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49話:ハーメンリンナの中で迷子になる

 花模様で編まれたレースをふんだんにあしらった、絹地の真っ白なワンピースに、白い靴を履いた金髪の少女は、石畳の上に佇んで首をかしげていた。

 周りを見回すと、白くて縦に長い建物がたくさんある。外観も殆ど似たりよったりで、植木の配置も同じ、人影もない。


「うにゅ~~~、似たような建物ばっかりで、ちっとも判んなーい。アルカネットさんドコにいるのかなあ」


 白いレースの手袋をはめた手を腰に当てながら、キュッリッキは足元の相棒を見る。


「フェンリル場所判る? 臭いとかで探せない?」


 フェンリルはジロリとキュッリッキを睨みつけると、盛大に「フンッ」と忌々しげに鼻を鳴らした。

 その様子を見て、キュッリッキは眉を上げ、愛らしく肩をすくめる。


「犬のマネをさせるなーって言いたいんでしょ。でもこんなとこで召喚使えないし、助けてよぉ」


 両手を合わせて頼み込むが、フェンリルはそっぽを向いて取り合わない。


「……フェンリルまだ拗ねてる」


 口の先をとんがらせ、恨みがましく文句を言うキュッリッキを無視して、フェンリルは突然駆け出した。


「あ、待ってよ! もぉ!!」


 相棒に無視され、さらに置いてけぼりにされかかって、キュッリッキは慌てて駆け出した。

 立っていた場所の正面にある、四角い白い建物の中に入る。ガラスの扉は中が丸見えで、触ってないし誰もいないのに勝手に開く。


「うわあ…、透け透けのドアで、勝手に開いた…」


 もう一度おっかなびっくりドアに寄ると、やはり勝手に開いた。


「ハーメンリンナの中って、ホント別世界だよね~。地面を走る箱とか、電気エネルギーで明かりが点いたりとか。お金持ちの街って、凄いんだあ……あ、フェンリル追いかけなきゃ」


 中を見回すと、簡素で質素、白い壁と赤いカーペットが敷かれただけの味気ない内装のロビーだった。

 奥には受付らしきカウンターはあるが、席を外しているのか誰もいない。

 フェンリルの気配を感じ取ろうと、キュッリッキは意識を凝らした。アルケラの住人たちの気配をキュッリッキは辿ることができる。これも召喚〈才能〉スキルの能力なのかは、キュッリッキは知らない。誰に教わることもなく、自然と出来ていた。


「こっちだ」


 気配を感じる方へ小走りに駆けると、階段のある場所に出る。

 手摺に掴まりながら、ゆっくりと上り始めた。

 リハビリを続けたおかけで、運動機能もだいぶ回復してきたが、まだ全力で走ることはできない。階段を上るのも、ちょっと息が苦しくなる。

 踊り場の壁には、5階迄の標識が出ていた。

 途中誰ともすれ違う事もなく突き進み、5階にたどり着くと、殺風景な廊下に出た。

 向かって左側には、小さなネームプレートをはめた似たような扉がずらりと並んでいて、右側は壁の上半分に引き違い窓が等間隔で並んでいる。


「フェンリルは…」


 ハーメンリンナの中で生命の危険にさらされることはないからと、召喚は極力使わないようベルトルドに約束させられている。色々な〈才能〉スキルを持つものが集まる場所では、誰に見咎められるか判らない。そのかわり、フェンリルは自由に連れて歩いても構わないと許可はもらっていた。ただし、仔犬の姿で。

 ペットらしく見えるようにと、ベルトルドが首輪とリードをつけようとしたら、フェンリルがぷっつん怒ってベルトルドに噛み付こうとした。それをキュッリッキに叱られて、以来ずっとへそを曲げているのだった。

