(うーん…、ザっと見積もって30人くらい? かなあ。よくもまあ大勢でゾロゾロ山登りしてきたわね)
キュッリッキは露骨に嫌そうな顔をした。
両手を腰に当て見据える目の前には、如何にもガラの悪そうな人相をした男たちが群がっている。
「遺言状受け取ったら速攻バルモタに逃げ込みやがって、忌々しいクズだなアトロよお。やっと町を出てくれて感謝するぜえ」
「てめーみてーな豚野郎に追いかけ回されてっからな、当然だろうが! パロの警備隊は全部てめーの息がかかってるしよ」
目の前の男たちの群れの先頭には、子供くらいの背丈しかない丸々と太った初老の男。そして向かい側には今回の依頼人であるアトロが、初老の男――ハンプスと口でやりあい始めた。
「もう夜になっちまうし、とっとと遺言状寄こせよアトロぉ…。娘と仲良く獣の餌にしてやる」
「てめーなんぞに渡したら、リスベツ子爵夫人に顔向けできねーよ!」
「わははははっ、俺たちに歯向かおうっていうのか? 小娘2匹連れて何ができるっていうんだ物乞い風情が!」
夕焼けに染まる山の中に、下卑た男たちの笑い声が木霊する。
「笑ってろ豚どもが! こちとら無駄にバルモタで時間潰してたんじゃねえよ」
怒りのために顔を真っ赤にしたアトロは、キュッリッキの細腕を掴むと自分の前に引っ張り出した。
「見やがれこいつを!」
「きゃっ」
「てめーらを片っ端からぶっ殺してくれる、ギルドの傭兵サマだぜ!」
(サマ……よくゆーわ…)
アトロの言い草に、キュッリッキはムッと表情を顰めた。
(小娘だの傭兵に見えないって道中散々バカにしてきておいて…。いざとなればとんだ見栄切りじゃない)
しかしそれはハンプスたちには逆効果だった。
「オイオイ、そんな貧弱そうな美少女が傭兵!? 大丈夫かアトロよお」
「凹凸もナイ残念そうな身体にひょろっちぃ細腕で、俺らに何をしてくれるのかなあ~?」
「カワイソウなぺたぺったんなまな板ちゃ~ん」
「顔だけは上玉だけど、あんなガキじゃあな」
「おちびちゃん」
ハンプスが笑いツッコミ始めると、モブたちも一斉にキュッリッキを小馬鹿に罵り始めた。
山間に禁止ワードが飛び交いまくる。我慢を超える限界点までの言われ放題に、キュッリッキのこめかみに筋が走り抜けた。
(凹凸が乏しいだの、ぺたぺったんのまな板だの、乙女に向かって散々好き放題言ってきてムカつくんだからっ!)
引き合いに出された挙句、気にしていることを無遠慮にツッコミまくられる不愉快さ。
(仕事だからって我慢して聴いてればチョーシに乗って! こいつらグーで超ぼっこぼこにしてやりたいところダケど! この後エイニと|アトロ《おっさん》をハーツイーズまで送り届けないとだし。手間暇かけずに一発で消しちゃうんだからっ!)
小さな拳を力いっぱい握りしめる。
「
「おっさん言うな! つか、思う存分ぶっ殺しチマえ!」
「判った」
飽きずにぎゃーすか言い合うアトロと雑魚をほっといて、キュッリッキは意識を凝らして前方を見据える。
キュッリッキの黄緑色の瞳は虹色の光彩を輝かせながら、ここではない遥か遠くを見ている。前にいるハンプス達は目に入っていない。
真っ白な中を意識はどんどんとスピードを上げて突き進む。やがて、黄金色の雲が垂れ込め、紫電の
(ありがとう。キミが手伝ってくれるんだね)
水音がした方へ意識を向けて、キュッリッキは優しく礼を述べた。すると闇が歓喜するようにぶるるんと震撼した。
ゴオン、ゴオン…
突如山に不気味な音が鳴り響きだした。
「な…なんだ?」
キュッリッキを罵り、アトロに暴言を吐いていたハンプスたちは、いきなり鳴り出した不気味な音に悪態を止めた。
「なんの音だ…?」
思いつく限りの悪態をついていたアトロも、辺りをキョロキョロと見回して呟く。
「キュッリッキちゃん?」
これまで後ろで静かに状況を見守っていたアトロの娘エイニが、ジッと動かないキュッリッキの腕をそっと掴む。
音は間隔を縮めて鳴り響き、辺りの空間に波紋のようなものがいくつも現れだした。
あまりの急展開に皆が押し黙る中、キュッリッキだけはニヤリと口の端をつり上げて、片手を高々と上げた。
「さあ! ご飯がいっぱいだよ! おいで、闇の沼!」
元気よく叫ぶ。
すると「ヒュオオオォォォ」と何かが落下してくるような音が近づいてきて、
ズドオオオンッ!
