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47話:今日から家庭教師についてお勉強開始

 1万年も前の世界は、3つの種族、3つの惑星で成り立っていた。恒星を中心として、正三角形を描くように、3つの惑星が取り囲んでいる。

 惑星ヒイシはヴィプネン族、惑星ペッコはアイオン族、惑星タピオはトゥーリ族が治めていた。それぞれの惑星には種族の統一国家があり、そして種族間で戦争が絶え間なく起こっていたのだ。

 戦争の火種の詳細は、後世にはあまり伝えられていない。

 一説によると、火種はアルケラだという。神々と幻想の住人たちが暮らす世界のことだ。

 アルケラはどの惑星からも、月のように最も近くに存在し、しかし誰も到達することができない距離にあると言われていた。

 月そのものがアルケラだ、という伝承もある。月は各惑星の軌道に存在しているが、それ自体が幻だと言う。3つ惑星で見える月は一つのものであり、各惑星にその姿を写しているだけ。月こそがアルケラだと伝える者もいた。

 存在を信じているのに、目に見え、形あるものなのに、手が届きそうで届かない。

 人々は神の持つ超常の力に憧れ、欲し、求め続けた。

 一番先にアルケラの力を得ることが出来るのは、どの種族だろう。戦争を続けながら、3つの種族は先を競った。

 やがて、ヴィプネン族は最大の禁忌を冒す。そのことがきっかけで、アルケラは何処かへ消え去り、各惑星は甚大な被害を被り、多くの生命が失われた。もっとも被害が大きかったのは惑星ヒイシだった。

 それから1万年の時を経て、現在の世界がある。今も、3つの種族と3つの惑星が、世界を形作っていた。




 分厚い本を、そっと閉じる。板のように硬い深緑色の表紙には、金の文字で『歴史』とだけ綴られていた。


「我々メリロット王家は、失われた神王国ソレル、ヤルヴィレフト王家の正統なる末裔なのだ」


 白の混じった黒い髭をさすりながら、初老の男は厳かに呟いた。


「ハワドウレ皇国などと、どこの馬の骨とも知らぬ輩の興した国などに、いつまでも蹂躙されているなど耐えられぬ」


 杖を持つ手がプルプルと震える。男は水晶の床の上にたたずみ、ふと面を上げた。

 深い青の空間に、巨大な月が浮かんでいる。その月明かりを受けて、水晶が波のように柔らかく煌いていた。


「返してもらう。なにもかも」



* * *



 惑星ヒイシ全土を揺るがすほどの、衝撃のニュースが世界を駆け巡った。

 ソレル王国が周辺の小国と連合を組み、ハワドウレ皇国に宣戦布告を発したのだ。

 およそ千年前、惑星ヒイシには小国が複数乱立するのみだった。領土争いが絶えず、小競り合い規模の戦争は、毎年のように繰り返されていた。

 ハワドウレ国という小さな都市国家を治めていたワイズキュール家が立ち上がり、ワイ・メア大陸をはじめ、モナルダ大陸、ウエケラ大陸、シェフレラ群島、フロックス群島にある国々を併呑し、ハワドウレ皇国というヴィプネン族の種族統一国家を成した。

 しかし数十年の時を経て、独自に国を興して離反する者たちも現れ、現在17の小国と5つの自由都市が公で認めらている。

 自由都市は他惑星にも存在し、自治が認められ他国の介入を許さない。援助を受けることも出来ないが、支配されることもなく、それは3種族の間で法的に認められていることだ。

 小国の場合は自由都市とは違い、長い戦争と外交を経て、ある程度の自治は認められていた。しかしハワドウレ皇国の属国であることに変わりはない。

 ソレル王国はモナルダ大陸の一部海岸沿いを治めていて、超古代文明にまつわる遺跡が多く出土することから、学術的な研究員や学生が集い、モナルダ大陸のなかでは賑わいを見せる豊かな国だ。そんな平和とも思える国が、周辺小国と連合を組んで、ハワドウレ皇国に宣戦布告するなど誰が想像できただろう。

 ソレル王国を治めるメリロット王の評判は良く、善政を敷く素晴らしい王だと国民からも慕われていた。


「フンッ、化けの皮が剥がれただけさ」


 メリロット王に向ける人々の反応を、そうベルトルドは一笑に付した。

 皇国建国記念のパーティーで、皇都イララクスに招かれたメリロット王に一度だけベルトルドはまみえた事がある。その時に受けたメリロット王への率直な感想は、


「食えないジジイ」


 だった。

 憚るどころか敵意を目に込め、それを隠しもしない。ああいうタイプはいつか何かをやらかすだろう、そう予感していたのだ。


「凄いだろう、見事に的中した。俺は予言〈才能〉スキルもあるのかもな。いや、所謂予知ってやつかな?」


 新聞を広げながら、ベルトルドは愉快そうに笑った。

 アルカネットは苦笑のみで応じて、手元の書類に視線を落とす。


「調子に乗って大々的に世界中に宣戦布告を発したようです。おそらく連合に引き込むために、他の国々を煽動しているのでしょう」

「モナルダ大陸にあるベルマン公国、エクダル国、ボクルンド王国が連合に加わっているな。 シェフレラ群島のヤルトステット国が怪しい動きを見せているようだが」

「怪しいどころか資金を流していますね。表立って動いてはいませんが、傭兵ギルドに圧力をかけて、ソレル王国に兵力を流しているところもあるようです。もっとも、くすぶっていた傭兵たちは、千載一遇のチャンスとばかりに、喜び勇んで駆けつけているようですが」