 ゆっくり廊下を進むと、扉が開きっぱなしの奥の部屋から賑やかな聴き慣れた声が耳に飛び込んできた。


「むむっ?」


 首をわずかに傾げ、歩調を早める。部屋の入口に立つと、


「あー、ギャリー!」


 軽く飛び上がって、キュッリッキは叫んだ。


「やっぱキューリか。なんでフェンリルが駆け込んできたのかと思ってたらよ」


 ソファに座ったままの姿勢で、顔の横までフェンリルを抱き上げたギャリーがにやりと笑った。

 すると突然、室内が騒然と沸き立った。


「うお! ちょー美少女じぇねーか!!」

「こんな可愛い子と知り合いなのかテめえ」

「お嬢ちゃんお名前は~?」


 室内にいた十数人の軍服をまとった男たちが、目をギラギラさせながらキュッリッキの元に集まって人垣を作った。

 ギャリーを見つけたと思った矢先、いきなり見知らぬ男達に群がられ、キュッリッキはびっくりして目を見張る。


「キミ、ギャリーのなんなの?」

「あんなむさい野郎と何故知り合いなの?」

「めさめさ可愛いね~、カレシいるの?」

「え……えっと…」


 絶え間ない質問攻めに圧倒され、キュッリッキはどう対応していいか困り果てて視線を彷徨わせた。邪なオーラがムラムラ漂ってきて、ぶっちゃけ気持ちが悪い。

 それをソファに座して見ていたギャリーは、やれやれと嘆息すると、フェンリルを頭の上に乗せて立ち上がった。


「おらおらおめーら、いい加減にしやがれ! ほらそこ、ドケ」


 ギャリーは人垣を掻き分けながら突き進み、オロオロするキュッリッキの両脇に手を入れ、高々と抱き上げる。


「ウチのお嬢にちょっかい出すな、ドスケベ共が!」


 キュッリッキを掴んで抱き上げたまま、ギャリーはムラムラと沸き立つ野郎共に、威嚇の視線を投げかける。


「ウチのって、おめーんとこの傭兵団のコなのか?」

「そうだよ」


 これには即ザワザワと批難の声が上がる。


「こんな可愛い乙女に傭兵させてんの? えげつねーなおめーんとこは」


 みんな腕を組み、揃ってウンウンと頷いた。その様子にギャリーは「ぶわっか!」と吐き捨てる。


「顔は関係ねーだろ。いいか、よく聞きやがれ。泣く子も黙らせる我らが副宰相兼総帥閣下が、目に入れても痛くないほど溺愛している、雲の上の召喚士様だぞこいつは!」


 ほらほら、と、ギャリーはキュッリッキをさらに持ち上げ、拝め!と言わんばかりにアピールする。

 まるでピカーッと後光にでも照らされたかのように、みんな眩しげに腕を眼前にかざした。キュッリッキは訳も分からず、されるがまま目を白黒とさせていた。


「ちょっとでも手を出してみろ、副宰相サマと魔法部隊ビリエルの長官サマも加わって、天から雷降らせてくんぞ」


 サーッと音が聞こえそうなほど、一同の顔色が蒼白に塗り変わっていった。


「これは脅しじゃねえぞ? 事実だ。覚悟しとけ」


 むさっ苦しい顔でにやりと笑うギャリーに、キュッリッキはパチクリと目を瞬かせた。



「ねえ、あの人たちなあに?」


 急におとなしくなった男たちは押し黙ると、すごすごと部屋の中に戻ってどんよりと凹んでいた。その様子を見て、キュッリッキは不思議そうに目を瞬かせた。


「ベルトルドさんとアルカネットさんの名前って、ライオン傭兵団員以外にも脅し効果があるんだね~」


 あの2人は本当に凄い人たちなんだと、キュッリッキは妙に感心してしまった。


「軍や国政に携わる連中には、神よりも絶大な効果がある存在だからなあ、あの御仁たちは。――あいつらはオレのもと同僚たちだ。期間限定で再度同僚になったがな」


 ベルトルドの命令で、ライオン傭兵団員のほとんどはハワドウレ皇国の正規部隊に一時徴兵されている。元々ギャリーは正規部隊の出身で、以前所属していた古巣に編入されていた。


「しっかしよ、何しに来たんだ? おめかししてこんなとこまでよ」


 キュッリッキの姿をつくづくと見て、ギャリーは内心眉をひそめた。

 可愛いし、とてもよく似合っている。どこから見てもお貴族のご令嬢様だ。しかし明らかにベルトルドとアルカネットの趣味に染まってしまっている。

 女の子だから綺麗でお洒落な格好をしているほうがいいだろう。でもアジトにいたときは、いつもラフな服装をしていた。その姿に見慣れていたので、こんなフリフリビラビラな格好を見ると、違和感を感じてしまう。