「うおっ!」
「きゃあ!」
キュッリッキたちの目の前に、黒い大きな塊が落下した。
「………」
「はわわ…」
黒い塊は着地したときの衝撃にビクともせず、何度も何度もブルルンっと揺れ動く。コールタールのようなテカリが不気味だった。
「満足した?」
恐れる様子もないキュッリッキは、花開くような素敵な笑顔を黒い塊に向ける。その笑顔に応えるように、黒い塊は大きくブルンッと揺れた。
「そっか、満足できて良かったね。うん、とっても助かったの。ありがとう。ふふっ。キミはホントに食いしん坊だね」
黒い塊に手をついて、キュッリッキは声を発していない塊と会話をしていた。
「もう帰ってイイよ。お疲れサマ」
すると黒い塊は黄金の光に包まれ、粒子となって天へと消えていった。
黒い塊が消えた後には、何も残っていなかった。
「よし、終わったよ」
先ほど黒い塊に語りかけていた声とは似ても似つかないほど、淡々とした声音で2人を振り向く。
「ん? どうしたの?」
黙り込むアトロとエイニに、キュッリッキは首を傾げた。もっと喜んだ反応が来ると思っていたのでちょっと白ける。
「どうしたのっておめえ…」
青ざめた顔で、アトロは振り絞るように声を出す。
「さっきのあの黒いのはなんだ!? ハンプスの豚どもはどこへ行った!」
「あれは闇の沼よ。無礼者たちは闇の沼が全部食べちゃった」
「たべ!?」
「一人ずつ相手にしてると手間だし面倒だし…。一発で葬れるものを探していたら、闇の沼が手伝ってくれるって言うから呼んだのよ。闇の沼は雑食で、いっぺんに始末する時は便利なの」
30人もいる男たち1人1人を相手にしていたら大変だ。
「アタシの持つ
ふふん、と天狗になるキュッリッキに、エイニが嬉しそうに拍手する。
「凄いわ、凄いわ、キュッリッキちゃん。さすがに驚いたケド」
「ハンプスたちをぶっ殺せと言ったのは俺だがよ、本当にやってのけるとは正直思っていなかったぞ。しかも見たこともないやり方で。ったく、悪びれた様子もなく淡々としてやがる。さらには得意げじゃねーかよ。なんちゅーオソロシイガキだ!」
声を顰めて吐き捨てた。
急に静かになった山は、もう闇の帳を下ろそうとしていた。
「夜になっちゃうね。さっさとハーツイーズへ帰ろう」
辺りが暗くなってきていたことに気づいたキュッリッキが声を上げた。
* * *
アタシはフリーで傭兵をしているキュッリッキ。
登録してある傭兵ギルド・ハーツイーズ支部に呼び出されたのは昨日の昼頃。ギルドの傭兵たちに仕事を差配しているホーカンから回ってきた護衛の依頼。難易度はCと低くて、誰でもできるガキの使いのようなもの。
サーカスのランタネン一座を山間の町バルモタから、皇都イララクスの街の一つハーツイーズまで護衛するっていう内容。
の、はずだった。
サーカスの団員たちは先に立っていて、座長のアトロとその娘エイニ2人だけが待っていた。そしてアトロは自分たちを囮にして、遺言状を狙うハンプスと一味をおびき出してアタシに始末させる。という内容がアトロの真の狙い。
これは明らかにギルドに対する違反行為。だって、ギルドは客からの依頼内容を精査して、それに見合う傭兵を送り込む。
ホーカンはアタシには難易度CやDの簡単な依頼しか回してこない。わざと危険な任務から遠ざけようとしているの。
護衛している最中に襲ってくる者がいて、それを退けるために戦闘になるのは仕方がないこと。でもアトロがギルドに依頼した内容は、道中不安だから護衛が欲しい。そういう付添人程度のものだった。戦闘は起こらないだろう、危険度はかなり低い。そう判断されたからこそホーカンはアタシに依頼を回してきたのに。
