目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第19話

 いつもより肌寒さを感じて目が覚めた。猫から人間に戻ったのか、ベッドの手触りもしっかり分かる。手を伸ばすとほのかにシーツに暖かさが残っていた。なんでだろうと昨日を思い返して脳が覚醒した。ハインツのベッドで寝たのを思い出し、急いで起き上がるが冷たい空気が肌に触れた瞬間、自分が服を着ていないことにやっと気づいた。

 すぐにシーツにくるまり、メイドを呼ぼうと扉の方を見るとハインツが立っていた。雪だるまのようになっている僕を見て、ハインツは「可愛い!」と言って、鼻血を出した。昨日からハインツはおかしい。それは僕だけじゃない周りの人も気づいているだろう。

 ハインツに服を頼むがいつまで経っても持ってきてくれない。いつもは出さないくらい声を上げたら、ようやく持ってきてくれた。服を着て、朝食を食べる。


「ハインツ、誰かれ構わずに可愛いって言うのやめなよ。」


 僕の言葉にハインツはきょとんとしていた。


「トモルにしか言っていないよ。」

「…何それ、からかっているの?」

「からかってなんかないよ。」


 ハインツは僕を真っ直ぐ見ている。あの瞳で見つめられると何も言えなくなる。本当は「嘘だ」と彼に言ってやりたい。男の僕に可愛いなんて思うはずがない。そう言ってやりたいのに言葉が出てこない。

 彼の言葉に恥ずかしくなって、顔が熱くなる。そのことが彼に気づかれないように僕は下を向いた。


「トモルどこか痛いの?!」


 ハインツは慌てた様子で僕に駆け寄った。「なんでもない」と言っても彼は僕を心配しているようだった。僕の顔は今どんな表情をしているのだろうか。


「本当になんともないって、ご飯を落としたと思って下を見ただけ。」

「…それならいいんだけど。」


 彼は自分の席に戻った。朝食が終わると僕はすぐに部屋を出た。ハインツが何か言おうとしていたことを気づかないフリをして早足で歩いた。これ以上、彼の近くにいると心臓が持たない。ハインツの言葉にドキドキして、僕のことを好きなのかもしれないと勘違いしそうになる。一人で勘違いして舞い上がって、馬鹿みたいだ。

 そう言えば、昔も同じような事があったことを思い出した。いつも一緒に遊んでくれた女の子がいた。同じ幼稚園で、みんなの輪に入ることが苦手な僕の手を引いてくれた。そんなあの子が好きだったし、彼女も僕のことが好きだから遊んでくれているんだと思っていた。

 でも、それは僕の勘違いだった。僕は引っ越しの関係で途中入園で、彼女は途中から入った僕が珍しくて興味があっただけだった。いつしか彼女は僕に興味が無くったのか、違う子と遊ぶようになっていた。その時、自分が勘違いしていることに気づいた。それは恥ずかしくて、悲しかった。もうあんな思いをしたくないと強く思った。それから、友達が僕と仲良くする意味を考えるようになってしまった。

 ハインツも彼女と同じなんじゃないかという不安が拭いきれない。彼がそんな人じゃないことも分かっている。それでも不安で仕方ない。彼には裏切られたくない。やっぱり距離を置いた方がいいのだろうか。最初からハインツに会わなければ…そんな事まで考えてしまう。

 頭を抱えて悩んでいるうちにアルバの研究室に着いた。扉を開けるとステファンの姿が見えた。


「おはようございます。君も元に戻ったのですね。」

「おはようございます。朝起きたら戻っていました。」


 ステファンは昨日と変わらず落ち着いていた。周りを見渡すと、アルバが始末書に追われていた。ソファにはヒカルが気まずそうに座っている。ヒカルの態度で僕は二人のストーリー通りにイベントが進んでいることが分かった。

 アルバは、僕を見るなり手招きした。アルバに呼ばれ僕の体に緊張が走った。恐る恐る近づくと、体調は悪くないかとかしっかり歩けるかなどの健康診断のような事を聞かれた。それにすべて答えると「もういい、行け」と言われた。僕が何も分からずにソファに行き、ヒカルの隣に座るとステファンが紅茶を出してくれた。