 ちらりとベルトルドを見ると、椅子に深くもたれかかり、腕を組んでニヤニヤしている。ああいう表情かおをする時は、何かとんでもない悪戯を思い浮かべているということをアルカネットはよく知っていた。子供の頃からそうなのだ。


「満を持しての宣戦布告を投げつけられた身としては、どうなさいます?」

「ふふ~ん。失礼がないように、いっちょ派手に手袋を投げ返してやる。こう、ポイッと」


 そう言ってベルトルドは、子供のように無邪気な笑みを浮かべた。


「宣戦布告をされた皇国としては、挙兵に対しての大義名分については問題ありません。しかし、あのことからジャーナリストや世間の目を逸らせるためには、些かパフォーマンスが弱いですね」

「それに兵力も大して必要ない、と幹部連中も思うだろうなあ。精々が第一正規部隊だけで事足りる、とかエクルースあたり言いそう」


 小国がいくつか結託しているとはいえ、ハワドウレ皇国の軍事力を全て投入するほどのことではない。


「全軍を投入するためには、軍や国民の心を、もっと激しく鼓舞する材料が必要になるな」


 ベルトルドは目を窓の外へと向ける。今日も快晴で空は雲もなく、鮮やかな青に染まっていた。夏色を強く感じる。


「あの食えないジジイのせいで、派手な演出が必要になった。軍を全て動かす必要があるから、こちらとしても、最強の切り札を出すしかない」

「まさか…」

「ウン」


 ベルトルドは一息ついて、神妙な顔で腕を組む。


「リッキーに手伝ってもらう」

「…」


 渋面で俯き、アルカネットは目を外らせる。いつもなら、即反対するところだが、今回はベルトルドの提案を受け入れた。このことについては、散々話し合いを重ねてきたのだ。


「ナルバ山で負った怪我はソレル王国の非道によるものであり、恐れ多くも召喚士を害そうとする、神に背く悪逆非道な王だ。という嘘八百を、軍にも国民にも信じてもらい、支持を高めてもらわねばならない」

「身に覚えがないと喚いたところで、証拠もないことですしね」

「それに、リッキーは本物の召喚〈才能〉スキルを持っている。召喚士は神の力を操れる存在だ。力の一端を見せれば皆興奮するだろう。完璧さ」

「…見世物にするのは、正直気が引けます」

「まあ、そうだな…」



* * *



 キュッリッキは椅子に座ったまま、ソワソワと落ち着かない様子だ。暖炉の上にある置時計をチラチラ見て、小さなため息を何度も吐き出す。


「あと、もうちょっとだ…」


 今日からいよいよ、家庭教師による勉強が始まる。ただ、怪我が治りかけの状態なので、ヴィヒトリから許可をもらうのが大変だった。


「そーだなあ、本格的に始めるのはまだ許可できないが、1時間程度なら許そう。今は大事な時だから、身体優先なのは変わらないからね。ちょっとでも辛くなったら、無理をせずに休むこと。いいね?」


 そうして許可がおりて、前日のキュッリッキのテンションは凄まじく高かった。あまりの興奮気味な様子に、心配したベルトルドのほうから、アルカネットに睡眠薬入りのお茶を用意させたほどだ。

 勉強をするための部屋が、やしきの南棟に用意された。

 当初、書斎で授業を行うはずだった。しかし書斎は薄暗く、棚にたくさん並べられた本の圧迫感が精神的によくないと、ヴィヒトリが許可しなかったのだ。そこで、南棟の明るく落ち着いた部屋が用意され、そこが勉強部屋となった。その部屋なら、キュッリッキの自室にも近く、すぐ戻って身体を休められる点も考慮されていた。

 時計の針が11時を示したとき、部屋の扉がノックされた。


「失礼致しますお嬢様、グンヒルド先生がお見えになりましたよ」


 メイドのアリサが、笑顔で家庭教師の来訪を告げる。


「こんにちは、キュッリッキさん。今日からよろしくお願いいたします」


 柔らかな微笑みを浮かべるグンヒルドが、丁寧な所作で挨拶をした。


「こちらこそ、よろしくお願いします!」


 緊張でしゃちほこばりながら、キュッリッキはペコリと頭を下げる。


「そんなに硬くならないでくださいね」


 グンヒルドはキュッリッキに座るようにすすめ、自らも向かい側の椅子に座った。


「起き上がれるようになって、本当にようございました。随分元気になりましたね」

「はい。もうだいぶいいです」

「体調を考慮して、授業は1時間ほどとのご指示を頂いています。授業中、辛かったり疲れを感じたら、すぐに言ってください。少しずつ身体を慣らしながら、学ぶようにしていきましょう」