意図的に誘き出して戦闘をさせる行為は、ものすごーく契約違反。難易度で言えばAかSランクになっちゃう。そもそも依頼料の金額が跳ねあがるしね。
以上のことからアタシを初めてみたアトロの反応は、
「ふざけんなよクソが! これのドコが傭兵だってんだよ!」
だもの。
「腕力も筋力もなさそうな華奢すぎる身体、武器も携帯せずお出かけの私服姿、これでどうやって俺らを護衛するんだってハナシなんだよ!」
ってブチ切れられたし。
低料金で高額依頼料並みの仕事をさせようとしていたから、アタシの見た目に難癖付けてきていたけど。
送り込まれた傭兵がアタシだったから良かったのよ? これで当初の依頼内容通りの別の弱い傭兵が送り込まれていたら、今頃エイニと2人で獣に餌になってたんだから。いっぱい感謝してほしいくらいよ。
依頼内容の詐欺については、アタシから十分に脅しておいた。ハーツイーズに着いたらギルドで正規の金額を支払うようにって。そうじゃないと、ギルドの執行人に首ちょんぎられちゃうもの。モチロンこれは脅しではなく、本当のことね。大体傭兵ギルドを
* * *
「お父さん、ハーツイーズへ着いたわよ」
「おほしさまが~…」
「もう、しっかりしてよ!」
娘のエイニは父アトロの頬を何度もひっぱたく。その様子を見ながら、キュッリッキは特大のため息をついた。
「おっさん元に戻るの? 魂が迷走してるって…」
「うふふ、大丈夫。一晩寝たら忘れちゃってるわ」
「そうなんだ…」
それはそれで複雑かも、とキュッリッキは心の中で呟く。
ハンプス達を始末した後、召喚したモノに2人を乗せてハーツイーズまでひとっ飛びしてきた。
闇の沼に続いて大型のモノを召喚したので、あまりの非現実にアトロの
「エイニは大丈夫なの? あんまり気にしてない気がするけど」
「突然黒いものが落ちてきて、ハンプスたちを食べちゃったってこと?」
「うん」
「そうね…とても驚いたけど、でもそうさせたのはお父さんだし、キュッリッキちゃんはお仕事をしただけだものね」
ニッコリとエイニは笑う。
「サーカスなんて仕事をしていると、いろんな人たちに出会うし、奇麗ごとじゃないこともいっぱいあるから。だから、いちいち気にしてられないわ」
「そっか…」
「召喚
「うん」
道中彼女からは色々と質問攻めにあったが、エイニは理解も早く頓着していない。あのしつこ過ぎる質問攻めがなければ、イイ人かもしれないとキュッリッキは思っていた。
「お父さんこのままほっといていいわ。メッセンジャーボーイを捉まえて、カスペル君に連絡をつけなくちゃ」
「遺言状を渡す子?」
「ええ。まだオーベリソン子爵家の後継者に選ばれたなんて知らない筈だから。弁護士を雇ってカスペル君とハーメンリンナの役所で手続きをしてこないと。それに、傭兵ギルドへ行って謝罪と料金の支払いも済ませないとだわ」
「やることいっぱいだね…」
「まったくよ、もう」
フゥ、とエイニは疲れたようにため息をこぼした。
「アタシこれからギルドに報告に行くけど、一緒に行く?」
「行くわ。場所判らないし助かる」
「……ホントにおっさん、ここに置いてくの?」
傭兵ギルドの近くの路地裏だが、この辺はあまり治安が良くないのだ。
「大丈夫よ。出自はもともと町のゴロツキだもの。金目のものは私が持っているし、身ぐるみはがされてもせいぜいが服だけよ」
うふふ、と容赦なしなエイニは妖艶な笑みを浮かべた。
これにはさすがのキュッリッキも、口の端をひきつらせるだけだった。