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48話:メルヴィンとティータイム

「ただいま戻りました」

「おかえりなさいませ、メルヴィン様」


 セヴェリに出迎えられて、メルヴィンは丁寧に挨拶する。ライオン傭兵団の中で使用人たちに対して礼儀正しいのは、メルヴィンとカーティスくらいなもの。なのでメルヴィンは特にベルトルド邸の使用人たちにウケが良かった。


「今日は随分、お早いお帰りでございますね」


 時刻は午後の3時を回った頃である。


「そうなんです。オレとタルコットさんだけは早く追い出されました」

「左様でございますか」

「あ、タルコットさんは私用で寄り道するそうなので、帰宅は夕食の頃だそうです」

「承りました」


 玄関ロビーでセヴェリと別れると、メルヴィンは階段をのぼって南棟に向かった。その途中リトヴァと会い、挨拶を投げかける。


「今日はお早いお戻りですのね」

「ええ、今日は早く追い出されました」

「まあ、そうでございましたか」


 小さく笑ったあと、リトヴァは思い出したようにメルヴィンを見上げる。


「御用をお願いしたいのですが、よろしいでしょうか?」

「はい、構いませんよ」

「お嬢様がお昼寝をされているのですが、そろそろお起こしして、お茶の時間にしようと思います。それで、起こして差し上げて欲しいのですが、お願いできますか?」

「判りました」


 メルヴィンは屈託なく承知する。


「ありがとうございます。早速お茶の用意をして、お部屋にお持ち致しますわね。メルヴィン様もご一緒に」

「ありがとう、お願いします」


 リトヴァは会釈をして踵を返した。

 メルヴィンは自室で普段着に着替えてからキュッリッキの部屋へ行く。

 ノックをして少し待つが返事はない。扉を開けて部屋に入ると、奥のベッドでキュッリッキは寝ていた。

 ベッドの傍らまで来て、椅子に座る。ベルトルドが自宅療養に入ると、こうして付き添う役目も終わった。

 久しぶりにキュッリッキの寝顔を見て、メルヴィンは表情をほころばせた。

 先日19歳を迎えたが、無防備な寝顔はあどけなく、まだまだ子供のようだ。怪我で臥せっていた時に比べると、ずっと健康的な寝顔である。そしてシーツから覗く手首に、メルヴィンはハッと気づいた。

 金の鎖に、小さな珠に掘った水晶とアクアマリンが散りばめられた、可愛らしいデザインのブレスレット。キュッリッキの誕生日に、メルヴィンが贈ったプレゼントだ。


「つけて、くれているんですね」


 女性にプレゼントを選ぶのは久しぶりのことで、一緒に買いに行ったルーファスに、色々とアドバイスをもらって選んだものだ。

 なんだか嬉しくなって笑顔になっていると、


「う…ン…」


 キュッリッキが寝返りを打った。


「あ、起こさなくちゃ」


 部屋を訪れた目的を思い出し、メルヴィンは腰を浮かせた。


「リッキーさん、起きてください」


 細い左肩をそっと掴んで揺さぶる。


「ふに…」


 キュッリッキは目をこすりながら、距離が近いメルヴィンの顔を見た。


「……?」


 一瞬手の動きが止まり、寝ぼけ眼が全開になる。


「!?」


 ヒッと喉が引き攣れ、キュッリッキはガバッと身体を起こした。


「おはようございます?」


 メルヴィンが優しく微笑むと、両手でシーツを掴んでキュッリッキは固まった。


「お茶の時間だそうですよ。リトヴァさんがお茶を持ってくるそうです」


 そう言ってるうちに、リトヴァがワゴンを押して部屋に入ってきた。


「お目覚めになりましたわね、お嬢様」

「ええ、ちょうど今起きたところです」


 状況が飲み込めていないキュッリッキは、顔を真っ赤にして固まったままだ。


「お嬢様がお好きな、レモンタルトとオレンジババロアを用意しましたわ。メルヴィン様もどうぞ」

「ありがとうございます」


 硬直したまま2人の様子を目で追い、キュッリッキの頭の中は大混乱していた。


(メルヴィンがなんでいるんだろ…ま、まだ夜じゃないよね!?)


