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第15話

 今日も研究室へ続く廊下をルイさんと歩いている。もう建物の構造には慣れたというのに、ハインツは僕が一人で行動することを許してくれなかった。今日に至っては、一人で動かないでくれと言いながら、僕がステファンと二人きりになるのを嫌がっていた。それはどうにも出来ないことだと一番分かっているのはハインツ自身だろうに、なぜそんな事を言うのかが僕には分からなかった。

 最初は僕が他の誰かといることが嫌なのだと思った。しかし、彼の表情はどこか焦っていた。なぜ二人きりが嫌なのか理由を聞いても、嫌だの一点張りだった。あの時の彼は僕を見ていなかった。それでも最終的には「仕方のない事だと言うことは分かっている。」と言って、部屋を出て行ってしまった。ただ一人部屋に残された僕は、彼の後姿を見送ることしかできなかった。

 一体、ハインツはどうしてしまったのだろうか。昨日の夜、彼が部屋に戻って来てから様子がおかしい。ステファンのところへ行っていたことは聞いていたが、その時に喧嘩でもしてしまったのだろうか。部屋に入ってくるなり、ハインツは僕を抱きしめたのだ。突然の出来事に僕は驚いて、すぐに彼の体を剥がしてしまった。その時の顔はいつもの輝きが薄れていたような気がした。その時は気のせいかと思ったが、ステファンと喧嘩をして気が落ちていたと思えば、今日の朝の出来事も辻褄が合う。

 そんな事を考えて歩いていると後ろから甲高い声が聞こえる。


「とーもる!おはよ、何か考え事?」


 ヒカルが目の前に飛び出してきた。驚いて咄嗟に天井に向けて上がった両腕には言及せず、僕の返事を待っている。僕が「おはよう、何でもないよ」と返すと、ヒカルは「ふーん」と適当に相槌をした。

 僕はヒカルが歩いてきたであろう方向を見た。いつもならヒカルの後からアルバが追いかけてくるのに、今日はその姿が見当たらない。ヒカルが一人で行動しているなんて珍しい。


「アルバとは一緒じゃないの?」

「うん。なんか今やってる実験が上手くいってないらしくて、一人でステファンのところに行けって言われたの。」


 ヒカルは不満そうな顔をしている。ヒカルは毎朝、アルバと一緒に庭園を散歩している。それが無くなってしまってがっかりしているのだろう。しかし、アルバが他の監視もつけないでヒカルを一人にしているのは驚いた。僕の前を歩いていたステファンの執事も少し、戸惑っていた。


「それ、後でアルバ怒られそうだね。」

「ね。でもアルバは怒られる覚悟を決めた顔をしてたよ。」


 ヒカルは両手を上に伸ばし、あくびをした。アルバがステファンに怒られてもいいと思う程の重要な実験なのだろうか。というか、ヒカルが一人で歩いているという状況はゲームのストーリーで見たことがある。

 僕はゲームをプレイしていた時の記憶を辿った。まだ、ゲームが始まって初期段階のイベントストーリーを思い出した。


「ねえ、アルバの研究室見に行ってみようよ。」


 ヒカルは僕の腕を掴んで走り出した。僕の返事を待たずに、一緒にいたステファンの執事を置いてヒカルは廊下をどんどん進んでいく。ヒカルを止めようにも足が速く、僕は彼女について行くので精一杯だった。ゲームではこんなに破天荒な性格ではなかったはずだ。最近の彼女の行動に驚いてばかりだった。

 アルバの研究室というか、ステファンの部下が使っている研究室の扉の前まで来た。ヒカルがノックもせずに扉を開けようとする。未だに掴まれたままの腕を解くために腕に力を入れるが、ヒカルの手はびくともしない。女子にも力で負けるなんて自分の非力さに絶望した。そして、この後に起こる出来事も僕の頭を悩ませていた。


「アルバー!」


 ヒカルの元気な声と共に研究室の扉が開く。その瞬間、ボンッという爆発音と前髪を吹き飛ばすほどの風と大きな煙が僕たち二人を襲った。廊下には誰もいない。研究棟は今のようなことが多く、出入りできるものも限られている。今の爆発に巻き込まれたのは僕とヒカルだけだった。煙の中から出てきた研究員たちは全員ガスマスクをしているようだ。いつもより低い視点に僕は驚きつつも「やっぱりこのイベントか」とため息をついた。

