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141話:レディトゥス・システムへの呼びかけ

 突然ベルトルドが消えて解放されたメルヴィンは、床に突っ伏して倒れ込むと激しく咳き込んだ。


「メルヴィン!」


 ランドンが慌てて駆け寄り、メルヴィンの喉に手をかざす。


「土に流した毒は、二度と身体に戻らない。

 胸から流れ出た苦痛も

 戻ることなく去らしめよ…」


 回復魔法の柔らかな熱が、痛む喉にじんわりと染み込んでくる。


「意識は大丈夫?」


 不安そうにランドンに聞かれ、メルヴィンは小さく頷いた。

 何度も大きく息を吸い込み吐き出す。それを何度か繰り返し、回復魔法の効果も手伝って、メルヴィンの身体は落ち着きを取り戻してきていた。


「なあなあ、おっさんドコいっちゃったんだ??」


 ヴァルトがレディトゥス・システムの台座の上にいるシ・アティウスに問いかける。

 手にしていた立体パネルを操作していたシ・アティウスは、


「ふむ……アルカネットのところへ跳んだようですね」


 無精ひげの生える顎をさすりながら答えた。


「あんだけ偉そうに死守していたってのに、あっさり敵前逃亡するとか」

「まー、おっさん消えたし、いんじゃね?」


 納得いかない顔をするタルコットに、ヴァルトが無邪気に笑いかけた。


「シ・アティウスさん、リッキーをそこから出してください!!」


 メルヴィンは身を起こすと、台座の上のシ・アティウスに、食いつかんばかりに叫んだ。


「そーだそーだ! おっさんが逃げたんだから、フセンショーってやつだ」


 両手を腰に当て、ヴァルトはふんぞり返って加勢する。

 その様子をジッと見つめ、シ・アティウスは小さく頷いた。


「確かに、ベルトルド様が勝手に逃げたんですから、手助けしてもそのことで文句は言えませんね」


 立体パネルを操作し、シ・アティウスはやや難しそうに口を歪める。


「このレディトゥス・システムは、一見ただのガラスの柩のように見えますが、柩の中は亜空間になっています。アルケラの巫女をこの中に入れると、亜空間の中に巫女を閉じ込め、システムと巫女を連結してしまいます。そうなると、巫女は自力で亜空間から出ることができません。召喚の力を使っても外には出られない」


 それがどういうことなのか皆よく判らずにいる様子に、シ・アティウスは小さく微笑んだ。


「1万年前、最後のアルケラの巫女ユリディスがこの中に閉じ込められ、しかし、フリングホルニは飛び立つことなく地中に埋もれてしまいました。その後、ユリディスは助けられることなく、亜空間の中でシステムに繋がれたままになりました。――ユリディスの意志は、確かにこの中に息づいている。すがってみましょう」

「それってつまり……シ・アティウスさんも、助け方が判らない、てこと?」


 縞模様の尻尾をぽてぽて振りながら、シビルが不安そうに言う。


「身も蓋もない言い方をすると、そうなります」

「ナンダッテーーー!!!」


 ヴァルトの絶叫が、動力部室内に木霊した。




「リッキー…」


 ただの透明なガラスの柩にしか見えないレディトゥス・システムに両掌を押し付け、メルヴィンはそっと呼びかけた。


「オレの声、中に届きますか?」


 隣に立つシ・アティウスに、メルヴィンは不安そうに言う。


「判りません。起動実験のデータも残されていませんし、用が済んで巫女を中から出す、というところまで、設計に加わっていたのかも謎ですから」

「作られたの、1万年前ですしね…」


 設計者も何も生きていない。シビルが泣きそうな顔で肩を落とす。


「てめーらバカだなあ!」


 いきなり台座の下から呆れたようにヴァルトが叫び、一斉に批難の視線が集中する。


「さっきそこのおっさんが言っただろ! ユリなんたらにすがるって。だったら、ユリなんたらに必死で訴えかければいーじゃんか!!」

「……声が届くかどうか、判らないって話をしているわけで…」

「わからねーもんは、やるだけやってみればいーだけダロ!!」


 怒鳴り返されて、シビルは首を引っ込めた。


「きゅーり待ってんだろ!」

「そうですね、その通りです」


 メルヴィンは頷いた。


「ヴァルトさんの言う通りです。ユリディスという人に訴えかける、それに望みをかけましょう」


 助ける方法が判らないのなら、少しの可能性にも賭ける。


「ユリディスさん、聞こえますか? 聞こえていたら、この中に囚われている、キュッリッキという女性を助ける力を、どうか貸してください!」



* * *



「メルヴィン…」


 世界で一番大切で愛おしいひとの名を呟くと、心と下腹部にズキリとした鈍い痛みを感じた。悲しくて苦しい気持ちが深いところから沸き起こり、キュッリッキの身体をジワジワと侵食していく。

 誰よりも自分の味方で有り続けた男に、無理矢理犯された。

 自分はアルケラの巫女だから、復讐の道具にするために。

 今も身体中に痛みと不快感を伴い残る、撫でられ、舐め回され、そしてねじ込まれたベルトルドの感触。嫌だと言っても、聞き入れて止めてはくれなかった。


「俺は世界一、リッキーを愛しているぞ」


 朝出仕する前、夜帰ってきて、必ずベルトルドはそう言って抱きしめキスの雨を降らせていた。毎日、毎日。でもそれは、嫌ではなかった。

 そうしてくるのは、まるで父親のようだ、と思っていたからだ。

 生まれてすぐ両親から捨てられたキュッリッキには、両親からそんな風に接してもらったことは当然ない。親が子に対して、どんな接し方をするのか、他人の親子を見て想像するしかない。だから、ベルトルドからそうされたとき、きっとこんなふうにしてくれるのかなと、心の底から嬉しかった。

 自分に初めて「愛している」、と言ってくれたのもベルトルドだった。甘えさせてくれたのも、ベルトルドが初めてだった。

 ベルトルドがキュッリッキに求めている愛は、決して親子の情愛などではなく、男女の愛だということは、本人も言っていたし、本気なのだと漠然と気づいていた。しかし、キュッリッキにとってベルトルドは、男女の間柄などではなく、どうしても父娘おやこという関係にしか思えない。ベルトルドに恋をすることは、自然と出来なかった。

 ベルトルドは父親などではなく、男なのだ。そのことを、身を持って理解した。

 自らの計画を遂行するために、欲望を満たすために、キュッリッキの心など踏みにじれるくらいに、冷徹になれる男なのだ。

 犯された以上に、裏切られたことが悲しく、苦しい。

 そして、抵抗を押さえ付けられていたとはいえ、メルヴィンを裏切った。ベルトルドに身体を与えてしまった、奪われてしまった。

 汚れてしまった。

 アルカネットが言うように、メルヴィンはもう、汚れた自分を嫌いになってしまう。愛してくれなくなる。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 心も身体も痛くて痛くて、引き裂かれそうになりながら、キュッリッキには謝ることしかできなかった。

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