「はい、先生」


 あまりにも素直な態度と返事に、グンヒルドは内心驚いていた。

 これまで教えてきた生徒達は、正真正銘貴族のご令嬢だった。素直に見せかけるのは点数稼ぎのため。態度や表情は好い子を演じていたが、その目は明らかに侮りの色を浮かべていた。

 扱いにくい娘もいたし、頭が悪い上に態度の悪い娘もいた。

 キュッリッキは貴族の令嬢でもないし、傭兵をしている娘だ。しかしどの令嬢達よりも素直で愛らしい。学ぼう、教えを乞おうという姿勢が溢れている。自分から沢山のことを教えたくなるような生徒ぶりだった。


「あなたとは、楽しく授業が出来そうです」


 嬉しそうにグンヒルドは笑んで、持参した鞄の中から一冊の本を取り出した。


「では、今日から字を覚えていく授業をしていきます。そしてキュッリッキさんの語学力がどのくらいなのかを知る必要があるので、まずはこの本の朗読をしてください」

「は、はいっ」


(ついに、始まったのっ!)


 内心ドキドキしながら、キュッリッキは本を受け取り開いた。




 物語は昔話で、若い夫婦の布団を巡る物語だった。

 キュッリッキは辿たどしく声に出して読み始め、ところどころつっかえたり間違えながら、なんとか最後まで読みきった。


「はい、結構です。この本なら問題はなさそうですね。――キュッリッキさんはこの物語を、どう感じましたか?」


 感想を振られ、キュッリッキは背筋を伸ばす。


「えと、奥さんの気持ちは健気だけど、やってることがおバカさん、ってかんじに思いました」


 グンヒルドはクスッと笑う。


「そうですね。旦那さんもちゃんと言ってあげればいいのに、それをしないで、堂々巡りをしているのだから」


 と言って、急にグンヒルドの表情が殺伐としたものに塗り変わる。


「のろけてんじゃねーよ、このド新婚がっ、て思ったものです」


 優しい笑顔に戻って締め括ると、「あら?」とキュッリッキの顔を見る。


「どうしましたか?」


 キュッリッキの表情は凍りついていた。


(せ…センセイ…怖い…アルカネットさんみたい…)


 優しさの塊の様な人だと思っていたが、実は怖い裏の顔もあるのだと、キュッリッキは気づいてしまった。


(アタシ、絶対、先生を怒らせないようにするんだもん…)


 心に固く誓うのだった。




 1時間はあっという間に過ぎ、初めての授業が終わる。そしてリトヴァが部屋に顔を出した。


「失礼いたします。お嬢様、先生、昼食の用意が整ってございます」

「ありがとうございます」

「先生も一緒に食べていけるんだね」


 嬉しそうに言うキュッリッキに、グンヒルドはにっこり笑った。


「ご馳走になります」


 2人はリトヴァに案内され、東棟にあるパーラーに案内された。

 ベルトルドもアルカネットも独身で、内縁の妻も子供もいない。キュッリッキが来るまでは、くつろぐ時はスモーキングルームか自室になる。仕事を持ち込めば書斎か応接間に行くし、食事は自室か食堂で摂っていた。パーラーは全く使われていないのである。

 今はキュッリッキがいるので、ようやくパーラーは役目を与えられ新しい主を迎えた。しかしキュッリッキも初めてくる部屋である。可愛らしい雰囲気の内装で、キュッリッキの部屋のような印象だ。室内を珍しそうに見ながら席に着く。


「アタシってば、一回目は応接間だけ、二回目は動けないまま来たから、このおやしきにどんな部屋があるか、あんまり知らないの。この間、誕生日パーティーを開いてくれた時に、初めてパーティールームに入ったんだよ」


 向かい側に座ったグンヒルドに、小さく肩をすくめてみせる。


「リハビリを兼ねて、おやしきの中を探検してみては?」

「探検!」


 楽しそうな響きに、キュッリッキの顔がパッと花開く。


「迷子にならないでくださいましね」


 給仕をしているアリサが、くすくす笑った。


「ご飯終わったら、行ってみよっと」

「ダメですよ」

「えー、なんでー?」


 即アリサに反対され、キュッリッキは唇を尖らせる。


「お食事が済んだら、お昼寝をして下さい」

「…どうして?」

「ヴィヒトリ先生のお言いつけでございます。毎日必ず、昼食後はお昼寝をするように、そう仰っていました」

「ぶぅ」

「ライオンの皆様がお帰りになったとき、寝ちゃってたらどうするんですか?」


 朝から夜まで、ライオン傭兵団の皆は軍に出向している。せっかくベルトルドのいえで合宿なのに、会えるのは朝食の時と、夜帰ってきてから数時間だけだった。


「お昼寝のあとでも、探検は出来ますよ」


 グンヒルドにも言われて、キュッリッキは不承不承頷いた。

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