 部屋の中は陽光でとても明るい。


(メルヴィンが居て嬉しいけど、か…顔、顔が真っ赤なトマトになっちゃう! アタシどうしようどうしようっ)


 自問自答中でいつまでもベッドから出ないキュッリッキに、見透かしたようなリトヴァの笑みが投げかけられる。


「お嬢様、お茶が冷めてしまいますよ。早くベッドからお出になって、こちらにお座りくださいませ」


 メルヴィンの向かい側の椅子を示され、キュッリッキは失神しそうになるのを、かろうじて踏ん張った。


「う、うん…」


 緩慢な動作でもそもそベッドから這い出ると、乱れたワンピースの裾を手で直し、恐る恐るテーブルに近づいた。

 真っ赤な顔を俯かせ、ちょこんと椅子に座る。

 気合で笑いを噛み殺した表情をするリトヴァは、レモンタルトを切り分けて、キュッリッキの前に置いた。


「わたくしはこれで」


 そう言って、リトヴァは部屋を出ていった。

 午後の柔らかな光で照らされた部屋の中は、静かで優しいひとときを生み出していた。


「美味しいですよ、リッキーさん」

「う、うん、食べる」


 キュッリッキはフォークを掴むと、僅かに手を震わせながらレモンタルトを切り分け、パクッとひと切れ口に含む。緊張しすぎて味なんてさっぱり感じない。

 緊張で動きが怪しくなる。それを自覚しながらも、目の前にはメルヴィンがいて、自分を見つめている。この幸せな状況に、どうしたらいいのか思考が停止しそうだ。

 心臓はバクバクするし、顔も赤くなるのがおさまらない。頭のてっぺんから蒸気が噴き出しそうだ。


(恋って酷い病気なの~~~)


 ポックリ死んじゃうかもしれないと思う。


「ついにソレル王国の連合軍が、宣戦布告をしてきましたね。戦争になるっていう雰囲気は皇都にはあまりないけど、開戦日が決まれば軍も、もっと忙しくなりそうです」


 紅茶を飲みながら、メルヴィンが神妙な顔で言った。


「そ、そうだねっ」

「それなのに、今日はすることがないからと、お払い箱されました。タルコットさんは腕が鈍ると言って、訓練施設へ寄り道しましたが。オレも少し動いてきたほうが良かったかなあ」


 唸るように言うメルヴィンを、ちらりと上目遣いに見る。


(…そうしなかったから、今こうして向かい合って、お茶を飲んでいるの)


 2人きりの時間。キュッリッキにとって喜ばしく、最高のひとときだ。


(それなのにぃ…緊張の緊張で、まともにメルヴィンの顔も見れないし、普通にお喋りも出来ない。ちょっと前までは、こんなふうじゃなかったのに!)