「アルカネットさんに呼ばれたの。お話があるから来てくださいって」

「アルカネットに?」


 ギャリーは軽くため息をつくと、廊下の窓の外を指さした。


「ほら、こっから見える、あの白い建物がアルカネットのいる魔法部隊ビリエルの本部だ。判るか?」


 ギャリーの横に立って窓の外を覗き込み、指し示す方を辿り、キュッリッキはガッカリと肩を落とした。全然違う場所だった。


「ここも白い建物なのにぃ…」


「外観はドコも似ているからな、知らねー奴は勘違いする。デカイ看板がついてるわけじゃねーからな」


 ムスっと顔を歪めるキュッリッキを見て、ギャリーはにやりと口の端を上げた。


「素直にセヴェリさんに案内してもらうんだったあ」


 途中までは、ベルトルド邸の執事代理をしているセヴェリに連れてきてもらった。


「よーし! これは探検しなくっちゃ!」


 初めて降り立つ場所に興味津々のキュッリッキは、一人でも大丈夫だと意気込んで無理矢理別れた。それなのに探検どころか、しっかり迷子である。


「この建物は、オレら正規部隊の本部の一つだ。この辺りにゃ似たような建物が多いから、間違ってもしょうがねぇ」


 ギャリーは大きな掌で、キュッリッキの頭をポンポンッと軽く叩く。


「よし、魔法部隊ビリエル本部まで送ってやるから、ちょっと待ってろ」

「うんっ」


 小躍りして喜ぶキュッリッキをその場に残し、ギャリーは先ほどの部屋に向かう。


「ちょっとウチのお嬢を送ってくらぁ」


 入口から中へ大声で言いながら、同僚たちと2,3やり取りをして、ギャリーはキュッリッキを連れて魔法部隊ビリエルの本部に向かった。



* * *



 やしきに連絡を入れると、キュッリッキはすでに2時間前に出ているという。

 腕を組みながらオフィスの中をうろうろと歩き回り、アルカネットは何度も壁にかけられた時計を見る。


「いくらなんでも遅いですね…。まさか体調を悪くして、どこかで倒れているのでは…」


 それならば、何かしら騒動になって、耳に届きそうなもの。


「誰かに拐かされた…?」


 護衛にフェンリルがついていて、それはないだろうと判断する。

 2時間以上前、やしきにいるキュッリッキに魔法部隊ビリエルの本部へくるよう呼び出したが、まだ到着していない。まさかセヴェリの案内を断って一人で歩き回り、迷子になっているなどとは思いもよらない。

 色々と悪い想像ばかりが頭をよぎって、アルカネットは狼狽えた。

 すっかり元気になったとはいっても、全回復しているわけではない。アルカネットからしてみたら、まだ安心できないのだ。


「………心配ですね」


 独り言をつぶやきながら居てもたってもいられず、アルカネットは急ぎ足でオフィスを出た。


「あっ」


 エントランスへ向かおうとした途中で、ギャリーとキュッリッキが並んで歩いてくる姿が見えた。


「リッキーさん!」


 アルカネットは大声を張り上げ、慌てて2人に駆け寄る。


「アルカネットさんだ」


「やっと見つけた!」と喜びを満面に浮かべ、キュッリッキはアルカネットに飛びついた。

 キュッリッキを抱きとめながら、アルカネットは心底安堵したように「ふぅっ」と息を吐き出した。


「心配していたのですよ。もしや、迷っていたのですか?」

「えへへ、迷子になっちゃった。でもギャリーに会えたから、連れてきてもらったの」


 甘えながら嬉しそうに見上げてくるキュッリッキの顔を見て、アルカネットは苦笑を浮かべた。こんな表情かおをされては、小言も言えなくなってしまう。


「とにかく無事でなによりでした。ギャリーもご苦労でしたね」

「いえ。そんじゃオレは戻ります」

「ギャリーありがと」

「おう、じゃあな」


 片手をあげてヒラヒラ振ると、ギャリーは足早に戻っていった。

 その後ろ姿を見送って、キュッリッキはもう一度アルカネットを見上げた。


「お話ってなあに?」

「実は、リッキーさんにお願いしたいことがあるのですよ」

「お願い?」

「ええ。それをお話するのは、ベルトルド様のところへ行ってからにしましょう」

「…はーい」


 不思議そうに首をかしげるキュッリッキに微笑みかけると、アルカネットは腰を落として、キュッリッキと目線を同じくする。


「迷子になっていたのなら、たくさん歩いたでしょう。疲れていませんか?」

「ん…実はちょっと、座りたいかも…」


 はにかみながら申し訳なさそうに言って、キュッリッキは小さく肩をすぼませた。

 その様子にアルカネットはより一層笑みを深めると、キュッリッキの額にキスをして身体を起こした。


「ラウンジへ行ってお茶をいただきましょうか。それから総帥本部へ参りましょう」

「はいっ」



* * *



 ハワドウレ皇国の皇都イララクス。その中にあって、巨大な城壁に囲まれた街ハーメンリンナ。

 皇国を治めるワイズキュール家の住まうグローイ宮殿を中心に、東は貴族たちの住まう区画、西は資産家たちの住まいや高級店が並ぶ区画、南は軍事に関する施設や厩舎のある区画、北は行政や研究機関などの施設がある区画に大きく分けられている。