「トモル君も被検体ですからね。」

「あぁ、薬の後遺症とか調べたかったってことですか?」

「そうです。本当に口下手で困りますね。」


 ステファンはやれやれとアルバを見ている。その間もヒカルは静かだった。


「とにかく、一日も経たずに元に戻れましたし、後遺症もなさそうでよかったです。」

「そうですね。猫になれて少し楽しかったです。…ヒカル?」


 僕がヒカルに声をかけるとヒカルは驚いたようで体がびくっと跳ねた。


「な、なに?」

「いや、ずっと下を向いているからさ。体調悪い?」

「そんな事ないよ!ちょっと考え事してたの!」


 ヒカルは慌てている。頬の辺りも赤くなっている。


「少しでも体に異変があるなら必ず教えてください。まだ、煙の影響が出てくるからもしれないですから。…アルバに言いずらいようでしたらメイドにでも伝えてください。」

「…分かった。」


 ステファンの言葉に素直に頷くヒカルは恥ずかしそうに顔を隠した。傍から見れば、ステファンの言葉でヒカルが照れているように見える。それを遠くから見ていたアルバは驚いた顔をしていた。僕がアルバの方を見ているとステファンも彼の方向を向いた。するとアルバはすぐに机に視線を戻した。


「トモル!散歩に行こう。今日はまだ散歩できてないの。」

「僕は大丈夫だけど、アルバは忙しそうだよ。」


 始末書に追われているアルバを散歩に連れ出すのは申し訳なかった。


「そうですね。アルバは始末書が終わるまではここを動けないでしょうね。」

「そっか…」


 ステファンの言葉にヒカルは肩を落とした。そんなヒカルを見かねてか、ステファンはノエルの部屋の調査を手伝うなら自分が同行すると言った。ヒカルは嬉しそうな顔をしたが、その後ろからアルバが走ってきた。


「先生をヒカルの長い散歩に付き合わせるわけにはいきません!監視役は僕です。僕が行きます。」


 アルバは焦っているようだった。それはステファンの時間を消費させることへの抵抗ではないことに僕は気づいた。


「ちょうど研究の資料がひと段落したところなので平気ですよ。」

「ですが…」

「それなら他の者に頼んでみましょうか。」

「それはもっと駄目です!」


 アルバがステファンに向かって大きな声を上げた。そのことに僕はもちろん、ヒカルと周りの研究員たちも驚いていた。一番、びっくりしていたのはアルバだった。師として慕っているステファンに声を上げたことに焦っていた。ステファンは「大丈夫ですよ」とアルバをなだめている。


「アルバ落ち着いてください。とにかく、あなたは始末書を終わらせてください。散歩は、ノエルさんの部屋の捜索が終わってお昼を食べてから行きます。それまでに終わらせることが出来たら、あなたがヒカルさんと散歩に行けばいいでしょう。」

「はい…分かりました。」


 そう言うとアルバは自分の席に戻って行った。ステファンは僕とヒカルを連れて研究室を出た。ヒカルは部屋を出る時、アルバの方を向いたがアルバと目は合わなかった。

 部屋を出ても気まずい空気が続いていた。それを破ったのはヒカルだった。


「トモル~!どうしよう、私アルバに嫌われちゃったかもしれない!」


 ヒカルはそう言って僕の腕に泣きついた。正直、何があったのかを聞かなくても僕には昨日の夜、二人に何があったのか分かっている。だけど、ここで何も聞かないで流すわけにもいかない。


「なにかあったの?」


 僕は出来るだけ驚いたように状況を掴めていない奴を演じた。ヒカルが話し出そうとした時、ステファンがそれを止めた。


「二人とも、私の部屋に行きましょう。ここでは誰が聞いていてもおかしくありませんから。」


 そう言ってステファンは僕たちを部屋に案内した。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?