 頭を掻き毟って喚き散らしたい衝動にかられ、キュッリッキは心の中で深呼吸を繰り返す。


「戦争はそれとして、リッキーさんが元気になってきて、本当に良かったです」


 メルヴィンに穏やかに微笑まれて、キュッリッキはちょっと冷静になった。


「以前のようにずっとそばに付き添ってあげられませんが、何か困ったことがあったら、遠慮せずに言ってください。隣の部屋にいますから」


 看病してくれていた時から、メルヴィンはずっと手を差し伸べ続けてくれた。頼られたがっているのかなと思うくらいに。


「ありがとう、メルヴィン」


 自分キュッリッキにだけ向けられるメルヴィンの優しさ。

 こんなにも心配してくれる。その気持ちが小躍りしたいほど嬉しい。

 そして、2人で過ごす優しい時間が、あと何回取れるんだろう? そうふと思った。

 完全に怪我が治れば、独占している心配も優しさもなくなってしまうのだろうか。完治と共に消え去ってしまうのだったら、それは寂しいし辛い。

 どうすればいつまでもメルヴィンの気持ちを繋ぎとめていられるだろうか。そんな考えが脳裏を掠めて行った。

「だから照れてばかりじゃ勿体無いの! 今をもっと楽しまなきゃ!」心の一部がそう訴えるのだが、思うように感情がコントロール出来ないキュッリッキだった。



* * *



 19時近くになると、続々とライオン傭兵団の面々がやしきに帰ってきた。


「おかえりなさーい」


 スモーキングルームに入ってくる仲間たちを、後ろ向きで椅子に座りながら、キュッリッキが嬉しそうに出迎える。

 アジトだと談話室にみんな集まるが、ベルトルドのやしきには談話室がないので、スモーキングルームが談話室代わりになっていた。ベルトルドもアルカネットもこの部屋は使っていないので、少しずつ彼らの私物が持ち込まれていた。


「あー疲れたあ」


 ザカリーはソファに身体を投げ出すように座り、背もたれに両腕を広げた。


「おめぇんとこ、第9だっけか。演習か?」


 タバコに火を点け、ギャリーはチラリとザカリーを見る。


「んだんだ。もーよー、アイツら穀潰しレベルで話になんねーのなんの。腕悪すぎだろって」

「実戦経験が少なすぎるからね。ボクの相手になる奴がいなくて困る」


 タルコットは髪を払いのけるように、溜息混じりにぼやく。


「メルヴィンに相手してもらえばいいんじゃ」

「メルヴィンなら申し分ないけど、手合わせはいつもやってるから、他の奴がいい」

「そりゃ、無理無理」


 ザカリーとギャリーが、口を揃えて手を振った。メルヴィンは苦笑いを浮かべて、肩をすくめるだけだった。


「キューリちゃん、初めての授業はどうだったの?」


 キュッリッキの近くの椅子に座り、ルーファスが話題を振る。みんなの話についていけず、つまらなそうにしていたキュッリッキを気遣ってのことだ。


「先生が持ってきた本を朗読したの。暫くは、字を覚える授業にするんだって」


 顔をにっこりさせて、キュッリッキは授業の時の話をする。


「妖精の話、オレも知ってる。かけぶとんの話は読んだことないなあ」

「アタシは読んだことあるわぁ~。頭の足らないバカ嫁と、でれ助亭主の話よねえ」


 マリオンはみんなにビール瓶を配り、ケタケタと笑いながら言った。


「だいたいぃ、布団を上にずり上げたから、下が足らないわけじゃん。それでなんで上切って下に足すのよってぇ、読んでて怒りがこみ上げた記憶があるわぁ」


 不愉快そうなマリオンの感想に、キュッリッキは授業の時のグンヒルドの裏の顔を思い出し、ブルッと身を震わせた。


「あれって亭主もバカな言い方してるから、ってのもあるよねえ。でも、それを素直に受けてしまう嫁さんも、可愛いっていうかさ~」


 ルーファスがしみじみ言うと、ザカリーとマリオンからブーイングが飛ぶ。


「まああれだ、今も昔もバカップルは存在するってえ、ありがてー話だ」


 ギャリーがいい加減に話を締め括ると、ヤレヤレ、と部屋のあちこちから苦笑が漏れていた。


「でもさー、1時間じゃあんまり授業にならないっしょ?」

「身体の調子が戻るまでは、ヴィヒトリ先生がダメって言うの。だから、本格的な授業は、まだ当分先なんだって」

「そっかあ。まあ、字を覚えるだけでも、本もいろいろ読めるようになるし。楽しみが増えたね、キューリちゃん」

「うん」


 ルーファスに頭を撫でてもらい、キュッリッキは嬉しそうに笑った。


「でも、現在のミッション…戦争が終わって、その頃にはキューリさんもアジトに戻るでしょうから、そのあと家庭教師の先生は、ハーメンリンナの外まで教えに来るんでしょうかね?」