 研究員たちは「まずいまずい…」とせわしなく動いている。廊下に充満している煙を取り除くために、一人は掃除機のような機械を抱えて走ってきた。


「煙を外に出すな!早く吸い取れ!」


 アルバの声が聞こえる。それと同時に「キャンキャン!」と鳴く音が聞こえる。アルバはその鳴き声がした足元へ目線をやる。そこには一匹の子犬がいた。ブロンドの長い毛並みに小さな耳はピンと立っている。丸い目に大きなふさふさな尻尾を生やしている。


「なっ。」


 アルバがその子犬の姿を見て、わなわなと震えている。こんな焦っているアルバを見たことなかった。


「まさかだけど…ヒカル?」


 アルバは膝を曲げてヒカルと思われる子犬に問いかけた。子犬は返事をするように元気よく鳴いた。その瞬間、アルバは頭を抱えて嘆いていた。ガスマスク越しでもアルバの顔が青くなったことが分かった。

 これは実験の爆発に巻き込まれた主人公が動物に変身してしまうイベントだ。変身する動物は攻略キャラごとに違う。ハインツルートは子猫、アルバルートは子犬、ステファンルートは小鳥だった。ヒカルはアルバルートなので子犬になったのだろう。この世界の異物である僕はどんな動物になったのか。自分では確認することが出来ない。

とりあえず、自分が小さい生き物になったことは確定だろう。視界がいつもよりも低い。それになんとなくだが、近くのものがはっきり見えない。遠くのアルバ達はよく見えるのになぜだろうか。研究員たちに踏まれないようにアルバの方へ近づく。足元には僕とヒカルが着ていた服が散らばっていた。歩いた感覚から四足歩行の動物かもしれない。

アルバの名前を呼ぼうと声を出すと「ニャー」という鳴き声が聞こえた。僕は猫になったらしい。アルバは僕の方を見て、床を拳で殴った。「お前もかよ!」と悲痛な思いが感じ取れる。


「今度は何が爆発したんですか。」


 廊下の方からステファンの声が聞こえる。アルバはガスマスクの中で深く深呼吸をして、僕とヒカルを抱きかかえた。廊下に出るとステファンが他の研究員と話をしていた。部屋と廊下に充満していた煙は無くなっているようだったが、ステファンもしっかりとガスマスクを着けていた。顔は見えないが、身長が高いので一目でステファンだと分かる。

 ステファンは、アルバが近づいていることに気づくと同時にアルバの腕の中にいる僕たち二匹を発見した。


「…アルバ、説明をお願いできますか?」

「…はい。」


 アルバは正直に状況を説明した。今は何を話そうにも猫の声しか出ない僕とヒカルは何の役にも立たない。アルバが話している間、ヒカルはアルバの肩によじ登ったり、指を噛んだりと何かといたずらをしている。ヒカルに気を取られて、僕を抱えている腕がバランスを崩すたびに落ちそうで冷や冷やした。

 それを見かねたステファンが僕を抱えた。ステファンは猫である僕の顎の下を人差し指で撫でた。それを見たアルバが「その猫はトモルですよ?」と再び、教えた。それに対してステファンは「分かっています」とだけ答え、撫でる指を止めなかった。

 僕もステファンに撫でられることに若干の戸惑いがあった。しかし、僕の気持ちとは裏腹に喉がグルグルと鳴る。それを止めようにも止まらない。猫の本能なのだから仕方のない事だけ分かっていても恥ずかしかった。その様子を見たアルバの視線が僕に突き刺さる。ステファンに撫でられていることがそんなに羨ましいのだろうか。

 廊下と研究室の煙が消えた。それでも研究員たちは忙しなく動いている。アルバもステファンに説明を終えたら、作業に戻った。その際、ヒカルはメイドが部屋に戻したが、これがまた大変だった。

 ヒカルはアルバから離れたがらなかった。アルバから引きはがそうとするとアルバの服を噛んだり、研究室の中を走り回って物陰に隠れたりとアルバから離れようとしなかった。僕はアルバに対するヒカルの好感度が高いことに驚いた。ゲームでは諦めの悪い性格のヒカルだったが、ここまで頑固ではなかった。

 何とかヒカルをアルバから引き離すことに成功したのもつかの間、次はハインツが駆け付けた。ハインツはメイドから事情を聞きつけたらしいが、それを信じていないようだった。

 ステファンに抱えられている子猫を見て、顔をしかめる。ハインツはステファンが事情を話すより前に、僕を持ち上げた。そして、顔をじっと見つめた。


「トモルが猫になったなんて信じてはいなかったが…この可愛さはトモルだな。」


 ハインツの言葉に、その場にいる全員の目が点になった。


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