キュッリッキはビクリと身体を震わせた。
「お願い、見て! あの男が私にしたことを、ちゃんと、見て」
「やだよ! だってユリディスは」
「貴女は見なくちゃいけないの! あの男が何をしでかしたのか、しっかり見て!」
ユリディスに一喝され、キュッリッキは怯える目を嫌々映像に向けた。
戸惑うユリディスの後ろから、ひとりの男が入ってきた。
黄金と宝石に彩られた王冠は、艶のない長い黒髪の上に置かれ、華奢な全身を豪奢な刺繍と金銀宝石で装飾された衣服で包み込んでいる。そして細面の中で、狂気の光を宿す目が不気味なほど見開かれ、およそマトモではないことが判るほど下卑た笑いを、その顔に貼り付けていた。
「あれが、神王国ソレル最後の王、クレメッティです」
クレメッティ王は、室内の人々に手を振り、ニヤニヤと笑っている。そして、壁際に控える4人の兵士を手招きで呼び寄せた。
4人の兵士は台の上に飛び乗ると、いきなりユリディスに飛びかかり、仰向けに倒し、それぞれ手足を掴んで床に押し付けてしまった。
別の兵士が黄金の装飾の施された抜き身の片手剣を、クレメッティ王に恭しく差し出す。
クレメッティ王はその片手剣を受け取ると、剣の切っ先をユリディスのドレスに突きたて、そのまま乱暴にドレスを引き裂き始めた。その度に、室内から歓声がどよめいた。
ドレスも下着も全て切り裂かれ、幼い裸身があらわにされてしまう。そんなユリディスを野卑な笑いを浮かべて見おろしていたクレメッティ王のズボンを、台の下で控えていた従者が、恭しく脱がせ始めた。それを見て、ユリディスの足を押さえつけていた兵士2人は、限界までユリディスの足を左右に広げた。
「やめてええええええええええええええっ!!」
キュッリッキは目に涙を浮かべて叫んだ。
(アタシのときより酷い!!)
卑猥なショーのように、大勢の前で見世物にされている。
狂った小さな世界の中で、しかしユリディスだけは己を強く保っていた。
歯を食いしばり、涙を浮かべていない毅然とした目は、クレメッティ王を激しく睨みつけている。
心ゆくまで満足したクレメッティ王は、ユリディスの身体から離れた。そして衣服を身につけさせている間に、室内にはガラスの柩のようなものが運び込まれた。
四肢を押さえつけていた兵士たちに命じてユリディスを起き上がらせると、ガラスの棺の中に躊躇いもなくユリディスを入れてしまった。
再び室内に、狂気の大歓声が満ちた。
キュッリッキは暫く泣きじゃくっていた。そんなキュッリッキを慰めるように抱きしめているユリディスの表情には、苦いものが広がっている。ヒューゴの表情にもまた、苦いものしか浮かんでいなかった。
「クレメッティ王からしてみれば、私はあの程度の存在でしかなかったのです。辱める姿を見世物にしたのも、クレメッティ王からしてみればただの余興です」
キュッリッキの頭を優しく撫でながら、淡々とユリディスは続けた。
「長い間、平民や貧困層から多くの税金を搾取し、クレメッティ王はフリングホルニを建造していました。反対する貴族や豪族は皆殺しにし、財産を押収して費用にあいててもいました。神の力を手に入れるため、神々の世界アルケラへ至るために。アイオン族やトゥーリ族を滅ぼし、世界の全てを己の手にするために…」
すでに、神王国ソレルは疲弊しきっていた。王都から離れていくほど、民心も疲弊し、王を弑するために立ち上がる者さえも、現れないほどに。
建材に予算を多く取られるため、同じヴィプネン族でありながら、多くの民が奴隷として集められて働かされた。
クレメッティ王は民の血も涙も一滴残らず搾り取り、己の野望を果たすためフリングホルニを完成させたのだ。
「レディトゥス・システムに閉じ込められた私には、もうどうすることもできませんでした。そしてその頃、縛られ自由を奪われていたフェンリルの暴走が、始まろうとしていたのです」
足元の映像には、縛られたフェンリルが映し出された。
白銀の毛並みを持つ巨狼の身体には、黒い縄が巻かれ、縛られていた。
首から下は動かすことができず、牙を剥いて唸るだけである。
「フェンリルの力が……ものすごく膨らんでる」
「ええ。巫女以外には推し量ることができない神の力が、もうあれだけ膨らんでいます。――私の何代か前の巫女が作らせたというグレイプニル、私はあれの存在を知りませんでした。おそらく先代のヴェルナ様もご存知なかったと思います。そのため、あのような狼藉を許してしまう羽目になってしまった…私の責任でもあります」
「フェンリル……」
キュッリッキは涙にくれる目で、縛られ唸るだけしか出来ないフェンリルを、痛ましく見つめた。