 カーティスが気になったように言うと、皆黙る。


「うーん、そういえば、そうかも…」


 最近ではすっかりベルトルドのやしきに馴染んできていたが、戦争が終わればアジトへ帰るのだ。


「あとでベルトルドさんに聞いてみる」


 ベルトルドのやしきに頓着していないキュッリッキは、勉強できるならどこでもいいと軽く考えていた。




 夕食が終わりみんなと別れると、キュッリッキは部屋に戻って風呂に入った。退院してからは1人で入れる様になっていた。しかしまだ右腕が満足に動かないので、メイドのアリサに手伝ってもらう。


「右腕の太さが戻るのは、まだまだかかりそうですねえ」

「うん。なんか全然違うから、ちょっと恥ずかしいかも」

「沢山お食べになれば、すぐですよ」

「うーん…。いつも頑張って食べてるもん」


 口を尖らせるキュッリッキに、アリサは「いいえ、いいえ」と首を振る。


「もっと、食べなきゃいけませんよ! いつも少なめに盛ってあるんですから」

「むぅ」


 お湯の中に口まで浸かり、ブクブクと泡を立てた。


「おーい、リッキー」


 ベルトルドの声がして、アリサはドアの方へ顔を向ける。


「あら? もう旦那様たちいらしたのかしら。こっちを覗きに来ないように言ってきますね」

「はーい」


 ピュアローズの入浴剤で、浴室の中はバラの香りでいっぱいだ。乳白色のお湯を両手で掬って、パシャリと顔にかける。


「最近部屋のあちこちにお菓子が置いてあるの、アリサの仕業ね」


 ベッドサイドのテーブル、ミニテーブル、ドレッサー、洗面台、衣装部屋のドレッサーなどなど、物が置けるところには、焼き菓子やキャンディなどが置かれているのだ。


「虫歯になっちゃうんだから…」


 文句を言う反面、体力を付けて身体を整える必要があるのも自覚している。戦争がいつ始まるか判らないから、今のうちにしっかり全回復しないといけないのだ。


「頑張って食べるかあ…」


 ふぅ、とため息をついたところで、アリサが戻ってきた。


「そろそろ上がってくださいお嬢様。のぼせてしまいますよ」

「そうだね」




 アリサに髪を乾かしてもらいながら、キュッリッキはフェンリルをタオルで丁寧に拭いてやる。


「ワンちゃんもお風呂がお好きなんですねえ。気持ちよさそうに入ってましたし」

「そうなの。お風呂気に入ってるみたい、フェンリルも」


 照れくさそうに、フンッとフェンリルは鼻を鳴らす。


「綺麗好きなのはいいことでございます。さっ、もういいですよ、お嬢様」

「ありがとうアリサ」


 淡い黄色のベビードール――ベルトルドが用意した寝間着――を着て、ドレッシングルームを出る。


「お、リッキー」


 ベッドに腰掛けて待っていたベルトルドは、満面の笑みを浮かべて両手を広げる。小走りに近づくと、素早く抱きしめられた。


「可愛い俺のリッキー」


 膝の上に抱き上げて、アツク抱擁しながら頭に頬にキスの雨を降らす。


「ちいっ!」


 ベルトルドの後ろから、険悪で露骨な舌打ちがする。アルカネットだ。


「ジャンケンで負けたお前が悪い」

「透視を使うとは卑怯ですよ、大人げない」

「リッキーのためなら手段は選ばん!」


 ベルトルドは得意げにドヤ顔を向けた。

 キュッリッキも部屋を出ようとしていたアリサも、共に胸中で「はぁ…」と呆れたため息をつくのだった。

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