 区画外の移動に使うための道路は歩行禁止で、ゴンドラを模した乗り物を利用して移動を行う。ゴンドラは鈍速で移動しているが、全て電子制御され、事故は皆無だった。利便性よりも街の美観を重視したものである。


「馬を使えば糞尿を撒き散らし、道路は汚れ臭いも溜まる。人が歩けば路上にゴミを撒き散らし、不潔で見栄えがよくない」


 今から300年程前の宰相がそう嘆いて、現在のシステムが導入された。

 しかし全てこの調子で区画外移動がゴンドラのみに絞られると、南北区画に勤務する全ての人々が困るため、街の地下には広大な通路が張り巡らされ、多くの人々は地下通路を利用していた。

 地下は大きく2層になっていて、1層目は歩行用、2層目はリニアモーターの線路、馬車や特別車路。貴族以外の人々は、どちらも頻繁に利用している。

 区画内は歩行も許されているので自由に闊歩できるが、別の区画へ行く場合はゴンドラか地下通路の選択に絞られる。

 キュッリッキは南の区画まではゴンドラでセヴェリと共にきたので、自由に歩き回ることのできる区画内は珍しく、あちこち目移りしてはしゃいで迷子になった。


「大きな建物がいっぱいだけど、ここにいる人たち、みんな軍服を着ているんだね」

「南区は軍関係のための区画ですから。この区画にいる人々は、殆ど軍人なのですよ」

「そっかあ~」


 黒や濃紺の軍服姿の人々が、忙しなく歩いている。

 紅茶とケーキを運んできた給仕ですら軍服姿だったのには、キュッリッキは多少呆れてしまう。そういう場所だと言われてしまえば納得するしかない。そしてキュッリッキの私服姿は軍服の中にあって、異様に目立っていた。更に容姿端麗で魔法部隊ビリエル長官であるアルカネットと共にテーブルを囲んでいるのだから目立ちまくりだ。

 キュッリッキと同様に、アルカネットは自身の容姿にはまるで関心がない。「こういう顔で生まれてきた、以上。」と締め括るくらいに無関心だった。

 実年齢よりもずっと若々しく整った優しげな風貌と、その名の通りの髪の毛と瞳の色が印象的な美丈夫。すらりとした体躯に長身で、ベルトルドと並び称されるハーメンリンナの貴婦人やご令嬢たちの憧れの的だ。

 ラウンジは1階にあり、エントランスホールと隣接している。建物を出入りする人々の目につきやすい。2人の組み合わせは質素とも取れる内装の建物内では、一際華やいで人目を引きまくっていた。

 付近を通る魔法部隊ビリエル関係者は、長官に気づいて慌てて敬礼を送って緊張の表情を浮かべ、足早に去っていく。

 泣く子も黙らせる副宰相の片腕と言われ、魔法〈才能〉スキルでは並ぶもののない実力を持ち、かつては尋問・拷問部隊の長官として軍内部に恐怖を轟かせた御仁である。

 そのアルカネットが幸せそうに美少女とテーブルを囲んでお茶を飲んでいる光景は、目の当たりにした全ての人々が、夢か幻の類としか脳内が処理出来そうもない。

 キュッリッキは敬礼が向けられる度顔をあげていたが、アルカネットは愛おしげにキュッリッキしか見ていない。通りすがりの儀礼的な挨拶など、どうでもよかった。美味しそうにケーキを頬張るキュッリッキの笑顔を見ていることのほうが、よほど重大事なのだ。

 洋梨のタルトとレアチーズケーキをたいらげたキュッリッキは、おなかが満たされて満足そうに椅子にもたれた。

 その様子を見て、アルカネットは微笑む。

 元気で明るい表情を見せることが多くなった。今も相変わらずベルトルドと共にキュッリッキの部屋で寝ているが、怪我で臥せっていた時のように、夜中に荒れることも殆どなくなり、心身ともに健康を取り戻している。

 キュッリッキには笑顔が一番似合う。そうアルカネットは心の中で呟いた。

 アルカネットは懐から時計を出して時間を確認すると、組んでいた脚を解いて優雅に立ち上がった。


「そろそろ行きましょうか、リッキーさん」

「はーい。ごちそうさまでした」


 キュッリッキが立ち上がると、フェンリルも椅子から飛び降りて足元に寄り添った。

 アルカネットはキュッリッキの手を優しく引いて、魔法部隊ビリエル本部を後にした。

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