フェンリルの力を抑え込むことが出来るというグレイプニル。しかし、あのグレイプニルは完全ではなかった。
中途半端に抑えつけられ、今にも力が爆発しそうなのだ。
「フェンリルは巫女を護るために地上に遣わされた神です。姿は獣でも、神なのです。クレメッティ王はそのフェンリルの前で私を辱め、レディトゥス・システムの中に封じ込めました。フェンリルの怒りは凄まじいものです」
そして最悪の事態は起こってしまった。
ユリディスが辱められた室内に捨て置かれていたフェンリルの戒めが解け、同時に抑え込まれていた巨大な力も、一気に暴発した。
咆哮と共に白銀色の光が王都を瞬時に吹き飛ばし、惑星ヒイシのいたるところに飛び散った。そればかりか、空間を突き抜け惑星ペッコ、惑星タピオにも力は拡散し、世界は白銀色の光によって数日に渡り大破壊された。
神王国ソレルは崩壊した。
その様子を映像で見て、キュッリッキは言葉を失っていた。
フェンリルの力がどれだけ凄まじいものなのか、初めて目の当たりにしたのだ。
いつも小さな仔犬の姿で寄り添い、必要に応じて狼の姿に戻る。でも、あれだけの力を振るったことなど一度もない。
「あ…」
ふとキュッリッキは思い出す。
「どうしよう、フェンリルまたグレイプニルに捕まってて、たぶん今も捕まったままなの」
「……眠っているのかしら、強い力の波動は感じないわね」
耳を澄ますように、ユリディスは目を閉じ頷く。
「もし、目を覚まして、またフェンリル暴走しちゃったら……どうしようユリディス」
「今見せた映像のように、世界はまた大きな被害を受けることになるわ」
もしそんなことになれば、ライオン傭兵団のみんなも、ファニーとハドリーも、そしてなにより、メルヴィンもどうなるか判らない。たとえ命が無事でも、家も何もかも吹き飛んでしまうだろう。
それ以前に、ベルトルドによってアジトが吹き飛ばされている事など知らないキュッリッキは、みんなのことを思って心に焦りを広がらせた。
「キュッリッキ、貴女がフェンリルを助けなくては」
「アタシが…」
「貴女が助ければ、フェンリルが暴走することはないわ。巫女の命令は、フェンリルにとって絶対だもの」
確かに、召喚士の命令には絶対だ。この時代で呼び名は変わっていても、キュッリッキは紛れもなくアルケラの巫女なのだから。
「でも、アタシは……」
キュッリッキは俯いた。
ベルトルドに裏切られ、辱められて、死にたいと心の底から思っている。
汚れた自分は、もうメルヴィンに愛される資格などない、顔を見せることも憚られる、だからもう死んでもいい。
そう思っていた、はずなのに。
絶望している中、ユリディスと話し、過去の映像を見せられ、キュッリッキの心は少しずつ変わっていった。
裏切り汚れた自分を、メルヴィンに見せるのは抵抗がある。愛想を尽かしたメルヴィンが、自分を蔑んだ目で見てくるのは耐えられそうもない。それこそ、その場で自害してしまいそうだ。
――でも。
けっして多くはないが、今のキュッリッキには大切な仲間や友達、支えてくれる人々が出来ていた。ほんの少し前まで考えられなかったほどに。そして今も愛しているメルヴィンを、危険な目に遭わせるわけにはいかない。
たとえ嫌われても、蔑まれても、メルヴィンを助けなければ。
まだこんなにも愛している。
大切な人たちを助けなければ。
動かなければ、死ぬよりも辛い後悔に一生蝕まれるだろう。
(それに、フェンリルだって傷ついたはずだもん…。人間なんて、とかいつも言ってるけど、暴走して世界を破壊しちゃったら絶対また傷ついちゃう。フェンリルにも、もう同じ思いをさせたくない)
小さい頃からずっと、片時も離れずそばにいてくれた、大切な相棒。フェンリルがいてくれたから、これまで生きてこれたのだ。
(うん、アタシが死ぬのはとりあえず後回しにして、まずフェンリルを助けて、危険を回避しなくっちゃ!)
キュッリッキは握り拳を作ると、顔を上げた。
目の前には、全てを理解した表情のユリディスがいた。
「ありがとうユリディス。あなたのとっても辛い過去を見せてまで、アタシを立ち直らせてくれて。アタシ、フェンリルを助ける。あんなことにならないように」
「キュッリッキ…」
「ホントは今でもまだまだ辛い。ちょっとでも思い出すと気が狂いそうなくらい。でもね、ユリディスほどは強くはなれないけど、フェンリルを助けて、それから全力で落ち込むことにしたの」
「まあ、キュッリッキ」
ユリディスは優しく微笑むと、キュッリッキの手を取り、もう片方の手で上を示す。
「聞こえるでしょう、貴女を案じて、貴女を呼ぶ人の声が」
「えっ?」